11月30日、待ちに待った「国語辞典ナイト」が開催されました。この人気イベントは年3回ペースでしたが、今年は新型コロナウイルス感染拡大前の2月の12回目以来です。恒例の「三省堂辞書を編む人が選ぶ今年の新語2020」との合同開催となりました。
目次
「辞書に掲載されてもいい」新語
まずは「今年の新語」。結果は以下です。10位から一つ一つ発表していきました。
よく比較される「ユーキャン新語・流行語大賞」とは違い、あくまで「今後辞書に掲載されてもおかしくない語」を選ぶものなので、「アベノマスク」といった今年しかないような語は入りませんし、「3密」でなく「密」が選ばれます。新語といっても「ごりごり」「優勝」「リモート」「密」「警察」はこれまでの辞書にも載っています。使い方が新しいということです。
「大辞林」「三省堂国語辞典」「新明解国語辞典」「三省堂現代新国語辞典」の編集委員たちがそれぞれの辞書に載せるとすれば――と語釈を示すところもこの発表会の見どころです。
「ごりごり」は例えば新明解に既に「二」として「考え方などがあることだけにこりかたまっている様子だ」の語釈はあり、注意書きとして入った「俗に『筋金入りの』『タフでエネルギッシュな』などの意で、肯定的に用いられることもある」が新しい使い方というわけです。
「優勝」がわからないという人も周りにいますが、三省堂国語辞典による語釈は②で「〔俗〕大満足(な体験を)すること。最高なこと。『おでんと酒で優勝』〔二〇一〇年代に広まった用法〕」としました。
「警察」も「自粛警察」「マスク警察」などとよく使われました。そういえば、以前の国語辞典ナイトで、他人の言葉の使い方に「誤りだ」と指摘することに対して、「警察やめーっ」(そんな、言葉を取り締まるようなことはやめなさい)と言う場面がありました。
大賞は「ぴえん」でした。筆者は昨年のちょうど今ごろ知った言葉です。国立国語研究所の柏野和佳子さんが、2019年に女子中高生の間で流行した言葉の1位が「ぴえん」であると教えてくださったのです。そのときはぴんとこなかったのですが、この一年で、もっと広く使われるようになったということでしょうか。
大賞は四つの辞書すべてから語釈が発表されましたが、お三方が用例の「ぴえん」を言う度に笑いが起こります。大辞林編集部の「(若者言葉で)軽度の悲しみや落胆、また喜びや感激の気持ちを表す語。『推しのイベントあるけど、今日はバイトだった。ぴえん』『このアクセ可愛い。ぴえん』〔特にSNSのメッセージなどに付したり、顔文字で表現されたりすることも多い〕」という語釈が、SNSや顔文字での表現についても言及していていいなと思いました。
当日取材に入っていたNHKが翌週放送の番組「ニュース シブ5時」で選考会議の様子を紹介していました。その中で飯間さんが「これまでは、声を殺して泣くか大泣きするかであって、ちょっと泣くという表現がなかった。日本語の体系的な穴になっていたので、こうした語が待望されていたのではないか」と発言していました。
コロナがなかったら新語は…
さて、後半は国語辞典ナイト。いつものように古賀及子さんの進行で三省堂国語辞典(三国)編集委員の飯間浩明さん、ライターの西村まさゆきさん、国語辞典ソムリエで校閲者の見坊行徳さん、国語辞典コレクターで校閲者の稲川智樹さんの4人が国語辞典愛を語りまくります。
いきなり古賀さんが「台本を楽屋に忘れてきてしまいました!」と離脱。ほどなくして紙を大きく振りながら「あったぞーい」と戻ってきて笑いが起きます。古賀さんはメンバーたちの発表にちょいちょい鋭くおもしろい合いの手を入れていて、このイベントを盛り上げる大切な存在です。
まずは西村さんプレゼンで「パラレルワールドの『今年の新語』」。事前にスライドを作りながら「泣けてきました」とコメントしていた西村さん。新型コロナがなかった世界の「今年の新語」なのです。
西村さんと古賀さんのトークでその世界を紹介。外国人観光客が押し寄せ、東京オリンピック・パラリンピックで盛り上がり、聖火リレーでは志村けんさんが走って感動を呼ぶ……うるっときます。
その「今年の新語」は以下です。
「輪」はもちろん五輪の輪ですが、大会中は「輪中特需」、選手が会場外で競った「輪外競技」といった造語も紹介した見坊さんの語釈が振るっていました。
「高輪る」は、飯間さんがJR山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」の駅名について撤回を求める署名活動をしていたことを知っている人は「ああ」と声を上げます。JRは聞き入れていませんが、パラレルワールドでは「高輪ゲートウェイ」駅がめでたく「高輪」駅に変更され、その後、各地で駅名の変更が相次いだことから、駅名の変更を「高輪る」というようになった――というわけです。解説した稲川さんは「最近の若い子は略して『なわる』って言います。前の音が脱落するのは珍しいんですけど、『たかる』では語感が良くないですからね」。
今回の主役は新明解国語辞典
さて、今回の国語辞典ナイトは11月に8版が発売されたばかりの新明解国語辞典が主役です。飯間さんは得意のイラストを駆使して見坊豪紀さんと山田忠雄さんが協力して「明解国語辞典」をつくり、その後、考え方の違いから山田さんが一人で新明解国語辞典をつくることになったという経緯を紹介しました。
新明解については1996年刊行の「新解さんの謎」(赤瀬川原平著)で「読んでおもしろい辞書」として有名になりました。そこで、西村さんが「『新解さんの謎』でイジられた語釈や用例は最新版ではどうなっているのか」を紹介してくれました。
4版では「体制に対する叛乱(はんらん)を企てたり国家の大方針と反対したりする、いけない奴(やつ)〔体制側から言う語〕」という語釈だった「国賊」が、8版では「〔為政者の側から見て〕国益に反する言動をしているととらえられる人」となり、「いけない奴」がいなくなってしまいました。
「むっちり」は4版で「〔腕・乳房などの〕肉づきがよくて引きしまっていることを表わす」という語釈に「イナゴは軽快で、香ばしく、肉にむっちりしたところもあって、いいオヤツになるのだった」という用例が、腕・乳房ときてなぜイナゴ?という突っ込みに遭いました。8版の用例は「若い娘のむっちりした二の腕がまぶしい」で、「イナゴは消えたんですけどなんか色気が増してるんですね」と西村さん。
「大方」の4版の用例は「入れ代り立ち代り現われて、彼女の財産の大方を毟(むし)り取っていたようです」と、なんだか怖い話になっていましたが、8版では「株の失敗で彼女は財産の大方を失った」という用例に。「今度は株で大損ぶっこいたらしい」の字幕に会場は爆笑です。
「いろいろな方面に配慮もされるようになっているが、あれ?というところも結構残っている。読んでいると世の中の本質を考えてしまったりする。そんな新明解国語辞典が私は好きなんです」と西村さんは締めくくりました。
まだまだおもしろい語釈・用例
次は、8版を早速読み始めた(7版はとっくに全部読んだ)稲川さんが、有名なおもしろ語釈以外にもっといいところがあると主張します。
7版までと変わりませんが、例えば「ロマン」。
②の語釈「厳しい現実(退屈な毎日の生活)に疲れがちな人びとが、潤いや安らぎを与えてくれるものとして求めてやまない世界」に「そうなんだ。そんな疲れていないですけど……味のある語釈がいいですよね」と稲川さん。
「あおみどろ」の語釈には「トロロコンブを溶かしたような状態で緑色」と書かれていて、「トロロコンブが食えなくなる」と嘆きます。
8版の新しい項目では「上から目線」。
かっこ書きで「時に勘違いに基づき」とあることにどよめきます。
よく「新明解は怒っている」と言われます。社会に対する批判的な視点が表れているところがあるからです。
新しい項目に「ヘイトスピーチ」がありますが、語釈は「特定の人種・民族・性・思想信条の人びとに向けてなされる、憎悪に基づく言論。デマ・捏造(ねつぞう)・誇張に基づいた偏見・差別・憎悪をあおり、社会の分断をはかる卑劣きわまる言動や活動」。「卑劣きわまる」とまで語釈に書くところが新明解らしいのです。
「歩きスマホ」も新たに入りましたが、用例が「歩きスマホは事故の原因となり大変危険かつ身勝手な行為だ」。
「注意喚起してますねえ」と西村さん。稲川さんは「用例ですよ、これ。『歩きスマホをする』とかでなくて」。見坊さんは「語釈より長いですね」。
ということで、用例シリーズ。例えば「近所」には「ビルが爆破し、近所の建物の窓ガラスが壊れた」。
「近所ごときで爆破されちゃうんですよ」
「会話」には「ほとんど会話も無い生活に耐えられないので、とうとう別れることになった」。
「悲しい」
また、「ちゃんちゃらおかしい」の用例「五十をすぎてプロのゴルファーを目指すなんてちゃんちゃらおかしい」には「応援してやれ」と声をかける稲川さんですが、実は新明解は高齢者を応援しているようだとのこと。
「腕立て伏せ」の用例に「八十歳にして腕立て伏せが出来るすごさよ」とあり、「覚える」には「八十一歳で初めて水泳を覚え、今では八十五~八十九歳クラスの全米チャンピオン」――「すごすぎ」と言うほかありません。
さまざまなおもしろい用例に注目してきた稲川さんも8版で「不透明」の用例に「ウイルスによる感染拡大のおわりは不透明だ」を見たときは「ぞくっとしました。気づいたのは僕だけだと思いますけど。編集部からのメッセージを感じますね」。
稲川さんは「まだまだおもしろいんです。もっとみんな読んで楽しんでほしいですね」と願っているのです。
「文法説明がすごい」
見坊さんからは新明解がおもしろいだけではないという主張。
まずは数え方。これは校閲記者としても以前から活用しているところですが、見坊さんのスライドで「鐘」を「一口(いっこう)」と数えることや、「月」の項には「月の光は一幅・一本・一条」と、光について紹介されていることを知り、さすが新明解と思いました。
8版では「数字の読み方」が巻末付録に入りましたが、見坊さんは「一大論文で、すごいんです。ぜひ買って読んでください」。この論文もすごいですし、例えば「匹」を引けば「一匹・六匹・八匹・十匹は『ピキ』、三匹・何匹は『ビキ』、八匹は『ヒキ』とも」と詳しく示されているのです。
また、文法についてもすごいといいます。例えば「のだろう」。「のだろう」が見出し語になっているところも珍しいのですが、その文法の説明で、交通事故と道路の渋滞を例に、
事故の現場を目撃して「この分だと道路が渋滞するだろう」と言うように、現実の原因となることを理由として結論を導く場合には「だろう」を使う
道路が渋滞しているのを目撃して「交通事故が起こったのだろう」と言うように、現実の結果を理由として結論を導く場合には「のだろう」を使う
――と説明されていることが紹介されました。
また、「運用」欄についても紹介しました。例えば「失礼」の運用欄は語釈の何倍もの行数で説明されています。
「何」には
口に出しにくい事柄を相手に察してもらうために用いられることがある。「『奥さんもいっしょにどうだい』『今女房は何でして』」
とあり、「用例が“昭和”だ」「昭和のサラリーマンですよね」と笑いが起こりますが、「景色が浮かんでくるような例が多く、実感を伴った書き方で文法を説明していて、やはり新明解は偉い」と見坊さんは語りました。
“ライバル”からの突っ込みも
今度は「大学の時に新明解国語辞典に出合って辞書の奥深さを知りました」という飯間さんが、三国のライバルとして新明解に物申すコーナー。
例えば「戸棚」。新明解の語釈通りに絵を描くとこうなってしまうというのです。
「実はこれは新明解だけのことでなくて、さかのぼると『言海』もこうなんですが、そろそろ変えた方がいいと思います」と飯間さん。
「管見」には「〔第一級とも言える知識人や、自分の経歴に悔い無き自信を持つトップクラスの人たちが〕個人としての見聞(見解)を狭いものとして他人に示す謙譲語」と書かれており、「よほどのトップクラスの人しか使えない謙譲語なんてあるの? 大学の時に先生から『あなた管見なんて使っちゃだめよ。トップクラスの人が使う言葉って新明解に書いてあるんだから』と言われたことがあったんです。それだけ新明解の影響力は強いんです」。
また、「お疲れさま」は新明解には「同輩以下に対する」、三国には「目上に向かっても言う」と書かれており、意見対立があります。「これは見解の相違ですが、辞書を使う人には、お医者さんのセカンドオピニオンのように両方の意見を聞いて判断してほしいですね」
8版で改善されたという点も紹介。パスタは7版で「マカロニ・スパゲッティ・ヌードルなど、イタリアのめん類の総称」と書かれており、「ヌードル」に疑義が……。8版では「マカロニ・スパゲッティ・ラザニア・ペンネなど、イタリアのめん類の総称」とめでたくヌードルは消えて例が増えました。
「おみおつけ」は7版では特に漢字表記を載せていなかったのですが、8版で「『御御御付け・御味御付け』とも書く」と入りました。この「御御御付け」の表記について飯間さんは「クイズの本くらいでしか出てこないのでは」。広辞苑が6版の「御御御付」から7版で「御味御付」に変わったことを紹介し、「『おみ』はみそのことです。おみそのおつけですよ」と解説しました。
さまざまに言ってきた飯間さんですが、「辞書同士の個性と長所を認めつつ、磨きあっていければいいと思います」と締めくくりました。
こうしてさまざまに語られ、濃い内容であっという間に「今年の新語2020meets国語辞典ナイト」は終わりました。オンライン参加も可能でしたが、会場で一緒に笑って聴けてよかったと心底思います。
【平山泉】