4月14日、平成最後の国語辞典ナイトに参加しました。今回はあの「日本国語大辞典」(以下、日国)に携わった元小学館辞典編集部編集長の神永暁さんもいらっしゃるということで、大学時代から現在まで日国のお世話になっている者の一人として、感慨深く拝聴しました。迎えたのは、三省堂国語辞典の飯間浩明・編集委員をはじめとするレギュラーメンバー。
目次
日本語の変化 分かるのはずっと先
神永さんは用例主義を徹底しているとのことでしたが、新聞は新しい表現に対して「新語」として取り上げることはあっても、地の文で積極的に使うことはありません。また、新語以外に使用を避けている表現もあります。
たとえば、今回も話題になった「的を得る」問題について、誤りとは言い切れないという意見に異論はありません。しかし、毎日新聞では「的を得る」を「的を射る」または「当を得る」と言い換えることを決めています。レギュラーメンバーの見坊行徳さんによると、この誤用論争は1960年代あたりに端を発する(三省堂国語辞典初代編集主幹・見坊豪紀らの意見)そうなのですが、現代国語例解辞典の第5版(小学館)では誤用だとされている一方で、「三省堂国語辞典の第7版では既に『誤用』との文言が削除されている」(飯間さん)ということで、辞書によって立場が分かれています。
新聞は、世の中の出来事を伝える媒体であると同時に、後世に向けた記録でもあると私は考えています。日々の仕事に追われて気づいていないだけで、もしかしたら既にじわじわと変化している日本語の表現があるのかもしれません。それがわかるのはずっと先です。辞書づくりも新聞製作も、未来へ向けた毎日の積み重ねという点では共通しているように思います。
用例追求の「果てしない闘い」
積み重ねといえば、レギュラーメンバーの稲川智樹さんから神永さんに「カルピスの古い用例は見つかりましたか?」という質問がありました。2013年、神永さんが講演会で、次のような話をしたそうです。
カルピスがその名前で発売されたのは1919年だが、日国で挙げられている用例の最も古いものは「1925年」で、それ以前の例を探している――。
日国は第2版から用例に年を付け加えるようにしたそうなのですが、確かに岸田国士の「紙風船」(1925年)から「カルピスを二つ、冷たいのね」の例が引かれています。2019年4月現在、神永さんによると「1923年の例が見つかった」とのことでした。6年かけて2年さかのぼる……辞書づくりとは果てしない闘いなのだなと恐れ入りました。
戦前にも「球春」の用例
カルピスの話を聞いて思い出したのが、昨年の春、校閲の作業中にあった発見です。当初、原稿には「『球春』は戦後使われだした」と書いてあったのですが、別の部分の事実関係を確認するために閲覧していた1938(昭和13)年3月の毎日新聞で、選抜中等学校野球大会(現在の選抜高校野球大会)の記事に「球春」という見出しがあるのを偶然見つけました。より古くから使われていたことが分かり、筆者と相談して「戦前にも使用している例があった」という内容に直してもらいました。
イベントでも触れられていましたが、日国は用例などについて、「日国友の会」で読者からの投稿を受け付けています。「球春」を調べると、戦後の毎日新聞に用例があると指摘されていました。採用されるかはともかく、せっかくの発見ですから私も戦前の用例について投げかけてみたいと思います。
現在のデータベースには限界があり、戦前のものともなると、検索窓に入力するだけで探したい言葉を抽出するのは困難です。紙面を一つ一つ閲覧して手作業で探さなければいけません。先の球春についても「戦前にあるのはわかりました、それでは初出はいつですか?」と問われれば、「今回は1938年まで追えましたが、それより古い例は今のところわかりません」と返すしかありません。
カルピスのような特定の商品で、初登場の(製造されはじめた)年が分かればある程度の区切りをつけることはできるものの、今では有名な商品でも当初は無名です。カルピスと言われて多くの人があの甘い飲料を思い浮かべることができるほど(一般に認知されるまで)広まるには多少の時間がかかるでしょう。また、辞書に載るのはいつ使われだしたか明確に分からない言葉ばかりだと思います。そういった点で、これは西暦何年に用例がありますよ、と明示してくれる日国のありがたみが身にしみます。
「やられたな」という辞書
飯間さんからは、「これまで出た中で自分が携わってみたかった辞書は何ですか?」という問いかけがありました。これに対して神永さんは「関わってみたかった辞書というと、『これはやられたな』という辞書があって、三省堂から出ている当て字を集めた辞典『当て字・当て読み漢字表現辞典』(笹原宏之編)です」。中でも一番驚いたというのが「太田道灌」を「にわかあめ」と読む用例で、「道灌」という落語に由来しており、例としては坪内逍遥の「当世書生気質」に出てくるそうです。詳しくは神永さんが連載にまとめていますので、興味のある方はこちらもあわせてご覧ください。
神永さんいわく「原典主義というか、もとを調べながらしっかり拾っていくという用例主義に近い」辞書を、私も試しにめくってみました。たとえば「ほし(星)」の項には、地球、惑星、衛星、流星、星座、宇宙、宝石、涙、運命――などが挙げられ、さまざまな意味に広がっていることがわかります。地球と書いてホシと読むのは「地球も星の一つという相対化の意図が表現される」と解説されており、天文学的なところとは別に「犯人」と書いてホシと読む例も収録されています。網羅的とはまさにこのこと。
「わかる(分かる)」の項にはウェブからの引用として「和漢ない:多い。変換すると出てくることがあるためか」というものまで掲載されていて驚きました。単なる誤変換か、誤変換をあえて活用している例か、はっきりわからなくても載せるという徹底した用例主義がうかがえます。神永さんが三省堂の関係者に聞いた話によると「これでもかなり削った」とのことで、当て字・当て読み界は無限の可能性を秘めていると感じました。
ウソ読みで引く“すきま辞典”
変化球の「すきま辞典」が好きだという神永さんが携わった「ウソ読みで引ける難読語辞典」(小学館)もまた、私にとっては思いもよらぬ発想のものでした。
関連書籍の「ウソ読みで引ける難読地名」(小学館)も勉強になります。
近年よく取り上げられるようになった「忖度」は「すんど」(正しくは「そんたく」)、「云々」は「でんでん」……ではなく「いいいい」(正しくは「うんぬん」)で引くことができます。ウソ読みでも引ける辞書が存在するなんて、学習者には大変ありがたい話です。一般的な国語辞典で熟語の意味を調べようとした時、正しい読み方がわからない者は語釈にたどりつくどころか門前払いになりますから。捨てる辞書あれば拾う辞書ありです。
平成に生まれ平成に消えた辞書
また、今回のイベントの副題である「平成の国語辞典とは結局何だったのか?」にもってこいの辞書が稲川さんから紹介されました。「平成に生まれ平成に消えた辞書」こと「講談社カラー版日本語大辞典」です。平成元年の1989年に初版、1995年に第2版が出され、2012年ぐらいまでは増刷されていたらしいという通称GJ(The Great Japanese Dictionary)。結論から言えばとても使いづらくてとても楽しい辞書です。稲川さんもおもしろおかしく説明していましたが、特にカラー写真の使いどころが絶妙です。絶版となってしまったため、書店になければ図書館などで探して開いてみてください。
スポーツにも力が入っているとのことで、試しに「ラグビー」で引いてみると、フィールドやポジションについて図で説明されていて大変わかりやすいです。
「国語辞典」から「日本語辞典」へ
そんなGJから派生して、「国語辞典」はこれから「日本語辞典」となっていくのではないか?という話が出ました。GJが出版された際、神永さんは辞書編集者として「画期的だな」と感じたそうです。「百科事典的なのになぜ『日本語』なのだろう?」という疑問が浮かび、加えて、それまでは軒並み「国語辞典」だったことから「日本語」と冠した辞書の登場がおもしろく思えたとのことでした。小学館でも2005年に、日国に携わった松井栄一さんが「日本語新辞典」を出しています。この辞書はなかなか浸透せず売れなかったそうなのですが、神永さんはいまだに何かあるたびお世話になっていて、「これからは『日本語辞典』でいきたいという思いがある」と話していました。
GJ初版の序には「これまで、この島国の仲間うちだけで通用することばとして、比較的無反省にすごしてきたわれわれの母語に対して、あらためて、世界に開かれた言語として今後どうあるべきかを、深く考えてみなければならないときがきているようである」と記されています。また、第2版の序に「日本語の辞典と名乗る以上、日本語を勉強する外国人の読者が多いことを考え」とあるように、GJは近未来を見据えていたのだと思います。国際化が進み、日本語を学ぶ人が増えてくる――つまり、日本語教育の時代において国語辞典を「日本語辞典」と表現することに意義はある……。世界中にある言語のうちの一つとして、国語が相対的に「日本語」と表現されることに、私も違和感はありません。
日国3版、待ってます!
平成最後の国語辞典ナイトで、私は平成の国語辞典もまた、時代の荒波にもまれながら進化の道を模索し続けてきたのだと思いました。神永さんは「日国は昭和62、63年までの例で作られていて、平成の用例が入っていないのでその分を入れたいと思っている」と話していました。直したいところというより付け加えたいところが多いとも。平成の言葉も時代も網羅した、新しい日国第3版に会える日を、一校閲者として心待ちにしています。
【谷井美月】