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鉛からコンピューターへ
創刊110年を迎えた毎日新聞に校閲記者として入社した1982年、新聞はまだ鉛の活字を使っていた。仕事を覚えるのに精いっぱいだったので、ふと気が付くと頬も腕もワイシャツの袖口も新聞インキで真っ黒だったことを、今も鮮明に覚えている。
ホテルニュージャパンの火災、日航機逆噴射事故、フォークランド紛争、東北新幹線(大宮―盛岡間)開業など、大きなニュースも多く、私にとって忘れがたい年となった。
同時に、新聞制作に使用した鉛合金製の印刷用の版にあたる「鉛版」からの脱却を含む、今に通じる「HIS計画」が発表されたのもこの年である。H=発送設備の近代化、I=印刷の軽量刷版化、S=新集配信システム――の確立を目指した転換期と言ってもいい。
中でも重い鉛版(18㌔もある)を取り扱う作業からくる腰痛、鉛を溶かして再利用することからくる鉛害などが以前から深刻化しており、84年までにはすべて軽い樹脂版に替わり、鉛版は毎日新聞の制作現場から姿を消すことになる(「『毎日』の3世紀」など参照)。そして、新聞制作はCTS(コンピューター組み版システム)の時代へと移行していく。
「校閲縮小論」に抗して
そんな鉛活字を使って印刷していた時代からインターネット社会の中で新聞の在り方を追求する現在に至るまで、「校閲」が生き延びてきた歴史とともに歩んできた年月を考えると、感慨もひとしおである。
この間、ワードプロセッサーの導入、校正支援機能の進展、インターネットの普及をはじめ新聞産業を取り巻く環境は激変し、そのたびに「校閲縮小論」=機械が人の代わりにすべて直してくれるので校閲はいらないのではないか=がささやかれ、議論されてきたこともまた事実である。
新聞制作の工程上、校閲作業はどうしても下流に位置づけられる宿命を背負ってきた歴史があり、地道な仕事を黙々とこなしながら、機会あるごとに情報の正確性を守るためにいかに必要な職種であるかを訴え続けてこなければ、今の姿はなかったと言ってもいい。
「校閲ファースト」の時代
事実関係や固有名詞、数字・単位などの誤りを的確に指摘することも重要な役割の一つだが、時間をかけて動いていく日本語に寄り添いながら、正確な用字・用語を追求し、読者にとって分かりやすい文章を届けるのも私たちの大切な仕事である。そして、時代や環境が変わっても、校閲という仕事は必要とされ続けるだろうと確信している。
毎日新聞は現在、発信する情報にはまず校閲の目を通す「校閲ファースト」の時代に入り、コンテンツを構築している。それに応えるための不断の努力と、現状に安穏とすることなく誤りを限りなくゼロにする体制作りが重要であることは言うまでもない。変えてはいけないこと、変わらなくてはいけないことを常に心にとどめながら。
【渡辺静晴】