「IT大手が原発に触手」という毎日新聞ニュースサイトの見出し「触手」は「食指」だろうという意見がSNSであり、いや触手で合っているなどと議論になりました。そもそも「触手」と「食指」はどう違うのかという観点で検証します。
「アマゾンなどIT大手が原発に触手」という毎日新聞ニュースサイトの見出し(契約しているウォール・ストリート・ジャーナル日本版の転載)の「触手」が適切か、SNSでちょっとした議論になりました。
記事の一部を引くと
電力供給源を探し求めているIT(情報技術)各社は、新たなターゲットとして米国内の原子力発電所に狙いを定めている。
IT各社は国内にある原子力発電所を所有する企業の約3分の1と協議を実施中。事情に詳しい関係者らによれば、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)はコンステレーション・エナジーが所有する米東海岸の原発を巡り、直接電力の供給を受けることで合意に近づいているという。
文中には「触手」も「食指」も出てきません。見出しの「触手」は「食指」の誤りではないかという指摘に対し、いや「触手」で合っているという論争が交わされたのです。
目次
「食指」は人さし指のこと
このケースは私も「触手」で問題ないと思いますが、では逆に、もし原稿が「食指」だとすると、確信をもって「触手」に直すかというと、とたんに自信がなくなります。そこで「触手」と「食指」の違いについて、改めて考えてみました。
毎日新聞用語集には
食指をそそる→食指を動かす、食欲をそそる
「食指を動かす」は食べたくなる、物事をしようとする気になること
食指を伸ばす→触手を伸ばす
(野心を持って)何かを得ようと働きかけること
と、それぞれがつながる言葉や意味が書いてあります。違いは「食指を動かす」が「しようとする気になる」、「触手を伸ばす」がそれより積極的でカッコ付きながら「野心」もある、という感じです。しかし単語の「食指」「触手」そのものの違いはよく分かりません。そこで辞書などで調べます。
まず「食指」。これは人さし指のこと。中国古典の「春秋左氏伝」が出典です。鄭の国の王族の者の人さし指が動き、こういう時は珍味にありつけると言いました。果たして宮中ではスッポンを調理中だったとのこと。ここから「食指動く」が「食欲がきざす」「広く物事を求める心がおこる」という意味の慣用句になったようです。だから元々は生理的反応である「食指が動く」だったのが、何か欲しくなった時に「食指を動かす」と能動的な動きをいうようになったと思われます。
「触手が伸びる」は比較的最近の表現
対して「触手」は、日本国語大辞典によるとクラゲなど動物の突起の意味に続いて「他に働きかけようとする手」とあります。でも「食指」とは違い明確な出典が示されているわけではなく、用例として梶井基次郎の「冬の日」(1927年)が挙げられるのみ。比喩表現としては「食指が動く」の方が「触手を伸ばす」より相当歴史がありそうです。
1933年に出た俚諺(りげん)大辞典を開きました。「食指」は載っていても「触手」はありません。想像するに「触手を伸ばす」は動物学の知識が一般になってから自然に生まれた比喩ではないでしょうか。そして、辞書の語釈などに見られる「野心を持って」というイメージも、比較的最近になって付いたのかもしれません。
電子図書館「青空文庫」で「触手」を見ると、例えば江戸川乱歩の「吸血鬼」(1930~31年)で
「人界の悪魔の生涯は、どことも知れぬ隠秘の隠れ家から、青白き触手をのばして美しい女を襲い」と、「魔手」とも言い換えられるようなたとえも出てきます。乱歩の場合、クラゲなどの動物の不気味さが犯人の比喩として使われているのです。
しかしそればかりではなく戸坂潤「思想と風俗」(1936年)にこういうのがあります。
文芸意識が全体として(ブルジョア文学さえも)その評論的な触手(アンテナ)をば延ばし始めた
ここでは触手は野心や魔の手のイメージはありません。考えてみればクラゲなどの触手はただ餌を取って食うためだけではなく、センサーの役割もあります。
また、高見順「如何なる星の下に」(1939~40年)では「逞しい生活の触手を上海にまでのばしたか」と、女性の旺盛な生活力のたとえになっています。「触手」には不気味さだけではなく多様なイメージがあるようです。
「食指」にもうかがえる野心
「食指」に戻りましょう。慣用句としての使い方は
老猾(おやぢ)この娘を見ると食指大いに動いた(尾崎紅葉「金色夜叉」1897~1902年)
温泉地帯があるのだが、ここは最近相当に都人士の入りこむところで、なんとなく一同の食指が動かず (坂口安吾「逃げたい心」1935年)
など、性欲や精神的な楽しみを思わせます。どちらかといえば、「触手」より「食指」の方が個人的で卑小な印象の使い方が多く見られました。
次に、毎日新聞の見出しで比較しましょう。
目立ったのが「中国、窮状の伊に触手」「中国、北へ伸ばす触手」「中国、米の要衝に触手」という見出し。「中国 食指」と見出し検索しても見られず、超大国がさらに勢力を伸ばす動きには「触手」のイメージが結びつきやすいことがうかがえます。
同じ超巨大国でも米国については「日本の研究に米国防機関が食指」という見出しが見いだせます。もっとも「食指」の見出しは全体的に「触手」よりも少なく、統計的に有意の差とまではいえませんが、中国になんらかの野心を感じる意識の反映なのかもしれません。
ただし、「食指」は「触手」に比べ野心がないかといえば、やはり無関係ではありません。そもそも中国の「食指動く」の故事も続きがあって、スッポンにありつけなかった者が恨んで王を殺したというのですから、単なる変な癖のある食いしん坊のエピソードではないのです。食の恨みは恐ろしいとはいうものの、それだけで王を殺すとは考えにくく、下克上の野心が元々あったと想像されます。
「楽しく使える故事熟語」(石川忠久監修、文春文庫)を見ると「『社長のいすに食指を動かしている』のように『野心を持つ』の意味でも使う」とありました。野心のあるなしは「食指」「触手」の使い分けの決定打とはいえません。
実際の動きにふさわしいのは…
では、アマゾンのような巨大企業の見出しはどうでしょう。「米マイクロソフト 任天堂に食指?」というものがある一方「海外メーカー、日本企業に触手」と製薬業界の話もあります。どちらにも使われているようですが、記事を読むとやや違いが見えてきます。
前者は「米マイクロソフトが日本の任天堂の買収に関心を示している」という社長の話を基にした記事、後者は「独系ベーリンガー・インゲルハイムがエスエス製薬を傘下に収めるなど、海外メーカーが日本企業に触手を伸ばす動きも目立ってきた」と既報のまとめとして使われています。つまり前者は社長の気持ちの段階で、食べたいという「食指」本来の使い方に近いといえます。後者は実際に動いているので「触手」の方がよいと考えられます。
この違いを基に考えると、冒頭のアマゾンの動きは「協議を実施中」「合意に近づいている」とあることから「触手」がよりふさわしいといえそうです。
「食指」「触手」の違いを単純に示すと、以下のようになります。もちろん判断しにくく、どちらもありうるというケースも多いでしょうが……。
ニュアンスの多様さ…食指 < 触手
主語の個人性…………食指 > 触手
進行度…………………食指 < 触手
「触手が動く」は間違いか
さて、以上は単語としての比較でしたが、校閲としてぜひ知っておきたいのは言葉のつながりです。
「食指が動く」が由緒正しい慣用句。「食指を動かす」もOK。でも「食指が伸びる」は不適切とされます。「食指をそそられる」も本来の言い方ではありません。
「触手が動く」は「食指が動く」との混用で不適切とする見解もありますが、広辞苑や日本国語大辞典などに載っています。「食指が動く」に比べ慣用句としての歴史が浅く、単に比喩表現と捉えれば明らかな間違いとはしにくい気がします。ただし「触手を伸ばす」が無難な表現ではあります。
言葉は適切に使わなければなりませんが、どちらもありうる場合、選択に絶対はありません。自分自身を疑いつつ、センサーという意味での「触手」を伸ばし、言葉のセンスを磨きたいものです。
【岩佐義樹】