文化庁が発表した2022年度の「国語に関する世論調査」の中で「雨模様」「情けは人のためならず」の意味が取り上げられました。これらは校閲では早くから問題にしていました。最近出た本「校閲至極」と過去の毎日新聞紙面から紹介しましょう。
今回(2023年3月)の世論調査によると、「雨模様」の意味について、「雨が降りそうな様子」37.1%、「小雨が降ったりやんだりしている様子」49.4%と、本来とされる「雨が降りそう」の意味は10ポイント以上の差を付けられました。また「情けは人のためならず」は、本来の意味「人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」46.2%より「人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない」という解釈が47.7%と若干上回りました。
二つの言い回しについて「校閲至極」(毎日新聞校閲センター著、毎日新聞出版)と毎日新聞の過去のコラムから紹介します。
岩波国語辞典にみる「雨模様」の模様
すっきりとしない季節になった。雨模様の日が続く――。こう書くと、どのような空を思い浮かべるだろう。今にも雨が降り出しそうな曇り空か、はたまた雨が降りしきる様子か。雨模様は本来、雨が降りそうな状態を指すが、最近は降ったりやんだりの意でも使われている。解釈が分かれてしまうのは悩ましい問題だ。今回は「雨模様」の記述の移り変わりについて、新聞校閲でも活躍する『岩波国語辞典』に焦点を当てて見ていきたい。
岩波国語辞典とは1963年に岩波書店より出版された辞典で、各項目の「▽」印以下にある「注記」で語義をしっかりと補足説明しているのが大きな特徴である。
初版の「あまもよう」の項目に「今にも雨が降りそうな空の様子。あまもよい」とあった。79年の第3版からは「あめもよう」の項目に語釈が移動したものの、語義そのものに変化は見られなかった。しかし、版次を重ねた2009年の第7版で注目すべき変化が起こる。雨模様に「▽雨の降る様子を言うのは誤用」という注記が加えられた。初版からおよそ半世紀を経て、「雨降り」の意味は岩波国語辞典で誤用として登場したのである。
ちなみに10年度の文化庁による「国語に関する世論調査」では、「外は雨模様だ」という例文について「雨が降りそうな様子」と答えた人が43.3%であったのに対し、「小雨が降ったりやんだりしている様子」と答えたのが47.5%だった。03年度の調査においても前者が38.0%、後者が45.2%といずれも本来の意味を上回る結果だったことも見逃せない。
そして最新版の第8版(19年)では「▽雨の降る様子を言うのは誤用」との注記が消え、その代わりに「▽小雨が降ったりやんだりする様子を言うことがある」という記述が登場した。誤用とする注記が、登場したその次の版で(本来の意味や用法ではないものの)改められたのはとても興味深い。
岩波書店に注記の変更に至った経緯をうかがったところ、雨模様は辞典編集部においても悩ましい言葉の一つとしつつ、第8版では「全体的な使用状況から『誤用』とするのをやめた」とのことだった。また、新しい意味・用法が定着したかを見極めるのはとても難しく、「誤り」や「誤用」と追記もしくは削除すべきかは、改訂の度に慎重に吟味していることも教えてくださった。辞書編集者もまた、雨模様に悩んでいるのである。
なお毎日新聞の記事では雨模様のような両様に解釈できる表現は避け、筆者に当日の天候の確認をとって「曇り空の下」や「小雨が降る中で」などとしているが、語釈をめぐるすっきりとしない状態は、まだ続きそうである。
【高島哲之】=初出はサンデー毎日2022年7月10日号。ちょうど200回でした。
「情けは人のためならず、巡り巡りて己が身のため」
小学生のころ、いたずらを繰り返す弟を厳しく叱責していたところ、母に「情けは人のためならずっていうでしょ」と言われました。私は、我が意を得たりとばかりに「そうだよ。ダメなことはダメってきちんと怒らないで、小さいから、かわいそうだからと、いいよいいよって情けなんか掛けてたら、その人のためにならないもんね。だから私は厳しく言ってあげてるの」と意気揚々と答えたのでした。
その場で即刻正されたのはいたずら坊主のほうでなく、私のほうでしたが。「情けを掛けて人に優しくしてあげると、巡り巡ってそれが自分に回ってくるということよ。大きな気持ちで優しくしてあげなさい」と諭されました。
幼い頭で瞬間的に理解したと思ったはずが全く違う意味だと指摘され驚きました。このことわざは「人に優しくするのはその人のためじゃなく、自分に返ってくるのだから優しく接して待て」というのか……なんだか身もふたもないじゃないか、と妙に反抗的な気持ちになったのを覚えています。
まあ、それも曲解に過ぎましたが。
文化庁の2010年度の「国語に関する世論調査」では「情けは人のためならず」を「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」という本来の意味でとらえていた人が45.8%、「人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない」という本来の意味ではないとらえ方をしていた人は45.7%とほぼ半々。00年度調査では本来の意味でないとらえ方をしていた人のほうが多く(本来=47.2%、本来でない=48.7%)、その衝撃が新聞などをにぎわし、大きな話題になりました。
しかし、10年たっても浸透の度合いはあまり変わっていないようです。
「人のためならず」の「ならず」は古語の「断定の『なり』」+「打ち消しの『ず』」→「である+ない」=「~でない」という意味で、「人のためでない=自分のためである」と読み取る必要があると文化庁は月報で解説しています。きっと「昔の私」のように「ためならず」を「ためにならず」と、1文字補って考え、意味を勘違いしてしまう人が多いのではないでしょうか。
ただ「情けは人のためでない」と現代語訳したところで、勘違いは完全に防げるとは思えず、考え込んでしまいます。
「情けは人のためならず、巡り巡りて己(おの)が身のため」という、出典ははっきりしませんが、「ことわざの続き」といわれている一連の言い回しを使うほうが、誤解を減らせるでしょうか。
文化庁の調査では「本来の意味」を選ぶ人は年代が上がるにつれて多くなっています。あの時の私の母のように、高い年代の方が若い世代とかかわっていく時に正したり伝えたりするコミュニケーションこそが、言葉の「本来の意味」を失わないために大切なのではないかと強く思います。
【幅真実子】
(2016年5月5日「校閲発 春夏秋冬」から)