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「聖地」「沼」「とがる」など新しい用法
とはいえ「聖地」とか「沼」とか、「とがる」なんていうのもそうですが、やはり聞く人があれって思うようなところはできるだけきちんと取っていこうとしています。
明確に新しい意味として、独立したブランチ(枝分かれした語義の区分)2番を立てるよりは、そうした用法があるということで、これは新明国のやり方の一つなのですが、「古地図の沼」という用例を挙げ、用例に対する注という形で、新たな用法の説明をしています。意味が増えたわけではなく、使い方の比喩的な拡張だということです。
そういうふうに〝意味とは何なのか〟ということを突き詰めています。
吉村さん 「聖地」も「沼」も、もともとの語の掲載はあるわけです。昔からあった言葉が、最近こんなふうに使われるようになってきているよ、ということで、ブランチを一つ増やすなり、注記の形なりで近年出てきた使い方を示しています。
今回は「草」に「〔俗に〕笑い」という語義を加えましたが、「草」という語はもともとあるので、追加で入れています。
こうした補説やブランチの追加などは、新語・新項目の1500語とは別に増えているもので、これはこれで数百あります。
「雨模様」「敷居が高い」は変わったか
――文化庁の「国語に関する世論調査」で取り上げられるなど、本来の使い方とは違う使い方がされるようになった語はどうでしょう。たとえば「雨模様」について、「小雨程度に降っている」ことだと思って使う人がだいぶ増えています。
国語に関する世論調査でも分かるように、言葉が変わっていくのも仕方がないのかなと思います。だからといって全部「俗に」でとりあげるかどうかは別ですね。語によってそのままにしておくものもあります。
――「三省堂国語辞典」では「何年から使われるようになった」などと書いていますね。
吉村さん 「三国」はそういう方針の辞書ですよね。読みながら時代を追っていける。新明国としては「近年……」などの形で注意を促す程度にとどめています。そこが頑固者というか、頑固おやじみたいな感じで古めかしいのかもしれませんけど。
荻野さん 「敷居が高い」は、第7版では「敷居」の中の語釈つき用例だったのが、第8版で句見出しの扱いになり、近年の用法について補説がつきましたね。
――削除された語はありますか。
山本さん 基本的にあまり削除はしません。古い語であっても、文献の中にその時代の語として出てくることはありますので。
吉村さん 空見出し(見出し語として掲載されているが解説がなく、他の項目を参照している見出しのこと)を少し、これはもういいかなっていうのを削ってはいますが、本当に十数とかそんな程度。ですから今回は64ページ増えました。
厚くなりすぎないように紙を工夫したり、第7版からは判型を大きくしたりしています。小型辞書ではありますが、やっぱり削れないんです。今は使われない言葉だからといって削っていってしまうと、わからなくなってしまいますから。古い語は古い語で、昔の文献を読んだときにも、調べて意味がわかるように載せないといけません。
荻野さん 例えば「ザエンド」→ジエンドっていう空見出しがあったのをなくしました。みんなもう「ザエンド」からは引かないだろうと。
吉村さん そうそう、本当にその程度ですね。「ニード」という空見出しも削りました。今はもう「ニード」で引く人はいないだろうということで、「ニード」は削って「ニーズ」だけにしました。
コロナ関連「ぎりぎりで判断」
――新型コロナウイルスの影響でこの春、カタカナ語が一気に出てきました。第8版では「コロナウイルス」の他「ロックダウン」などを入れたんですね。
山本さん 日常生活の中で人々が目にし、耳にする言葉として、この辞書が出たときにどれだけ存在しているか、ということが大きいと思います。
日常生活を送っている読者が、ニュースや新聞、インターネットなど自身の生活の範囲で目にする中で、理解できない言葉があると辞書に頼ることになるわけですから、そこの期待に応えねばなりません。今回多く出てきたカタカナ語も、時事的にすぎるかなという面はあったものの、これだけ大きな社会的事件になった以上、入れざるを得ないという判断になりました。たとえ短期で終息したとしても、大きな歴史的事象として残っていくわけですから。編集の時期としてはかなりぎりぎりでした。
吉村さん 今回の話ではありませんが、かつて「パパラッチ」という言葉を入れるか入れないかで、当時の柴田武先生(言語学者、東大名誉教授。故人)が迷われたという話があります。ちょうど英国のダイアナ元皇太子妃が亡くなったときで、(97年の)8月31日とかだったかな。
柴田先生が「パパラッチ」をどうするか、この先10年残るかどうか、入れるか入れないか、本当に最終的なぎりぎりまでお迷いになって、入れたと(97年11月発売の第5版)。
これは編集担当である私が最後の最後で、他を少し削って入れました。山中伸弥京大教授が話題になっていたときで、もうそれは勢いで、私自身の判断でした。
吉村さん そうやって勢いで決めることはあります。決していいかげんな気持ちでなく、最後の最後まで悩んで、それで最後は、えいやって入れたわけです。これから先、この分野では目にすることは多くなるだろうという考えのもとに入れています。
山本さん 辞書は決まった時期にどうしても出さなくてはいけないので、そこで区切りを入れることになります。世の中というのは区切れていないので、無理に区切っていかなければいけない。この時点で何をどこまで入れるべきか、というのは毎回、非常に難しいです。
【まとめ・塩川まりこ】
〈新明解国語辞典8版インタビュー〉