「三省堂国語辞典」(三国)の8版が17日、発売された。新語・俗語の収録に定評があり、その筋では何を新たに掲載するのか「広辞苑」よりも注目される三国。しかし今回の改訂は新語を増やすだけでなく、辞書の役割そのものを問い直すことになったようだ。編集委員の飯間浩明さん、三省堂辞書出版部の奥川健太郎さん、荻野真友子さんに話を伺った。
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シュミレーションから「誤り」が消えた
――8版では新たにアクセントが表示されるようになりました。これに絡んでカタカナ表記を、例えば「ウイ/ウエ」にするのか「ウィ/ウェ」にするのかなど、いろいろ検討したのではないでしょうか。
飯間さん 「ウィ」と1拍で発音するか「ウイ」と2拍になるかでアクセントが変わるので大問題でした。カタカナは新聞社の方針、一般の出版物、そして自分たちがどう言っているかを確認して、世間一般で最も通じやすいだろうという語形を見出しにしました。例えば「プロフィール」と書くか「プロフィル」と書くか。毎日新聞はプロフィルで、語源的にはプロフィルが正しいらしいけど、みんなプロフィールと言うから見出しはプロフィールです。
――元の言語と日本語化したもので発音が違う場合もあります。
飯間さん 例えば「持続可能な」という意味の言葉では「サステイナブル」「サステナブル」「サスティナブル」の3種類があります。今最も一般的なのはサステナブル。英語からするとsustain(サステイン)にableがついたものだからサステイナブルになると思いますが、日本語話者にとっては言いにくいらしく、サステナブルになっている。みんながサステナブルと言うならば主項目とすべきだということになります。
――7版では「シミュレーション」「コミュニケーション」が正しく、「シュミレーション」「コミニュケーション」は誤りとされていましたが、多数派になればこちらが主見出しになるのでしょうか。
飯間さん そうです。「シュミレーション」は8版では「シミュレーションの聞き誤りからできた形」としています。聞き誤った通りに言った形だと考え、「誤り」とは書きませんでした。元は聞き誤りだがみんな言っているという説明です。
みんなが使う、お金を払う「課金」
――各辞書で「接種する」は注射などを打つ側の行為としており、注射を受けることではありません。ワクチン注射を打ってもらったことを「接種した」と原稿で書いていれば、校閲で「接種を受けた」と直しています。この語についてどうお考えでしょうか。
飯間さん 「接種」については特に手を加えなかったと思います。「課金する」とか「募金する」と同じ(行為の方向が反対になる)現象が起こっているのかもしれません。
奥川さん 接種は「抗体を作る」というのが、必ずそうなるとは限らないということで「抗体を作るために」という表現にしています。
飯間さん 「抗体を作るために、ワクチンなどを注射などの方法で体内に入れること」。そこまで使い方の変化が明らかでないということですね。
――「課金」は変化があったのでしょうか。
飯間さん 補注を入れています。みんな使っているなということで加えたわけですね。
飯間さん もはやみんなが「今月何万円課金した」と言っているので、この意味を落とすことはできないし、また「俗だなあ」と思いながら使っているわけではないので〔俗〕も要らないだろう。ただ新しい用法であることはこの〔〕の中で説明しているというわけですね。
――「募金」は変更がありましたか。
飯間さん 「私はお小遣いを募金した」という言い方が遅くとも1960年代からあることは確認しました。課金よりよっぽど古いですね。
――7版にあった「あやまって」という文言がなくなりましたね。ただ「誤解されて」という経緯が書かれている。
飯間さん もとは誤解に始まると。現在誤用かどうかについてはご判断に任せるということです。
――新聞では、両様にとれると読者にわかりにくいので本来の意味で使うようにしています。
飯間さん それが報道の言葉としては当然だと思います。国語辞典は報道の文章よりは緩いといいますか、世間一般の言葉遣いを反映しているということですね。
「使うかどうかはあなたが決める」
飯間さん 「汚名挽回」も、7版では「誤用でない」と書いたんですが、そもそも誤用とか誤用でないということを客観的に決められないわけです。「誤用である」と書かない代わりに「誤用でない」もやめた方がいいんじゃない、というのが8版での判断です。「汚名挽回」も理屈を説明して、その通りだと思う人は使ってよろしいと。おれにとっては嫌なんだという人は使わなくていいということです。利用者それぞれの判断に任せるということですかね。単に「誤用だ」とか「誤用でない」とか言うのは「どうして」という疑問を生むだけです。こういう理屈なんだよとか、誤解されてこうなったんだよと道筋を説明したほうが役に立つのではと考えました。
――他に例がありますでしょうか。
奥川さん 「愛想」がありましたね。
飯間さん 「愛敬(愛嬌)を振りまく」が正しくて「愛想を振りまく」はだめ、みたいなことがありますが……。
飯間さん 意味が違うということですね。少なくとも戦前から両方使われているという事実を示し、誤りと考える人がいることも書いている。使うかどうかはあなた自身が決めてくださいと。誤りとか誤りでないとかってそもそも客観的に辞書には書けないよねということです。これまでも漢字の使い方などで「これは誤り」とか書いていたんですが、根拠が示せない。ただこういう使われ方をしてきましたよということは客観的に書ける。それを書こうということです。
――新聞なので読者が戸惑わないように、わかりやすいようにという観点で言葉を選びます。その際に辞書を見て、単に「誤り」と書かれているからということでなく、こういう書き分けがあるよとか、もともとはこっちの意味だからねと説明があると参考になります。
飯間さん 毎日ルールを決めるときの参考にしていただければ本望ですね。
新聞の日本語は「生き物の一つ」
--新聞で気になる表記などはありますか。
飯間さん 新聞の表記や言葉遣いについて、これはいかがなものかとか、新聞はこう書くべきではないんじゃないかという感想は一切ありません。新聞の文章は多様な日本語の一つです。この世界にいろんな動物がいて、ライオンもいればタコも蛇もいる。新聞の日本語というのはライオンか蛇かタコか……そういう一つなんですね。それに対してライオンはたてがみがもっとこうあるべきだとか言う動物学者っていないと思うんです。ライオンはこうですね、タコは足が8本ありますね、と考える。世間一般では「プロフィール」だけど新聞は「プロフィル」なんだなと観察をして、ほう、なるほどとか思っているだけでして。
――新聞の校閲記者に対して、三国の「このあたりを活用してほしい」といった点があればお聞かせください。
飯間さん 新聞日本語を考える際に、世間一般ではどうかとか、歴史的にどうかということを参考にしていただければ本望です。三国が新語・俗用にお墨付きを与えるということではなくて、「世間一般でこう言っていますね、俗語としてこういう言い方がありますよね」という以上のものではないんです。今回は補注・解説をたくさん入れて、使うかどうかはあなたの判断ですよと読者にボールを渡しています。
荻野さん 「みんな」とか「世間一般」という言い方が出てきますが、それはどのあたりを指すのでしょうか。
飯間さん 三国はあらゆる現代語を視野に入れるということが建前なので、みんなというのは、そのへんを歩いている人だけでなく、新聞、雑誌、放送、文学作品、それから学術的な文章のたぐいですね。その多くで、おおむねこういうふうに使っているなと判断する。その中で、特に話し言葉でみんなが使っているものは〔話〕、仲間内の気楽な会話では使う言葉は〔俗〕と表示する。どの分野で使われているかについてはかなり厳密に考えています。だから、他の辞書に比べて文章語に〔文〕と表示するとか、〔俗〕〔話〕とか、細かく分けているところは特徴の一つだと思います。
=おわり
三国の精神は、「第一にことばを映す〝鏡〟でありたい」という序文に表れている。鏡は映し出した姿については何も判定してくれない。鏡を見て、ヒゲが伸びているな、目の下にクマができているな……などと判断するのは自分だ。その意味で、主観的な語感や正誤判定を排して言葉の実態を客観的に示そうとする8版は、「鏡」としての役割を更に突き詰めたとも言える。
飯間さんは議論のある言葉について「使うかどうかはあなたが決めてください」と利用者にボールを投げた。なんとも高度な判断を押しつけられたものだ。ただ、そのための判断材料は多く提供してくれた。古風だ、俗語だ、誤解に基づく言い方だ……。それを参考に、現在の状況を踏まえて使う言葉を選ぶことができる。さらに磨かれた三国8版は、「辞書に載っている、OK」で思考停止していた自分に反省を迫る辞書でもある。
【まとめ・林弦】