「三省堂国語辞典」(三国)の8版が17日、発売された。新語・俗語の収録に定評があり、その筋では何を新たに掲載するのか「広辞苑」よりも注目される三国。しかし今回の改訂は新語を増やすだけでなく、辞書の役割そのものを問い直すことになったようだ。編集委員の飯間浩明さん、三省堂辞書出版部の奥川健太郎さん、荻野真友子さんに話を伺った。
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「美人」の次は「○○屋」が……
――7版では用例から「美人」が7カ所なくなったということを弊紙で取り上げました。今回、こうした何かのテーマをもっての用例の見直しはありましたか。
飯間さん 今回も7版の方針を徹底しています。これは性別の問題と、もう一つ「ルッキズム」の問題があって。
飯間さん 話がそれますが、私としても、テレビに出ているタレントさんのようなタイプが好みでもなくてですね、生来「美人」が好きだった人はそんなにいないんじゃないかと思います。だから、美人というのもジェンダーと同じで社会的につくられるものじゃないかと。そういうこともあって、絵に描いたような美人が出てくる例文はやめようと考えています。今回も、いかにも昔風の例文だなというものはなくしました。
奥川さん あとは「なんとか屋」は避けようですとか。
飯間さん ああ、「魚屋」とかですね。ちょっと乱暴な呼び方ではないかと考えたんですね。
荻野さん 「なんとか屋」は新聞でも使わないですよね。「なんとか店」にしたり。
――「屋」を排除しているわけではありませんが、正式な呼び方ということで「鮮魚店」のように書きます。ただ「近所の魚屋さんに行ってきた」みたいなところまで直しはしません。
飯間さん 「さん」がつくとやわらかくなりますね。例えば7版では「おやじ」の例文に「ラーメン屋のおやじさん」がありましたが、8版で新聞風に「ラーメン店のおやじさん」にしました。「ラーメン屋がいけない」という説明はしていないんですが、例文をだれが見ても違和感がないようにしたいということで変えました。
「w」はあざ笑っている?
――「毎日ことば」のサイトでは、「予想の斜め上」という表現をどう受け取るかアンケートをしました。「斜め上」は8版に収録されましたが、説明にニュアンスを盛り込もうという議論はありましたか。
飯間さん 8版では「それまでの流れからは考えられないこと」としています。見方が分かれる言葉は、語感まで書けないですね。たとえば7版では「w(ダブリュー)」について「(あざ)笑うことをあらわす文字」と書きました。wを使うと相手をあざ笑っている、ネガティブな語感があるよと書いたんですが、結構読者から反対意見をもらいまして。私はいまだにあざ笑う感じを受けるんですけど、それは個人の語感なんですね。だから8版では単に「笑い」と説明しています。
「数人」の範囲で世代が分かる?
――受け取り方が異なる言葉として、「数人」などというときの「数」があります。この「数」の指す範囲について、7版では「三か四、五か六ぐらいの。最近は、二か三をさすこともある」でした。変更はありませんか。
飯間さん 変わっていないですね。もはや四とか五とか六をイメージする人は若い世代では少ないと思います。とはいえ、私は「数十」と言うときには、四、五くらいまでを含んでいますね。自分自身の語感を大事にしたいこともあり、変更は加えませんでした。ただ「最近は、二か三をさすこともある」ということで、若い世代は「最近」に属すると考えていただければ。
荻野さん 先ほど、「369」について飯間さんが「三百数十」と言い換えたので、「数が六か七まで含んでいる?」と思いました。私は二と三しか表さないので。
飯間さん 私が現にさっき使ったんですね。三百数十と。だから、私の中では(「五か六ぐらい」が)生きているということですね。
10年後「ら抜き」は「俗」でなくなる
――「見れる」などの「ら抜き言葉」について、7版では〔俗〕がついていますが、8版でも変更はないでしょうか。
飯間さん 編集の終盤に、私自身は〔俗〕という感じはなくなってきて、奥川さんと相談したことがあるんです。〔俗〕でなく話し言葉の〔話〕だと。ですが今から全部〔俗〕を〔話〕にするのは大手術になるので無理です、と。もう一つは、「ら抜き」を明確に嫌う人が一定数いて、そういう人の中では俗語なんですね。辞書というのは人々の半歩先を行くことはできません。俗語と思う人がまだ多い段階で、「編集委員としては俗語と思っていませんから」と言ってもだめなんです。ただ街頭インタビューでは、道行く人はほぼ「ら抜き」です。「ら抜きはいかん」と言う人も「来れる」くらいは言っていると思います。次の9版あたり、あと10年もたてば、ら抜きは話し言葉として……。
奥川さん 「来れる」の場合は現行版から〔俗〕ですらないです。
飯間さん 「来れる」については三国の旧版、見坊(豪紀、三国の初代編集主幹)先生の時代から認めていました。「来る」自体がカ行変格活用という変な活用をするんですね。だから「来れる」という可能形があるということで。
奥川さん 他の先生方は「(ら抜きを許容するかは、言葉の)拍数によって違うのではないか」と。
飯間さん 長いものは「ら抜き」をしにくいということはあるんですけど、語によって扱いを変えるのは難しいので、今回は「来れる」以外は〔俗〕にしておこうと。あと10年もたてば「いいんじゃない」という意見が多くなると思います。
拡大する他動詞用法
――三国は自動詞の「他動詞化」を積極的に認めているように感じます。7版では「流布」「両立」「発足」は自動詞のみでしたが、他動詞用法を認めましたか。
飯間さん 「流布」は8版では「自他」にしています。
――以前、飯間さんとお話ししているときに「結構他動詞形で書いてくる人がいて、三国でさえ認めていないのに」という話をしちゃったんです。
飯間さん それがきっかけで、ああ他動詞も入れなきゃと思ったのかもしれません。
――「しまった」とそのとき思って。原稿を直しにくくなる……。
飯間さん 流布はね、紛れもなく平山さん(記者)情報ですよ。もちろん本当かなと調べて、確かにみんな言っていると確認されたので、「自他」にしたわけですね。「両立」は調査が十分ではないので現行版の通りです。「発足」も、まだ「○○が発足」と言う人が多いだろうと。
飯間さん 自動詞・他動詞の認定の仕方もわかりやすくして、助詞に「を」がとれるものは他動詞にしました。ところが文法学者はいろいろと面倒くさくてですね。例えば「横断歩道を渡る」の「渡る」は自動詞だと。「相手を殴る」のように、対象に変化を与えるものではないので。今回の三国では例外を設けるのはやめて、「横断歩道を渡る」だって、考えようによっては横断歩道の上を歩いて直接かかわっているということで、他動詞にしました。
【まとめ・林弦】