先日、東京・お台場で開催された「真昼の国語辞典ナイト2」というイベントに参加してきました。「真昼」なのか「ナイト」なのか……。タイトルだけでもひきつけられますが、内容もとても興味深いものでした。
出演者は、三省堂国語辞典(三国)編集委員の飯間浩明さん=写真右、ライターの西村まさゆきさん=同左、三国の見坊豪紀(ひでとし)初代編集主幹の孫の行徳さんなど。
入ってすぐ、ステージ正面でたくさんの国語辞典がお出迎え。なんと西村さんの私物で、「読み放題、引き放題ですよー」との声に引き寄せられる参加者たち。参加者は100人ほどだったそうで、老若男女問わず大勢の国語辞典好きが一堂に会しました。会場の雰囲気に驚きつつも、ワクワクしました。
目次
「引き比べ」でわかること
イベントの中で特に印象に残ったのは、国語辞典の引き比べでした。普段、一つの語を多数の辞書で引き比べることはそうそうないのではないでしょうか。イベントでは広辞苑や大辞泉、大辞林に旺文社、岩波、三国、新選、新潮、新明解、明鏡と10種類ほどの辞書を扱っていました。引き比べて何の意味があるのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、複数の辞書を見ていくとそれぞれに特徴があり、その多様性に気づかされます。
今回の引き比べでは「ぬらぬら」「さかな」「わらう」といった語を例に取り上げていたのですが、辞書によって、例文に挙げる対象が異なっていたり、説明文の順序や盛り込まれる要素が異なっていたりします。例えば、「ぬらぬら」の対象はプールの底やナメクジ、機械油などさまざま、「わらう」の説明にしても声を出すかどうか、目を細めるかどうかなど。
左から明鏡、新明解、岩波、三国の「わらう」 |
複数の辞書の引き比べで語の理解が深まったという出演者のコメントが出たのですが、それに対して飯間さんは「それぞれの辞書によって着眼点も違うし同じことを説明するのでも説明の仕方が違う」と指摘。校閲記者は言葉について辞書をよりどころとする場面もあり、当然のことではありますが、辞書一つで判断してはいけません。この辞書にはこう書いてあっても別の辞書では違う視点から書かれており、複数の辞書に目を通し判断していくことが必要だと再確認しました。
知っている言葉こそ調べる
また、西村さんの「知っている言葉こそ調べたほうがいい」という言葉は、まさに自分の仕事にもつながる発言でした。「経済開発協力機構」(正しくは「経済協力開発機構」)のような略語の順番、「誘引となる」(誘因)、「動向筋」(同行筋)などの同音異義語などは注意するポイントの一つで、知っている言葉こそ気をつける姿勢は校閲記者としても大切ではないかと考えます。校閲記者は知らないこと、分からないことを調べ上げ、事実関係を明らかにしていくと同時に、知っていること、分かっていることを着実に確認していくことも欠かせません。
この前、仕事で「赤ちゃんがむずがる」という表現に出合ったのですが、先輩社員から「むずかる」と直しがはいりました。自分は「むずがる」とも言うのではと思っていたのですが、手元の辞書を引くと見出し語は「むずかる」。説明文中に「むつかる」とも言うという説明はあっても「むずがる」はほとんど見つかりません(三国には「むずがる。むつかる。」とあります)。あえて「むずがる」とする理由がなく「むずかる」となおしました。
左から三国、岩波、明鏡、新明解、新選 |
辞書の個性とは
このイベントのメインは、小型国語辞典(スマホアプリのある岩波、明鏡、新明解、三国)から参加者が“チャンピオン”を決める投票でした。その前に各辞書の紹介があったのですが、飯間さんがそれぞれ、「意外と優しいところがある」だとか「案外、度量が広い」などと説明していたのが印象的でした。投票の結果はというと、今回のチャンピオンは三国に決定し、前回1位の新明解に雪辱したのですが、飯間さんによる説明の影響も少しはあったのかもしれませんね(笑い)。チャンピオン以外にも手元に置いておきたい、休みの日に読みたいなどといった部門賞もありました。これらのことからもそれぞれの辞書の「味」があることが分かります。
辞書も人が作る以上、どれだけ客観性の追求を試みようとしても、主観性を排除しようと努めても、そこには何らかの個性がうまれます。それが国語辞典の魅力の一つなのかもしれませんが、人柄ならぬ「辞書柄」を知ったうえで多様な側面から言葉をとらえていくことは校閲をしていくうえでも大切なことではないかと思います。ただ、新聞の校閲は時間との闘いで、特に自分は仕事中に言葉とじっくりと向き合ったり辞書を複数引き比べたりする余裕がないので、日ごろから少しずつ勉強しなくてはと反省しています。
初めて知った「箱推し」
漫画雑誌から国語辞典にもしかしたら採録されるかもしれないという語を探す用例採集も、普段新聞を扱う身としては面白いものでした。用例採集に当たった方々の目の付けどころ、視野の広さに感心しました。「チート」という語の意味合い、「マジで」「マジ」の使い分け、「先生」という敬称の対象から、「///」や○の中にKといった記号のようなもの、「(笑)(泣)(悲)」のルビにまで注目していて、表記されるものなら何でもテリトリーに入るのかと驚きました。
今回の用例採集で私は「箱推し」(すべてのものを推す、ひいきするという意味らしい)という語を初めて知りました。「箱」が「ALL」を指すのはどこからきたのだろうかなどと考え始めると興味深いです。話し言葉の「せーしまーす」(失礼します)がそのまま文字化して表現されているのも新鮮でした。会場ではこの「せーしまーす」を声に出して読むと「失礼します」と言っているように聞こえ区別がつきにくいということで盛り上がっていました。
さまざまな語が取り上げられた用例採集でしたが、国語辞典に載せる載せないにかかわらず、用例を採集する様子は、まさに言葉の観測者だと思いました。漫画雑誌という媒体で使用されるような比較的新しいと思われる語で辞書にも掲載されていないような意味での使用例が新聞紙面に次々と現れるということはあまりないかと思われます。それでも語や意味の変化のありかたについては校閲記者も国語辞典編集者ほどとはいかなくても敏感でなければいけないと感じました。
国語辞典好きの、国語辞典好きによる、国語辞典好きのための「真昼の国語辞典ナイト」。参加したことで国語辞典との距離がすこし縮まったような気がします。飯間さんの「(辞書を)使う人自身が、判断する」という言葉を胸にとどめながら、自分自身の言葉の世界に奥行きを持たせるために、さまざまな辞書と向き合ってみようかと思います。
ところで、イベントの冒頭でも紹介されたのですが、飯間さん(@IIMA_Hiroaki)はことばや辞書について、ユーモアあふれるツイートをしています。興味のある方はぜひご覧ください。
イベントで質問を書く紙があったのですが「等イベント内で答えさせていただきます」が気になってつい指摘してしまいました。余計なことをしてしまった、質問に使えばよかったと後悔しています。
「#国語辞典ナイト」での質問。(問2)(アンケート用紙の誤字指摘)「等イベント内で答えさせていただきます」→「当」ではないですか?(答)おっしゃるとおりですね。失礼いたしました。質問された方は新聞社校閲部の方のようです。気を抜けません。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016, 1月 11
【甲木那緒】