読めますか? テーマは〈雪〉です。
目次
雪代水
ゆきしろみず
(正解率 63%)雪解け水のこと。単に「雪代」とも「雪汁」ともいう。古くは雪代の語は見いだせず、「雪汁」が使われたという。「しろ」の方が語感が美しいから好まれるようになったのだろうか。春の季語である。きょうは立春。
(2013年02月04日)
選択肢と回答割合
ゆきかきみず | 21% |
ゆきしろみず | 63% |
ゆきよみず | 16% |
斑雪
はだれ
(正解率 48%)「はだら」「はだれゆき」「まだらゆき」などともいう。まだらに降り積もった雪のこと。北陸では、ほろほろ降る雪のことを「はだれ雪」というそうだ。春の季語だが、そう定まったのは昭和の歳時記からで、江戸時代までは冬の言葉とされていたという。
(2013年02月05日)
選択肢と回答割合
はだれ | 48% |
ぶちゆき | 33% |
ふゆき | 19% |
紅炉上一点の雪
こうろじょういってんのゆき
(正解率 80%)紅炉とは火の燃えているいろりを指す。その上の雪がすぐとけるように、私欲や迷いなどがなくなること。元は禅僧が使った言葉だ。
(2013年02月06日)
選択肢と回答割合
くれないろじょういってんのゆき | 14% |
こうろじょういってんのゆき | 80% |
べにろじょういってんのゆき | 5% |
雪ぐ
すすぐ
(正解率 63%)「そそぐ」とも。「汚名をすすぐ」などという。雪の字に「“きれいにぬぐい去る”という意味が生まれた理由については諸説あるが、すべてを真っ白におおい尽くしてゆく“ゆき”のイメージが大いに関係していることは、間違いない」(円満字二郎「漢字ときあかし辞典」)。なお「汚名を晴らす」「汚名挽回」は毎日新聞では不適切とし「汚名をすすぐ」などに直している。
(2013年02月07日)
選択肢と回答割合
すすぐ | 63% |
ひしぐ | 27% |
ふさぐ | 10% |
凍み雪
しみゆき
(正解率 72%)凍り付いた雪のこと。宮沢賢治の童話「雪渡り」で2人の子どもが「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」という声とともに凍った雪を踏んで野原を行く。「平らなことはまるで一枚の板です。そしてそれが沢山の小さな小さな鏡のようにキラキラキラキラ光るのです」
(2013年02月08日)
選択肢と回答割合
いてみゆき | 6% |
こごみゆき | 22% |
しみゆき | 72% |
◇結果とテーマの解説
(2013年02月17日)
この週は「雪」。2011年に続いてのテーマでした。
2年前は「風花」など雪の異称を中心に出題しました。風花は「花のごとくに風に舞う雪のことなのです。なんと美しい言葉ではありませんか」(復本一郎「日本人が大切にしてきた季節の言葉」青春新書)。
今回、同書にも取り上げられている「斑雪」を出しました。「まだらゆき」と読んでも間違いではないのですが「はだれ」という方がぐっと美しくなります。「はらはらと雪が降る」「はかない」などの「は」が使われるからでしょうか。しかし正解率は最も低くなりました。
次に低かったのは「雪代水」。古い和歌などには「雪汁」はあってもこの語はみられないそうです。雪代のシロは汁と白が交雑した語かと、ある語源辞典にありました。解説には「しろ」の方が語感が美しいから好まれるようになったのだろうか、と書きましたが、単なる語感だけではない理由があるのかもしれません。
同率で「雪ぐ」。例えば「恥を雪ぐ」で出題したら正解率はぐっと上がったでしょうが、ふだん平仮名で書かれるためか難しかったようです。
次に「凍み雪」。冷え込むことを「しみる」と言うことがありますが、その「凍み」です。凍み雪という字を見ただけで「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」という「雪渡り」の一節を連想した人は相当な宮沢賢治ファンでしょう。それにしてもこの童話、ストーリーは特になんということもないのですが、なんと美しい文章ではありませんか。
「紅炉上一点の雪」は今回最も正解率が高くなりました。出題時に後輩の一人が「川中島の戦いで武田信玄が上杉謙信に言ったせりふですね」と言ってきました。出題者はネットにそういう話が述べられていることは認識しておりました。ただ出典が分からず活字で確認できなかったので、その逸話の紹介は見送っていたのです。
後日、その後輩が調べてくれました。江戸時代に書かれた「甲越信戦録」に、謙信が信玄の陣中に単騎乗り込んで信玄に切りつけるときの語が「有説に」と断った上で記されています。
如何成刀是流水上 信玄答て 犀川水清々
又切付て 消て後は抑讃刀 信玄又 香炉上一天如雪
「香」は「紅」の、「天」は「点」の誤りと思われます。はじめの「流水」は読み取りにくく別の漢字かもしれません。それにしても、命のやりとりをする場でこんな漢詩まがいの禅問答をすることが実際にあったとは思えません。この本の筆者も「取るにたらない浮説だ。大将と大将が直接戦うなどまれだし、そんな問答などあるはずがない」(意訳)と切って捨てています。それでもこの話が伝わっているということは、「紅炉上一点の雪」という言葉に表れた、戦国武将らしい潔さが好まれたのかもしれません。
後輩のおかげで活字の出典らしきものは見つかりましたが、この文献の「ある説」がどこから来たものかは根雪のように残されたままです。ご存じの方がいらっしゃればご教示ください。