本サイトでも度々取り上げてきた、ひな祭りの「お内裏様」を巡る解釈。過去のアンケートでメディアとしての「正解」を示しましたが、旧暦のひな祭りを前に今一度考えてみたいと思います。
目次
「お内裏様=おびなのみ」は本当に誤りか
現代では新暦の3月3日に祝うことの多いひな祭りですが、地域によっては「旧暦」で祝うところもあります。今年の旧暦3月3日は4月11日です(例年4月3日に祝う地域もあります)。ひな祭りといえば、本サイトでも度々取り上げてきましたが(直近はこちら)、サトウハチロー作詞の童謡「うれしいひなまつり」には、次のような誤りがあるとされています。
・2番の歌詞「お内裏様とおひな様 二人ならんですまし顔♪」
→「おびな」と「めびな」を合わせて「お内裏様(内裏びな)」なので、「おびなのみ」を「お内裏様」と呼ぶのは誤り。また、ひな人形の総称が「おひな様」なので、「めびなのみ」を「おひな様」と呼ぶのも誤り。・3番の歌詞「赤いお顔の右大臣♪」
→赤い顔をしているのは「右大臣」ではなく、「左大臣」の誤り。
これらの誤りについて、サトウハチロー本人も後々まで気にしていたそうですが、このうち、「おびなのみ」を「お内裏様」と呼ぶことを本当に「誤り」と言い切ってしまってよいのか、本コラムで今一度考えてみたいと思います。
メディアとしての「正解」は
ひな人形のうち、「おびな」は天皇、「めびな」は皇后をかたどっていると言われます。ここで改めて国語辞典での「内裏びな」の定義を見てみましょう(一部語釈を省略)。
・「広辞苑」7版
だいりびな【内裏雛】雛人形の一種。天皇・皇后の姿をかたどって作った男女一対の人形。だいりさま。・「大辞林」4版
だいりびな【内裏雛】天皇・皇后の姿に似せた男女一対の雛人形。内裏様。内裏。・「デジタル大辞泉」
だいりびな【内裏雛】雛人形の一。天皇・皇后をかたどった男女一対の雛人形。内裏様。内裏。[補説]男性の人形のみを指して「内裏」「お内裏様」と呼ぶのは誤り。
各辞典は「内裏びな(お内裏様)」を「男女一対のひな人形」と定義しており、「おびなのみ」を指すのは誤りと明記するものもあります。「三省堂国語辞典」は一昨年改訂された8版で「お内裏様」の語釈に「〔俗〕男びな」、「お雛様」の語釈に「〔俗〕女びな」を入れましたが、「内裏雛」の語釈では「男びなだけを言うのではない」と注記しており、従来の解釈も維持しています。本サイトの過去のアンケートでも解説済みですが、ここまで各辞典の見解が一致している以上、ひな人形の「お内裏様=おびなとめびな」という定義は、やはりメディアとしての「正解」です。
歴史的には「内裏=天皇」
しかし、「お内裏様=おびなのみ」という理解も全く根拠のない話ではありません。いや、むしろ歴史的には「正しい」とも言えます。
今年の大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部が書いた「源氏物語」や、紫式部と双璧をなす清少納言の「枕草子」には「うち(内、内裏とも書く)」という言葉が出てきます。
・「源氏物語」桐壺(角川ソフィア文庫)より
(原文)このおとどの御おぼえいとやむごとなきに、母宮、うちの一つ后腹(きさいばら)になむおはしければ、いづかたにつけてもいと花やかなるに
(現代語訳)この大臣は、主上(おかみ)のご信任も厚い上に、姫の母宮は、主上と同じ皇后の御子(みこ)ゆえ、どちらにつけても花やかであるところへ・「枕草子」うらやましげなるもの(同上)より
(原文)内、春宮(とうぐう)の御乳母(めのと)。上の女房の、御方々いづこもおぼつかなからず、まゐりかよふ
(現代語訳)帝(みかど)や東宮の御乳母。帝おつきの女房で、方々の後宮のどこにでも親しくお目通りを許されている人
上は「源氏物語」の主人公・光源氏が左大臣の娘・葵の上を妻に迎える場面で、葵の上の母が「うち」と同腹のきょうだいだと書いてあります。下は「枕草子」で清少納言が「うらやましく見えるもの」として、「内」や「春宮(=皇太子)」の乳母を挙げています。「うち(内)」の本来の意味は天皇の住まい、すなわち「内裏」で、その意味でももちろん出てきますが、ここではいずれも「天皇」自身を指しています。
時代は下り、17世紀初頭にイエズス会宣教師によってポルトガル語で出版された日本語の辞書「日葡辞書」(邦訳、岩波書店)の「Dairi(ダイリ)」の語釈にも「国王の宮殿。時に国王その人の意味にも取られる」とあります。一方で、皇后のことを「内裏」とは普通呼びません。
「おびな」あってこその「お内裏様」
つまり「お内裏様」という言葉が表す対象は、根源的にはやはり天皇ただ一人なのであり、ひな人形では「おびな」に当たります。「めびな」はその妻、つまり「后(きさき)」です。ひな人形で「おびな」と「めびな」を合わせて「お内裏様」と呼ぶのは、そこに「内裏」たる「天皇=おびな」がいるからで、「めびなのみ」では「お内裏様」は成立しません。とはいえ「お内裏様」に対応するような、「めびなのみ」を表す一般的な呼称があるわけでもなさそうです。強いて言うなら、「お内裏様とお后様」でしょうか。
例えば、旧暦でひな祭りを祝う地域として有名な岐阜県高山市の飛驒一宮水無神社の「生きびな祭」では、飛驒一円から選ばれた9人の女性が「生きびな様」として、内裏、后、左大臣、右大臣、五人官女にふんします。ここでも「内裏」と「后」は区別されているようです。
ここまで考えると、童謡「うれしいひなまつり」の「お内裏様=おびなのみ」という理解にはそれなりの歴史的な裏付けがあり、簡単に否定することはできないように思えてきます。歌のリズムはおかしくなりますがあの歌詞も、「お内裏様とお后様」、あるいはせめて「お内裏様とお姫様」くらいであれば、後世「誤り」とまでは言われなかったかもしれません。
【森憧太郎】