「真逆」という言葉は、毎日新聞で確認できる限りでは1998年から見られる歴史の浅い言葉ですが、急速に拡大しました。反発も根強いのですが、なぜこの言葉は昔にはなく、最近広まったのでしょう。前後編で掘り下げて考えます。
9月に出た毎日新聞校閲センター著「校閲記者も迷う日本語表現」(毎日新聞出版)は、主にこのサイトの「質問ことば」から厳選して構成されています。今回はその中から「真逆」という語について掘り下げてみます。本稿の筆者・岩佐の個人的見解が含まれることをご承知おきください。
目次
定着進むが言い換えを推奨
「真逆=まぎゃく」は2004年の新語・流行語大賞にノミネートされたように歴史の浅い語ですが、一気に広まりました。この「質問ことば」のアンケートでも「使う」が18年に55%、23年に58%と過半数です。「定着した」は18年77%、23年83%と、浸透ぶりが表れています。
23年2月のNHK調査でも、「正反対も真逆もおかしくない」と答えた人が62%、「真逆の言い方はおかしい(正反対はおかしくない)」と答えた人が28%でした。
一方で、一部の読者の反発を招く言葉でもあります。言葉の変化の過程では、急速に拡大する新用法に眉をひそめる向きがあることは世の常ですが、「真逆」はその定着度の割に反発が特に激しい語ではないでしょうか。
例えば小学生むけの新聞で、しかも漫画ならいいだろうと思って校閲でも直さなかったら、大人の読者から抗議の電話が来ました。嫌う人は今も一定程度いるのです。
このため、毎日新聞用語集では「真逆」は
副詞「まさか」としたいなら平仮名書き。「まぎゃく」ならば俗語なので、引用や話し言葉を特に生かす場合以外は「正反対」「全く逆」などのように言い換える
と注意を促しています。
この記述は2019年発行の用語集で入りました。その前からかなり記事でも使われていたので、やや遅かったという気もしますが、他社で同様の規定を明文化しているところは意外に少ないので、踏み込んだともいえます。
「真逆」はいつから使われるようになったのでしょう。三省堂国語辞典は2000年以降に広まったと記し、「広まった」時点は間違いないでしょうが、使われ始めたのはもう少し前です。
「真逆」は「まさか」と読まれた
毎日新聞で初めて「真逆」が使われたのは1998年7月30日のコラム「経済観測」。年配のエコノミストが「活性化とは真逆の方向である」と使っていました。若い人でないことが意外です。
このエコノミストは2003年4月24日にも「真逆に、デフレはそれほど極悪なのか、を吟味する必要はないか」と記しています。
これを受けて若手の校閲部員が同年6月「読めば読むほど:校閲インサイド」という毎日新聞のコラムで「真逆」を取り上げました。筆者本人は、文章では使わないが口頭では言うという立場で、前述のエコノミストの記事に出てきた「真逆」への対処に迷うという内容です。
しかし掲載後、多数の読者から「真逆」は「まさか」と読むのだという指摘が相次ぎました。同コラムでは、それを記さなかったのは「配慮が足りませんでした」などと釈明に追われました。
この当時は、「真逆」の使用そのものもさることながら、「真逆=まさか」と理解されていたことによる反発が強かったようです。毎日新聞用語集で「まさか」に言及したのはその過去があったことが一因でしょう。
この一件は、なぜ「まぎゃく」はかつての日本語になかったかという疑問に対する答えのヒントになるかもしれません。つまり、
「真逆」と書くとかつては「まさか」に当てる字として通用していたので、「まぎゃく」は登場の余地がなかった。
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しかし「まさか」という副詞は新聞を含め平仮名で書く習慣が一般に広まってきた。
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それとともに正反対の意味で「まぎゃく」という言葉が生まれ、漢字を使うことへの抵抗感も薄れてきた。
ただ、これは「真逆」の漢字表記についての推測で、そもそも語として「まぎゃく」がどうして登場したかの答えになっていません。書き言葉の「真逆」以前に「まぎゃく」という言い方はされていたはずですから。
単独の「逆」では物足りなくなった?
では語としての「まぎゃく」はどうして生まれ、広まったのか。言葉の定着には何らかの理由というか、ニーズがあるはずです。
「真逆」と同様に「真」が付く言葉、付かない言葉を挙げてみましょう。「真上」「真下」「真横」「真ん前」「真後ろ」「真ん中」……なぜか「右」「左」に「真」はなじみません。右や左は、本来はそれだけで真横の右左を表したので、「真」は必要なかったのかもしれません。「右向け右」といえば真正面から90度正確に右に向きますしね。
東西南北は「真東」などと使えますし、今でこそ「真逆」に押され気味ですが「真反対」という言葉も昔からあります。では「まぎゃく」という言葉はどうしてこれまでなかったのでしょう。
正面は「真正面」と強調する場面が必要だったのに、「逆」はそれほどニーズが多くなかったと考えられます。強調したいときは「正反対」「真反対」などといえば十分でした。
そういえば「真逆」が広まった今でも「真逆方向」「真逆向き」「真逆コース」「真逆効果」はあまり使われません。「逆効果」などだけで十分です。このように何か別の語が付くと「真」が付かない傾向があります。
ということは、「逆」という言葉を生かしつつ単独では何か物足りないと思った人が、強調したくて「真逆」を使うのかもしれません。
背景に「逆」の語の軽さ?
つまり「真逆」誕生や伸長の背景には、単独の言葉としての「逆」の印象が軽くなっていることがあると思うのです。
ここで思い出すのは「逆に」の副詞的用法です。何に対しての「逆」なんだろうと首をかしげたくなるような話し方をする人が増えていませんか?
例えば、三省堂国語辞典の「逆に」(「逆」とは別の副詞として立項しています)には、当たり前の「反対に」の意味の他に、こんな記述があります。
③[俗]むしろ。それよりも。「正面玄関で待ってます」「それなら逆にどこかの店で待ち合わせたほうがいい」
これは、三省堂国語辞典にもない言葉ですが「逆提案」の例といえます。逆といっても180度違う案を提示しているわけではありません。単に別の人から別の案が出るに過ぎないのに「逆」を使っているのです。つまり「逆」のニュアンスが拡大しているようなのです。
ところで、もうすぐプロ野球日本シリーズですが、4勝すると日本一なので3勝したチームは「日本一に王手」と書かれます。しかしその相手に後で3勝で並ばれた時、しばしば「逆王手」と呼ばれます。
実態は3勝3敗の五分になっただけで、逆の立場になったわけではありません。にもかかわらず「逆」がテレビなどで使われやすいことは、「逆」という言葉が拡散し意味する範囲が広がっているということの一例かもしれません。
単なる「逆」では軽い――そこで、本当に「逆」だぞと強調するために「真逆」という言葉が発生したのではないでしょうか。それなら「全く逆」といえばいいはずですが、そこはそれ、短い新しい言葉があればそちらに飛びつく人が多いのも世の常です。
それでも、一方で「真逆」をまがまがしいもののように嫌う人がいることも事実です。少なくとも現段階では「俗語」と記す辞書が多いことにかんがみても、書き言葉では状況を考えて、限定的に使うべきではないでしょうか。
来週掲載予定の後編に続きます。後編では「真逆」と「正反対」は同じ意味なのか?などについて考えます。
【岩佐義樹】