「目線という言葉に違和感がある」というお便りを、何度か頂いています。この言葉は社内でも判断が揺れている言葉です。
「目線」という語はもともと、映画・演劇の世界で演技者が目を向ける方向のことを指す言葉でした。小学館の日本国語大辞典には戸板康二さんの著書「楽屋のことば」の一節が引いてあります。それには「役者が演技中に、月を見あげたり、山を眺めたりする時の、目のつけどころを『目線(メセン)』という。視線とはいわない」とあります。同辞典はその記述のあと「②転じて、一般に視線をいう」とあり、現在の使用状況の実態としては「視線」とほぼ同じ意味です。
ほぼ同じ意味ですので、特段のことがなければ「視線」とするのを原則としてきました。毎日新聞用語集は「通常、一般社会で使わない隠語、品位がなく読者に不快感を与えるような語句は使わない。口語体で一般化している俗語も安易に使うことはしない」としていて、「目線」という言葉は2008年ごろから「上から目線」という形で盛んに使われ始めたというその来歴から、「口語体で一般化している俗語」と判断されていたからです。
しかし、その後も使われ続け、現在も頻繁に登場し、定着が進んできました。辞書もその実態を無視できず、ほぼどの辞書も項目語として採用しています。採用した辞書の多くは「視線と同じ意味」ということと「その立場からの見方」という説明をしています。ニュアンスとして「ある立場から見た、という意味を含む視線」が「目線」です。「視線」との違いは「線」より「点」、つまり「視点」(三省堂国語辞典)が強調されていると言えるでしょう。
盛んに使われ出した理由は「上から目線」の流行で、やはり俗語ではあったと思います。しかし、もともと映画・演劇用語として存在した言葉で、辞書も広く採用しており、かなり頻繁に登場するということで、もはや俗語とは言い切れなくなってきたのではないか、むしろ「視線」より「ある立場から見た」というニュアンスがあったほうが読者には分かりやすく、記事の内容が伝わりやすいのではないか、という意見もあります。
俗語であるという原則はまだ完全には崩していませんが、使われることは増えていきそうです。しかし、いただいたお便りから考えればまだまだ違和感を抱かれる方もおられます。うまい工夫ができないか、頭を痛めているところです。
【松居秀記】