映画「シン・ウルトラマン」を見ました。
目次
「メフィラス」は個人名らしい
私が白眉と思ったのは、山本耕史さんがにこやかに名刺を差し出すシーンです。名刺にはこうありました。(予告映像でも見られます)
ここで注目すべき点は、「メフィラス星人」ではないこと。メフィラス星人はテレビシリーズの初代ウルトラマンと互角の戦いをし決着がつかなかった宇宙人ですが、「シン」ではメフィラス星という星から来たかどうかは分かりません。「郷に入っては郷に従う。私の好きな言葉です」と言う彼の行動パターンからすると、名刺にあった「メフィラス」は個人名と解釈すべきでしょう。ちなみに別の「外星人」である「ザラブ」も「ザラブ星人」とは呼ばれていなかったようです。
これは私の中ではコペルニクス的転回でした。あまたの特撮ヒーロー物に出てくる宇宙人は「○○星人」とひとくくりされていましたが、考えてみれば、私たちそれぞれに個人としての名前があるように、星人にもそれぞれ名前があるはずです。その当たり前のことに気づき修正したのは「シン・ウルトラマン」の脚本を手がけた庵野秀明さんの着眼かもしれません。
命名「山本芽開寿」はOK?
さて、メフィラスという名はゲーテ「ファウスト」に登場する悪魔、メフィストフェレスに由来するとされています。ここで一つ、仮の話ですが、メフィラスというのは日本人の名前として許可されるのかという問題を考えてみましょう。
想起されるのは、「悪魔」という名が認められなかった事例です。1993年に生まれた男児に「悪魔」という名をつけ届けた父親が、受理されなかったことで家庭裁判所に不服申し立てをしましたが、結局改名に応じたことがありました。
では悪魔の代わりに「メフィラス」という名ではどうでしょう。やはり常識に照らして受理されないでしょうね。役所の担当者の渋面が目に浮かぶようです。しかし、例えば「芽開寿」とか「明平洲」という漢字で「めひらす」と読ませる名であれば? 担当者によって判断が分かれるかもしれませんが、少なくとも「メフィラス」よりは許容度が上がるのではないでしょうか。
こんなことを考えたのは、法務省法制審議会の戸籍法部会が、戸籍に読み仮名をつける新ルールについての案を示したからです。漢字の読みと関係があれば、いわゆるキラキラネームでも許容される可能性があることが報じられていました。ただし例えば「高」で「ひくし」と読ませる名前は不可かもしれないとのこと。「光宙(ぴかちゅう)」は許容の可能性があるようです。であれば、「芽開寿」なり「明平洲」で「めひらす」と読ませるとすると、漢字と読みの関係だけでは拒否できないことになります。
あとは「めひらす」という読みが子供の幸せになるかどうか、命名権の乱用に当たらないかという判断になります。私は親がどうしてもこの名前にしたいと主張した場合、これを拒否するのは難しいのではないかと素人なりに思います。つまり「山本芽開寿(めひらす)」という名刺を配る男が実際に誕生するかもしれません。
漢字と食い違う読みは受理されるか
――以上は半分冗談ですが、もう少し、現実的で校閲的な話をしましょう。
ある原稿で子供の名前が「樹季(じゅり)」とありました。「り」という読みが正しいとすると季節の「季」ではなく「李」ではないか、というのが当然の疑問です。ところが、本人が書いた字を見せてもらうと、はっきりと自分の名を読み仮名までつけて「樹季」と書いていたのです。
李という字は1981年に人名用漢字になりました。戦後から81年までに子供の名に「李」は付けられなかったのです。つまり、その期間に生まれた人で、「じゅり」という読みの名前を付けたい親にとっては、本来の字とは異なるけれど「樹季」で代用することがないとはいえません。
実際に似た例はありました。あるスポーツ選手が、子供に「昴(すばる)」という名を付けようとしましたが、当時は人名用漢字に「昴」がなかったので、別の字であり本来は読みも異なる「昂」で代用したそうです。
しかし今は「昴」も「李」も子の名に使える字になっています(昴は90年に人名用漢字に)。なぜ「樹季」にしたのか、理由は不明ですし、漢字の違いを認識した上で決めたかどうかも分かりません。それより気になるのは、漢字と読みの関係に着目すると、今後できるであろう新しいルールでは、このようなケースはどうなるのかということです。
戸籍法部会の議事録によると「氏名の『よみかた』については,戸籍事務では使用しておらず、市区町村において氏名の音訓や字義との関連性は現在審査されておりません」。つまり、戸籍担当者は出生届に記された名前の漢字が人名に使える漢字であるかどうかのチェックはするけれど、その漢字の一般的な読みと届けの仮名が合っていなくても受理されているということでしょう。
それが今後は審査対象になることが考えられます。予想されるのは、役所の担当者が親に漢和辞典などを見せ「こちらの字でなくてよろしいでしょうか」と確認することです。しかしそれでも本来の漢字と違う字を主張した場合、「樹季(じゅり)」などは受理されないようにすることができるか。これが今後の校閲にとって関わってくると思われます。
「誤字」排除は子供のためにも
現状では、調べる手段のない一般の人が原稿に出る場合「樹季」は「樹李」ではと疑問を呈することはできても、現に存在していたように、間違いと自信を持っていうことができません。ほかにも例えば「挙児」は「拳児(けんじ)」の誤り、「真似子」は「真以子(まいこ)」の誤りだろうとは思っても、裏付けがない限り確信が持てません。「波璃(はる)」となると「波璃(はり)」か「波瑠(はる)」が正しいのか、それともそれが本名なのか……。「虎(けん)」とあると、この人は寅(とら)年生まれなのか親がタイガースファンなのか、それとも単に「敬虔」の「虔」の誤りなのかと思い煩うことになります。
漢字と読みについてのルールを作るなら、それらの「似ているけど読みの違う字」について原則として認めないようなものにしてほしいと思います。本来は誤字とされる字が排除されるなら、校閲にとって「こんな字と読みの組み合わせはありえない」と指摘しやすくなると思うのです。いや、「樹季」の名などを付けられた子供にとっても、「間違いではないか」と思われることがなくなるので、本人のためになるはずです。
ただし、上記のような例なら分かりやすいのですが、漢字に対してどこまでが正しい読みなのかを判断するのは、なかなか難しいだろうと想像します。いわゆるキラキラネームをどこまで認めるかという観点が注目されがちですが、漢字と読みの関係をめぐっては以上のような議論も必要ではないかと思いました。
【岩佐義樹】