大正時代の実用用語集「ポケット顧問 や、此は便利だ」が平凡社ライブラリーに入りました。新聞に載る用語の解説や、誤りやすい漢字のリストなど、当時のメディア状況がうかがえるとても楽しい本です。校閲として大正期の誤植を探す意地の悪い?楽しみ方もできます。
書店が好きです。ネットで買うのは嫌いなので、必ず本は本屋さんで買います。
あらかじめ欲しい本を決めて買うことも多いのですが、書棚を眺めて「ややっ、こんな本が出ていたのか」という突然の出合いがあることこそ書店巡りの痛快さでしょう。
目次
大正期の活字のまま再現
最近、題名のみ知っていて現物を見たことがなかった本に巡り合い、胸が沸き立ちました。「ポケット顧問 や、此は便利だ」(下中弥三郎・秋永常次郎編、平凡社ライブラリー)です。
初版は1913(大正2)年。平凡社ライブラリーとして110年後の6月に、第24版が当時の活字のまま再現されました。横書きはまだ
版四拾貳第
と今とは逆の並びです。
「例言」には題名の由来などが記されています。一部引用しますが、旧字体は新字体に直しました(以下同じ)。
日常の談話に上(のぼ)り、新聞・雑誌に現(あら)はるゝ新意語・流行語・故事熟語の中、やゝ難解のものを蒐(あつ)めて簡明に解説を試み、更に、実用文字便覧をも附して一冊となし、友(とも)に示して批評を乞ひしに、友、頁(ページ)を繰りつゝ微笑して曰く、『や・此(これ)は便利だ!』と。これ、本書の名ある所以なり。
「新聞語解説」の「新しい女」今は
「第一篇 新聞語解説」を開くとこんな項目が目に留まりました。
新(あたら)しい女(をんな)
(一)従来、男子に対して、絶対的に、盲従(もうじ)し来れる婦人の境遇より覚(さ)めて、婦人も人間である、人間である以上、人間(にんげん)(人格)として取扱はれたいとの要求の下に、自覚的(じかくてき)に活動せんとする婦人の総称。
(二)右の如き真面目(まじめ)なる主義主張のあるではなく、徒らに、現在の不健全なる言論に煽動(おだて)られて、徒に奇(き)を衒(てら)ひ、新を喜び、我がまゝ勝手なる振舞を敢てして得意がる一群の婦人を侮蔑(ぶべつ)的意味で呼ぶ語。
最初の方の「盲従」のルビが「もうじ」となっているのは「もうじう」の脱字でしょう。それはともかく(一)と(二)で大正デモクラシーの光と影が表れていますね。しかし、現在の私たちはこの頃より進歩しているでしょうか。例えば森喜朗元首相の「女性のたくさんいる理事会は長い」「(ここにいる女性は)わきまえておられる」という女性蔑視・分断発言を思い出すと、100年たっても変わらない現状に暗然とします。
「ガール・スカウツ」は「少女兵団」?
「新聞語解説」のページをめくるとこんな項目も。
オリンピック競技(きやうぎ)(Olympic-gameゲーム)
往古、希臘にては、オリンピア祭とて、四年目毎にオリンピア(地名)に於て盛なる大祭行はれ、(中略)千九百十二年の競技には、我が国よりも金栗、三島の二選手を送つた。
おおっ、これは大河ドラマ随一の名作(私の中で)「いだてん」で描かれたストックホルム大会ではありませんか――と、軽快なテーマ曲とともに名場面がよみがえってきます。それはともかく「いだてん」の副題は「東京オリムピック噺」。擬古典的な雰囲気を出そうとしたのかもしれませんが、大正の当時でも必ずしもそう書かれていたわけではなかったことがうかがえます。
そのすぐ後には「ガール・スカウツ」があります。語釈を読むといろいろな意味でぎょっとします。
少女斥候隊。少女兵団。少女義勇団などいふ。ボーイ・スカウツに傚ひて、少女にも硬教育を与へ、社会生活の意義を理解せしめんとする新運動。
斥候とか兵団とか、物騒な語は日露戦争後も平和になっていない世相を表しているのでしょうか。
や、これは誤植だ
「出典・用例を知らないでは、十分意義を解することのできぬ語・句」という部分では「言語同断」という文字が目に飛びこんできて「や、これは誤植だ」と言いたくなりました。
言語道断の誤りですよね。ただし、このころ「同断」も誤りとされていなかった可能性もあります。というのも、大漢和辞典は「言語道断」の後に「言語同断」も載せているからです。言語道断に同じとあります。
しかし、同じ本の「書き誤り易い熟字」のリストの中にちゃんと「言語道断 同断ではない」と書いてあるではありませんか。単純な誤植だったようです。
ゴキブリではありませんが、一つ誤字を見つけると他にもあるんじゃないかと思うのが校閲者の意地(の悪さ)。果たしてぞろぞろ出てきます。
不倶載天の敵 「倶に天を戴かず」
とあります。「ふぐたいてん」の「戴」が「載」と誤っています。読み下しでは正しい「戴」が入っているし、「書き誤り易い熟字」の中でも「頂戴 頂載ではない。反対に、搭載・記載・掲載の載を戴と誤つてはならぬ」と戒めているのですが。
「常用の翻訳語・外来語・新意語」にはこんな記述が。
ホニームーン(Honey moon)
新婚の当月。新婚旅行。(所謂「密月(みつづき)の旅」)
ルビが「みつげつ」ではないところがいかにも当時の新語ではありますが、見つめると「密」の表記も違います。これも、「誤り易い類似文字」の項で「密」は秘密、「蜜」は蜂蜜に用いるという使い分けが記されているので、明らかに当時でも誤りです。
「や、此は便利だ」にはこんな文もあります。
日常用ふる文字の中には、書き誤られた文字を発見することが少なくない。前後の関係上、意味の通ぜぬでもないが、さりとて、黙過するにも忍びぬ。
それで気をつけようと誤字のリストまで作ったにもかかわらず同じ間違いをしているのは、ちょっとした悲喜劇といえるでしょう。専門の校正者を通していたのでしょうか。
誤植指摘はブーメラン
そうそう、こんな項もありました。
非喜劇(Tragicトラジツク-comedyコメデイ)悲しみの中に滑稽味を帯ばしめ、滑稽を目的としながら悲しむべき材料を取扱ふ一種皮肉なる諷刺劇。「泣き笑ひ」といふ深みのあるものもあるが、単に人を愚にした如き軽いものもある。
「非」は「悲」の間違いと思われます。ただ、当時はそう書かれていたのかもしれないという可能性も捨てきれません。というのも「悲運」とは別に「非運」という熟語もあるからです。単なる悲劇にあらず、という意味の「非」として通用していたのかも。
しかし、念のため古い辞典類でいくら探しても「非喜劇」は見つかりません。つまり規範となる表記がなかったとはいえ、意味から素直にとれば「悲喜劇」とするのが正しそうです。
なお、悲しいことに、毎日新聞のデータベースに落語の「目黒のさんま」で「世情にうとい殿様の非喜劇」と出てきました。1998年なのでいくらなんでも「当時はこういう書き方もあった」と言い訳することはできません。
確実に校閲記者が見ていたはずの紙面です。人の誤字を面白がっている場合ではありませんでした。
【岩佐義樹】