インターネットの世界で、サービスに料金を支払うことを「課金する」と言う人が増えてきました。課金とは読んで字のごとく金を課す、つまり「料金を負わせること」(広辞苑)で、本来は逆の意味です。しかしオンラインゲームかいわいなどでは今や、この辞書的な意味とは反対の用法が支配的であると言ってよいでしょう。「募金する」が「お金を募ること」ではなく「お金を寄付すること」の意味で広く使われる現象と非常に似通っていて、興味深いところです。
そもそも「課金」という言葉は今までどのような場面で使われてきたのでしょうか。新聞のデータベースを検索すると、高速道路や各種インフラの料金体系に関する記事が多く(「距離に応じて課金」など)、レジ袋の有料化に関する記事などもありました。いずれも決まれば一律に料金が課される性質のものです。課金に応じるかどうか、お金を払う側の意思で細かく選択するサービスが普及したことで、言葉に新たな意味が加わったということでしょうか。払う側の意思によるという点では「募金」との共通性も感じます。
新聞では、「課金」も「募金」も意味がひっくり返った使い方は避けるようにしています。「課」や「募」という漢字の意味からして、どうしても一定の違和感は残るだろうと思われます。原稿中に適切でない「課金」を見かけた際には単に「お金を使う」とするなど工夫しますが、まさにオンラインゲームの現状に関するインタビューの記事など、機械的に直しづらいケースも出てきました。子供とスマートフォンの問題を探る連載「スマホっ子の風景」(大阪本社版)の昨年の記事では、「課金」の言葉は生かしつつ意味の説明を補っています。
新しい「課金」の用法は、今後さらに広く使われるようになるでしょう。言葉の移り変わりは時代を映す鏡です。適切な日本語を探りつつ、時には新しい言葉や用法と読者との懸け橋になる。これもまた、新聞の役割と考えています。
【植松厚太郎】