「願わくは」と「願わくば」のどちらを使うか伺いました。
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「願わくば」がやや優勢
「願うことには」核廃絶が実現してほしい――カギの中を言い換えるならどちら? |
願わくは 38.6% |
願わくば 45.6% |
いずれも言う 15.8% |
「誤用」とされる場合もある「願わくば」が4割超でやや優勢でしたが、「願わくは」との差はそれほど大きくはありません。「いずれも言う」を含めればともに過半数となり、両方ともよく使われていることがうかがえます。
由来の確かな表記は「願わくは」
回答から見られる解説では「願わくば」について、個人的に気にならない「誤用」だと書きましたが、国語辞典などには誤りとするものがあるのは事実です。「誤用」を厳しく判定する印象が強い明鏡国語辞典2版では「動詞『願う』のク語法『願わく』に助詞『は』の付いた語。慣用で『願わくば』ともいうが、本来は誤り」としています。確かに「は」が助詞であるなら普通は濁音にはなりません。
明鏡の説明に出た「ク語法」とは、動詞の「活用語の語尾に『く』がついて全体が名詞化される」ものです(日本国語大辞典2版)。例としては「惜しむらく」「恐らく」のようなものが挙げられます。「惜しむらくは」「恐らくは」とは言っても、「惜しむらくば」「恐らくば」などとは言いません。「願わくば」はだいぶ旗色が悪いようです。
「願わくば」も江戸時代から使われる
文化庁の「ことばに関する問答集8」(1982年)でも「『願わくは』か『願わくば』か」としてこの話題に触れています。「願わくは」が本来の形であることを示して「願わくば」と濁るのは「口語的」だとしつつ、濁音になる理由を以下のように説明します。
これは江戸時代から見られるが、当時「なくば」(ないならば)「ほしくば」(ほしければ)のように、形容詞に接続助詞の「ば」をつけた仮定の言い方があって、その「くば」と混同したところから起こったものであろう。
「願う」は「願わしい」という形容詞の形も取ることがありますが、そこからの派生形なら「願わしくば」となるはずです。意味も「願わくは」とは異なるでしょう。
しかし一方、日本国語大辞典が「語源意識が失われて『願わくば』とも」と言うように、こうした語源に基づいた語形の意識は、かなり早い段階であいまいになっています。「問答集」も「江戸時代から見られる」としていますが、日国も「ねがわくば御介錯(かいしゃく)と押肌脱ぐを」と江戸時代の浮世草子「新色五巻書」の用例を挙げています。広辞苑7版も「願わくは」の項目で「江戸時代ごろからネガワクバともいうようになった」としており、「願わくば」への変化には歴史的な厚みがあることを示しています。
「誤り」を越えて定着する言葉
その他の辞書においても、回答から見られる解説で触れたように、岩波国語辞典は8版で「今は『願わくば』とも言う」と、「誤用」を取り下げ。大辞林4版や大辞泉2版のように「願わくは」の項目中に「『願わくば』とも」と併記するものもあります。新聞社・通信社の用語集でも同様に、「願わくは」の項目において「『願わくば』とも」と併記するものが多数派で、毎日新聞のように「願わくは」一本というのは少数派になっています。
言葉の元の形を意識するというのは大事なことではあるのですが、現に使われている形が元のものから外れている場合でも、「誤り」と退けるのは厳し過ぎるという印象を持つこともあります。「願わくば」もそのような例です。今回のアンケートの結果から見ても十分な広がりを持っており、また歴史を経た使い方である「願わくば」は定着したと考えてよく、現在では「願わくは」とともに一般的な言葉になったと見なしてよいのではないでしょうか。
(2019年12月27日)
岩波国語辞典(岩国)の8版が出版されました。これまで岩国で「誤用」としていたものの一部について、8版で「俗用」などとスタンスを変えたという当ブログの記事を読んで、へーっと思うところが少なくありませんでした。
自分でも探そうかと引いてみたのが「願わくは」。本来の言い方から外れる「願わくば」という形もよく見かけますが、岩国7新版では「『願わくば』は誤り」としていました。毎日新聞でも「願わくは」と書くように用語集で案内しているのですが、ここだけの話、校閲記者にも気にならない「誤用」があって、出題者にとって「願わくば」はその一つ。べつにいいじゃない、うちの田舎では何にだって濁点が付くよ(というのは誇張ですが)、と思いながら紙面では直すようにしているわけですが。
岩国の8版を見ると――記述が変わっている! 上記の「誤り」としていたくだりが「今は『願わくば』とも言う」となっています。やっぱりねえ、話が分かるじゃないか、毎日新聞用語集も次の版では変えるように提案しようかしらん。
皆さんも「願わくば」で構わないと考えているなら、変更のいい後押しになるかもしれません。そんな下心もありまして、この場を借りて伺ってみることにいたしました。
(2019年12月09日)