「見え心地」という言い回しについて伺いました。
目次
「違和感強い」が6割占める
快適な「見え心地」のサングラス――カギの中の言い回し、どう感じますか? |
問題ない 6.8% |
違和感はあるが、分かるので許容できる 31.5% |
違和感が強い。「見え具合」などとしたい 61.7% |
「見え心地」という言い回しをどう感じるかについては、「違和感が強い」とした人が6割を占めました。出題者がサングラスの広告ポスターで見た表現ですが、普通に使える表現とは言いにくいようです。
「…心地」は「…してみての気分」
「ここち(心地)」は「物や事に接したときの心の状態。気分。気持ち」(大辞林4版)という意味で使われますが、動詞の連用形や名詞につく接尾語としても使われます(その場合は「ごこち」と濁ります)。出題者が見た辞書の中で唯一「ごこち」で見出し語を取っている三省堂現代新国語辞典6版は、以下のように説明しています。
ごこち【心地】〈接尾〉[動詞の連用形や名詞に付いて、名詞をつくる]①…してみての気分。「乗り心地がよい」②…のような気分。「まるで夢心地です」
今回の質問で取り上げた「見え心地」は、「見える」が動詞なので①の説明に沿うはずです。しかし、「乗り心地」であれば「乗ってみての気分」として理解できますが、これをそのまま「見え心地」に当てはめると「見えてみての気分」となり、なんだか変な感じがします。
「見え心地」が不自然なのは…
これは「見える」が人の意思によって左右される動作ではなく、「…してみての気分」の形になじまないせいでしょう。「見える」の説明として岩波国語辞典8版は
①目に感じられる。目にうつる。「山が見える」「幽霊の姿がありありと見える」「目に見えて少なくなる」②見ることが出来る。視覚が働く。「ネコは夜でも物が見える」「目が見えない」
と言います。①②とも、何かが目に入ってくる、または見ることができるというのはおのずから起こることであって、「してみよう」と思ってすることではありません。
また「着心地」「居心地」のような形を取る動詞は「(私が)服を着る」「(私が)その場に居る」というように、少なくとも潜在的に人を主語とするのに対し、「見える」の場合は「山が見える」「幽霊が見える」などのように人を主語に取りません。「心地=気分」を感じるべき主体が主語にならないという点でも、「見え心地」というのが不自然に感じられるのはもっともなことに思えます。
広告ならではの表現か
今回取り上げた「見え心地」という言葉は、出題者が眼鏡店の広告のポスターで見かけたものでした。おそらく広告としては、見た人に「おやっ?」と思わせて注意を引くことができるなら、違和感のある言い回しだとしても問題ないと考えているのでしょう。人目を引くための表現として捉えるなら、あえてとがめ立てする必要はないのかもしれません。
ただし、私たちが自分で文章を書く場合には、「見え心地」のような言い回しをあえて使う必要はないだろうと考えます。「目に優しい」「見やすい」「はっきり見える」など、他の言い回しにすることをおすすめします。
(2021年11月30日)
眼鏡店のポスターに「見え心地」という言葉があるのを見かけ、「ん?」と思いました。最初に感じたのは「見心地」ではなく「見え心地」なのか、ということでしたが、少し考えると引っかかった理由はそこだけではないように思えてきました。▲「着心地のよい服」「座り心地の悪い椅子」「快適な乗り心地の車」などという具合に、「動詞の連用形+心地」で「○○したときの心持ち、気分」という意味を表します。基本的に「○○する」には能動的な動作が入るのですが、「見え心地」の場合の動詞は「見える」。「目に感じられる。目にうつる」(岩波国語辞典8版)という意味で、見ようとしなくても目に入るのが「見える」で、能動的な動詞ではありません。これに「心地」を付けることができるのかどうか。▲しかし「聞き心地のよい音楽」という言い回しが楽曲の心地よさについて述べているのに対し、音質の良いヘッドホンについて言及するなら「聞こえ心地のよいヘッドホン」になるのかもしれません。であれば「見え心地」も可能なのか。しかしそもそも「見心地」という言い回しもほとんど見たことがないような……考えるべきことはまだありそうですが、まずは皆さんの意見を伺いたいと思います。
(2021年11月11日)