新聞社や通信社、放送局の用語担当者が集まり、報道の言葉遣いや表記について話し合う日本新聞協会の新聞用語懇談会。その委員を約20年務めた元産経新聞校閲部長の時田昌さんと、やはり用懇参加が長かった毎日新聞の軽部能彦・元用語幹事、岩佐義樹・元校閲センター部長が、新聞の漢字制限緩和や交ぜ書きへの対応などさまざまな難題があった“用懇生活”を振り返りました。
【まとめ・宮城理志】
1962年、東京都生まれ。86年産経東京校閲センター編集校閲部に校閲記者として入社。入社後、一貫して校閲職。用語委員、校閲部専門委員、校閲部長を歴任。新聞協会用語懇談会委員を約20年務めた。2019年3月退職。現在は、フリーランスとして単行本や各種著作物、ウェブ媒体原稿などの校閲・校正にあたる。また、日本語に関する研修・講座などや執筆活動にも取り組む。初の著書『文法のおさらいでお悩み解消!スッキリ文章術』(ぱる出版)が19年11月に出版。→Twitter
軽部能彦(かるべ・よしひこ)
1955年、山形県生まれ。82年毎日新聞社に校閲記者として入社、一貫して校閲職。元用語幹事。現キャリアスタッフ(嘱託)。92年版から2013年版まで本格的に「毎日新聞用語集」の改訂に携わる。新聞協会用語懇談会には平成の初めから約20年の参加歴があり、議長を2度務める。→関連記事:「2年目の校閲記者が37年目のベテランに聞く」
岩佐義樹(いわさ・よしき)
1963年、広島県呉市生まれ、広島市育ち。87年毎日新聞社に校閲記者として入社、整理(編集者)1年を除き一貫して校閲職。用語幹事、校閲センター部長を歴任。現在、一校閲部員として働きつつ「サンデー毎日」の連載コラム「校閲至極」などに寄稿。 著書に「毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術」(ポプラ社)→紹介記事、「春は曙光、夏は短夜 季節のうつろう言葉たち」(ワニブックス)→紹介記事。
年2回全国各地で行われる総会、ほぼ月1回、協会の事務局がある東京都千代田区内幸町の日本プレスセンタービルで行われる関東地区幹事会のほか、関西地区幹事会、放送分科会がある。
目次
話し合い重視の「懇談会」
岩佐:本日お集まりいただいたのは、日本新聞協会の用語懇談会(用懇)の委員を長く務めた3人が、昔を振り返りつつ、新聞用語の表記原則はどういうふうに決まっていくのかを伝えたいといった趣旨です。
さっそくですが時田さん、何年ごろから用懇に参加していましたか?
時田:1999年です。当時デスクでした。各社の重鎮がいましたね。
ふだん校閲の仕事をしていると、外との接触がないので、表記の原則がどう決まるのか分かったのは用懇に出るようになってから。各社同じように悩んでいると知って刺激を受けました。
岩佐:私は2001年から。協会の用語集改訂のために方針を決めようとする段階でした。今年退会しました。
新聞・通信各社はそれをもとに独自の判断や情報を加え用語集(ハンドブック)を出してそれぞれの記者に配布している。各社の用語集改訂スパンは協会のそれより短い。
軽部:私は90年ごろから2011年まで。出席者は、各社の看板もあるが、個人の考え・意見を言えるという点がありがたかった。自社の政策を反映・浸透させたいということとは別に、一つ一つの点に関して個人的にどう考えるかを言えるのはよかったと思います。
時田:社の方針は変わるもの。場合によっては校閲幹部が押し戻すこともある。そういうことを抱えながら用懇の場に行くと、我々一人一人の意見を交換することになる。名前が(新聞協会内の他の主な組織は委員会だが)「懇談会」というのがポイントでしょうか。
軽部:話し合いを重視するから、多数決で決めるようなことはありませんね。
時田:部数による力関係もない。地方紙の意見も貴重です。テーマごとの小委員会では、もう社のことは関係なく私見を出し合ってまとめるのが楽しくなってくるんですね。時間はかかりましたが。
用語懇談会関東幹事会の朝日、読売、毎日、日経、産経、東京、共同、時事、NHK(民放から加わる場合もあった)から委員が1人ずつ集まって議論し、幹事会に経過や結論を報告していた。
時田:用懇の場では各社の質問が来て、結構シビアでしたね。泊まり明けのあと用懇で、そのあと小委員会があったりすると「もう早く決めてくれ」と思ったり。鍛えられました。
岩佐:用懇のあと小委員会、さらに店で飲みながら話しても結論が出ず、閉店後は路上で車座になって議論したこともあります。
軽部:今もまだ小委員会はやるんですか?
時田:私が退会したときは、原則として月1回の幹事会と年2回の総会でした。しばらく、小委員会は開かれていません。だから時間がかかる。小委員会制でよかったのは、前もって各社の意見を集められたこと。その場でやるとダラダラしますから。
「使える字」拡大、「毎日」が先行
時田:発言の順番がいつも決まっている(朝日、読売、毎日、日経、東京、産経の順)から産経の番へ回るまでに言うことがなくなってくる。他社と違う角度から発言をするよう鍛えられました。
軽部:ずけずけものを言う方もいれば学者っぽい方もいて面白かった。
時田:私は社の見解とは別のことを言うときに「個人的な意見ですが」とつけていました。
岩佐:私もそれをつけて個人的な意見ばっかり言っていましたが。
軽部:でも受け取る側は「毎日の岩佐氏が言った」と伝える。それを聞いた人は「毎日が言った」となり、結局個人名なしで伝わることも。
時田:それをある程度考慮して言わないといけません。
軽部:昔、部長があまりにも個人的な意見を言うので、隣で「えっ、ちょっとちょっと」と焦りましたよ。
岩佐:その部長が、使える表外字を増やそうかという時期に、読者が漢字をどのくらい読めるか、販売店を通して調査しましたね。
新聞協会の用懇では01年秋に表外漢字39字を常用漢字並みに扱うことを決定、07年「新聞用語集」に収録された。そのほとんどが10年に常用漢字に追加されている。
軽部:支局などにどういう漢字を使えるようにしたいか聞いたが、読者が読めているかは分からないので、販売店を通して調べることになりました。集金のときに購読者に読み仮名を付けてもらう調査をすると、「破綻」などはなかなか読めない字だとわかった。
岩佐:そういうことをやるパワーはすごかった。
時田:うち(産経)はあまり他社に先駆けてルールを変えるフライングはしなかったが、朝日さんや毎日さんは時々ドーンとくることがあった。
軽部:ドカンとフライングするときは、用懇ではちょっぴり小さくなっていました。常用漢字の範囲で書きましょうと言う舌の根も乾かぬうちに広げたりしたものだから。
時田:新聞協会が表外漢字39字を常用漢字並みに扱うと決めた時期(01年)よりだいぶ早かったんですね。
「交ぜ書き」でスタンス割れる
軽部:常用漢字の拡大の時、新聞協会の議論に距離を置いた社があった。ただこちらとしては協会でまとまって意見を出そうとしていました。
時田:協会でまとめたうえで、付帯意見という形にした。あの時が最も意見の開きが大きかったと思います。
軽部:少し間に合わないかもしれないとさえ思われました。
時田:協会としては、よってたつ基盤が常用漢字なのだから、そこからあまりずれるのは良くないので答申どおり認めるのを原則として、その中に読めない漢字があるのなら新聞独自で変えようと。(常用漢字に「挨」「拶」が追加されたが)今でも「あいさつ」を漢字で書く習慣が定着したとは思えません。
ただ各社の編集幹部の考えが違ったのかな、あの時が一番各社の地が出たようです。戦後の新聞の交ぜ書きの習慣も必要悪と考えるかどうか、というふうな違いがあって。
軽部:「だ捕」「ら致」をルビに変えたあたりから交ぜ書き議論が続きました。
時田:交ぜ書き問題検討部会を思い出します。山一証券の破綻(97年)で「破たん」がたくさん出てくるのが不評でした。盛岡の総会(98年)などでも「破たん」「補てん」が目立つという意見が多かったと聞いています。「ら致」のように前の字を平仮名にする読みにくいパターンと違って後の字だけれども、経済用語で二字熟語が多い中で交ぜ書きが入っていると違和感が強いという意見もありました。
総論はみな同意見だが、ではどうやって常用漢字以外を認めるかで紛糾。まず使える字を増やす単漢字の話をしてからということになったようです。一方、読売から「交ぜ書きもある程度安定した日本語表記で、常用漢字の範囲内で書く以上、当然のこと」という声も出て、もめた記憶があります。
「産経と朝日」対「毎日と読売」!?
岩佐:その読売の委員が用懇を辞めるときのあいさつで「大学で教えているが、今の学生は本当に字を知らない。難しい字を紙面に出すとますます新聞離れが加速する」と言っていました。たしかに新聞はエリートだけでなく一般大衆が読む物だし、例えば常用漢字になっても看板などで「皮ふ科」「処方せん」と交ぜ書きが多いのは、一般の人がどれだけ読めるかを考えて作られているのかもしれない。
私は用懇に参加した当初交ぜ書きが大嫌いで、強硬な交ぜ書き反対派の産経委員と共闘して交ぜ書きを排除するつもりでしたが、だんだんと全面的に排除するのもどうかと思うようになりました。産経と朝日が交ぜ書きをやめる派、読売と毎日があまり表外字を増やしたくない派というように、政治的社論と関係なくスタンスが分かれたのが面白かったですね。
時田:校閲はイデオロギーとは関係ありません。戦前の総ルビよりは交ぜ書きのほうがいい。「けん引」「けん制」は市民権を得ている表記でしょう。
岩佐:このたびの毎日新聞用語集改訂で「牽引」は少し手を加え、「引っ張る」「先導」「リードする」という言い換えだけ示していたのを、実態に合わせて交ぜ書きも追加しました。
「けん制」は以前から交ぜ書きを認めていたので、それに合わせた形です。「けん制」は見出し単独で使ったり、行間が狭くルビを振れないスポーツ面で頻出したりという作り手の事情があったので。
一致目指し「言い換え」案
時田:だが、漢字制限がきつくなりすぎた反省もあります。書く側からすれば易しい漢字の語に言い換えるとインパクトがないなど、使う側と読む側の折り合いをどうつけるか、それぞれの立場からの議論で考え方の違いがみられました。
意見の一致点を見いだすために言い換えを増やそうという話になった。新聞記事で前後関係の例を調べて文脈に合う言い換え案を出し合い、大変だったがこれが後に生きました。
使う側の論理とは別で、我々校閲としては原稿に出てきたものを、文脈を変えずに当てはめられる言葉に言い換えたい。そういうものを考えようということで、観念論でなく実態に即したものを目指したのがよかった。できるだけ言い換え優先で、言い換えられないものだけルビ付きと産経はしました。
その頃から、協会としては両論併記、各社対応というケースが増えたように思いますが、個人的には、新聞や放送で社によって言葉の使い方が違うのはどうなのか、基本的なことは一致したほうがいいのではという疑問は持っていました。
軽部:協会の新聞用語集の前文に、96年版は「報道界の表記の基準である」。07年版では、見解が分かれた表記について「併記し各社の判断に委ねることになった」。その間で各社の対応が分かれだしたという現実があり、新聞用語集は各社の用語政策に対する規範的性格が強いものなのか、それともよりどころという緩やかな性格なのかと考えてしまいました。
新聞独自の「代用字」
岩佐:私が参加し始めた頃、「萎縮→委縮」など新聞独自の書き換え(代用字)の議論もあった。
「風光明媚→風光明美」については「すばらしい」との声がある一方で「明美が『あけみ』さんに見える」と批判も出て、これはすごい対立点のある所に来てしまったと思いましたね。
時田:国語審議会でなく新聞界独自の書き換えですね。「萎縮→委縮」は筋萎縮症の記事などで相当違う感じがあったし、「橋頭堡(きょうとうほ)→橋頭保」などはさすがに無理がありました。
これらを広げる形で新聞では「詭弁」(きべん)を「奇弁」、「橋頭堡」(きょうとうほ)を「橋頭保」と書く独自の書き換えを行っていたが、新聞協会は02年に詭弁、橋頭堡などについて本来の字を読み仮名付きで使うことに決めた。しかし、合意を得られず07年の用語集で「披歴・披瀝(ひれき)」「風光明美・風光明媚(めいび)」などと併記し各社判断にゆだねた語もある。
岩佐:書き換えが定着したものもありましたね。「醵出→拠出」など。
時田:「名誉毀損(きそん)→棄損」は定着しなかった。
軽部:「禁錮→禁固」も新聞独自でした。結果的に毀も錮も常用漢字に追加されました。
時田:手書きからワープロ変換で字を出せるようになったことは大きかった。
国語審の代用字にプラスして新聞独自の書き換えをしてきたものをまた見直すことになり、時代によって使える漢字の制限が変化することにどう対応していくかで苦労しました。既に根付いた表記もあり性急に全部変えるわけにはいかない。何となく交ぜ書きを減らす方向は一致しても、細かい方法論が一致しませんでした。
常用漢字改定に際し国に要望書
岩佐:国の常用漢字改定の議論は、新聞の交ぜ書きなどの議論が一段落しつつある頃に始まったんですよね。
時田:交ぜ書き検討部会の審議結果が総会で了承されたのが03年、常用漢字改定についての文部科学相から文化審議会への諮問が05年でした。
軽部:常用漢字改定では既に新聞で使うと決めた39字を何とか入れてくれと、協会の用語専門委員で国の文化審議会漢字小委員会委員だった金武伸弥さんを介して運動して。
岩佐:要望文書をまとめる際も各社の文言調整が大変で。
時田:結果、新常用漢字は予想以上のボリュームだった。その割にはあまり交ぜ書き解消にならなかったようですが。
岩佐:使用頻度という数を基準にしていたからでしょう。「誰」とか「俺」とか漢字で使えても交ぜ書きとは関係ないし。
時田:こういう言い方をする人もいた。「闇(2010年に常用漢字入り)とか噂(うわさ=現在も表外字)とか、社会にあるものを漢字で書かせないのはどうか」と。やがて社会に出れば目にする言葉なのに、新聞がとぼけるわけにいかないだろうという話です。突っ込みどころもあるが、趣旨はわかる。どこで折り合いを付けるかということです。
ただし新聞社として一番気にしたのは、読めているかどうか。それには調査が必要。新しい常用漢字が教育で浸透して一般に読まれるのか。一般社会人が読める、と文部科学省がいうなら、本当に読めているのかの調査は政府が行わなければならないでしょう。
岩佐:それを政府がしないので、各新聞社が入社前後の新卒社員にテストしたりするしかなかったですね。
時田:NHKの調査がなければ新聞も判断のすべがなかった。
軽部:NHK放送文化研究所の「全国高校3年生・漢字認識度調査」(2009年、1万1494人回答)ですね。あれは大きかった。
岩佐:「進捗」の正答率がわずか2.1%でした。
軽部:「嫉妬」は98.1%と、ほとんどが読めていました。
時田:書けるかどうかはともかく、読める字は何かということが分かった。
時田:あの頃は国語政策の節目で、一生懸命国に物申していました。それが用懇の重要な責務、つまり一般の目に触れることの多い印刷物としての責務、本分だと思います。
(つづく)