久しぶりの「『差別語』を考えてみる」シリーズ、今回は4月2日の世界自閉症啓発デーにちなみ「自閉症」関連の言葉について。診断名は「自閉スペクトラム症」「知的発達症」などとなり、転換期を迎えているようですが、誤解や偏見を生む書き方にも要注意です。

4月2日は世界自閉症啓発デー。毎年、東京タワーなど主な施設が青色にライトアップされ、新聞でも取り上げられます。ということで今回「自閉症」とその関連の言葉について考えます。タイトルに「差別語」と付いていますが、念のためおことわりしておくと、「自閉症」という言葉そのものが差別語という趣旨ではありません。
目次
性格とは全く無関係
自閉症や知的障害に関する用語は今、転換期を迎えているようです。私は医療の専門家でも医療関係担当の記者でもありませんが、校閲記者としては用語に無関心ではいられません。本コラムでは現在では不適切とされる表現もあえて出し、差別感情を起こさせないために用語の整理をしたいと思います。
まず個人的な思い出から。今から50年くらい前、小学校の同窓会で私は自分が「自閉症みたいになって」と言った記憶があります。今思うと、自閉症の何たるかも知らず単に「自分の殻に閉じこもり人とほとんど会話をしない状態」、当時流行していた言葉でいえば「根暗」の意味で使っていました。
こういう誤用は私だけではありません。例えば毎日新聞で1990年代、「『おたく』と呼ばれる若者たちは暗く自閉症的」という文言が外部ライターによって書かれ、問題になったことがありました。また、石破茂さんも防衛庁長官時代に自衛隊のアピール不足を「自閉隊」と表現し物議を醸したことがありました。
今はその手の表現をあまり見かけないので、理解が進んでいるのかもしれませが、確認しておきましょう。自閉症は発達障害の一つとされ、個人の性格や引きこもりとは根本的に異なるものです。「的」を付ければ許されるというものでもないことは、例えば「盲目的」という言葉がネガティブな比喩なので不適切ということと同様です。
診断名としては「自閉スペクトラム症」
ところで、今「自閉スペクトラム症」という用語を目にすることが増えてきました。これと単なる「自閉症」はどういう関係になるのでしょう。
2025年1月9日の政府広報オンライン「発達障害って、なんだろう?」にはこうあります。
自閉症は、「言葉の発達の遅れ」「コミュニケーションの障害」「対人関係・社会性の障害」「パターン化した行動、こだわり」などの特徴をもつ障害です。最近では、自閉症スペクトラムと呼ばれることもあります。
これだけ見ると、同義語の扱いに見えます。
しかし、26年2月12日「発達障害に気付いたら?大人になって気付いたときの専門相談窓口」には「自閉症」という言葉は見あたらず、「自閉スペクトラム症」に統一されています。
これはもしかしたら、政府としては「自閉症」を「自閉スペクトラム症」に用語変更する表れなのでしょうか。単なる「自閉症」だと不適切と判断されたのでしょうか。この疑問を厚生労働省に電話で尋ねてみました。
担当者によると、「自閉症」は発達障害支援法に書かれており、法律や一般の語としては不適切という扱いにはなっていないとのことです。ただし、26年1月19日に「官報」で病名の区分が発表され、世界保健機関(WHO)による診断名Autism Spectrum Disorderの和訳として「自閉スペクトラム症」が掲げられたといいます。したがって正式な診断名は「自閉スペクトラム症」となっているのですが、現在は「過渡期」ということでした。
私が調べたことを多少補足すると、精神疾患の診断基準としては米国精神医学会が制定したDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)というマニュアルがあります。これは文字通り精神的な病気などに特化した基準で、現在第5版のDSM-5が最新です。
これとは別に、WHOが肉体の傷病も含めた全般の病名とコードを示したリストがあります。それがICD(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)で、厚労省ホームページでは「疾病及び関連保健問題の国際統計分類」と訳されています。現時点ではICD-11として来年1月に施行される予定となっています。
DSMは米国の、WHOは国連の組織なので、WHOの方がワールドワイドです。ただし米国精神医学会は世界をリードする学会なので、今回の自閉症に関する分類もどうやらそれに基づいています。
Autism Spectrum Disorderの訳としてはこれまで「自閉症スペクトラム障害」「自閉症スペクトラム」などもありましたが、官報に掲載されたことで、今後は「自閉スペクトラム症」に収れんする可能性が高いと思われます。
「スペクトラム」とは?
ちなみに、24年7月発行の「Newton別冊 精神科医が語る 発達障害のすべて 改訂第2版」にはこうありました。
以前は、「自閉症スペクトラム障害」という表記も使われていましたが、最近では、障害ではなく、生まれつきの特性であるという考え方から、「自閉スペクトラム症」という呼び方が一般的になりつつあります。
ただ、いちいち「自閉スペクトラム症」と書くと長いので「ASD」という頭文字が増えていくことでしょう。とはいえ、それでなくても発達障害に関しADHD、LDなどアルファベットが多いので、正式な診断名とは別に一般の人向けに「自閉症」は使われているのが実態なのではないでしょうか。
ここで、私なりに「自閉症」という言葉のさまざまな使われ方をまとめてみます。
①「自閉スペクトラム症」の略としての「自閉症」
②「自閉スペクトラム症」の旧称としての「自閉症」
③ICDの改訂で旧称となった「アスペルガー症候群」を分かりやすく言った「軽度の自閉症」(④⑤含め「広汎性発達障害」とされていましたが、「自閉スペクトラム症」にまとめられ「アスペルガー症候群」も旧称になりました)
④旧称としての「高機能自閉症」(知的な発達の遅れを伴わない)
⑤「古典的な自閉症」(知的な発達の遅れを伴い、「重度の自閉症」と言われることも)
⑥医学的な基準としては「自閉スペクトラム症」と診断されると限らないないものの、それに近いグレーゾーンとしての「自閉症」
これらはきっちり分けられるものではなく、だいたい重なって用いられます。例えば「自閉スペクトラム症」という診断名が登場する前は「お子さんは自閉症」などと医師が言っていたはずです。その人が今「自閉スペクトラム症」という診断名に変わったわけですが、それを分かったうえでも関係者が「自閉症」を使うケースは少なくないと思われます。つまり旧称であるともいえ、「スペクトラム」を略しているともいえるのです。

さて「スペクトラム」とはどういう意味でしょう。光についての物理の授業などで「スペクトル」という用語を教わったと思います(筆者は昔の特撮ヒーロー「スペクトルマン」で覚えました)。この「スペクトル」はフランス語からのカタカナ訳で、「スペクトラム」は英語から。つまり、両者は全く同じ意味で、漢字では「連続」「連続体」などと説明されます。
前述のニュートン別冊「発達障害のすべて」から再び引用すると、
スペクトラムという言葉は虹をイメージすればわかりやすいでしょう。ある色の部分を見れば特徴がきわだっているのに、それぞれの色の間は連続していて、境界線がないということです。自閉症の特性も虹の色のように境界線がなく連続して症状が広がっているということをあらわしています。たとえば、自閉症としての特性が強い人がいる一方で、自閉症の特性はもっているけれども、自閉症の診断基準を満たさない人もいます。
前掲の⑥で示した「自閉症」の使い方が出ています。専門家の文章でも「自閉スペクトラム症」ないし「ASD」で統一できない一例といえるでしょう。
そもそも「スペクトラム」という言葉自体がグレーゾーンとも言われる曖昧な領域があることを前提にしているのですから、きっちり用語統一がしにくいのは当然なのかもしれません。ただ、「自閉スペクトラム症」という言葉は虹の色のように多様な特性を表すとして一般の人の理解を促す助けになればいいのですが、残念ながらそううまくいかない現実もあるようです。
「知的障害」から「知的発達症」に?
インターネットでは「スペクトラム」を略したという「スペ」という言葉が蔑称として使われていたという記事があります。アスペルガー症候群を訳した「アスペ」という蔑称も散見されます。結局、言葉を変えても「変わった人」と思う人に差別語というレッテルを貼る人は完全にはなくならないかもしれません。
略称が蔑称になるのは、ほかにもたくさんあります。例えば、漫画・アニメ「あしたのジョー」などで使われていたある侮蔑語が「身体障害者」と正式にいうようになったと思いきや「シンショー」という新たな中傷が生まれてしまうという現象がありました。
「白痴」はドストエフスキーの小説などの題名としては生き残っていますが、一般語としては死語といえます。その言い換えとして「知恵遅れ」「精神薄弱」が使われた時期もありましたが、今は「知的障害」が広く使われています。
その知的障害について、今年1月の官報に載った診断名を見てちょっとびっくりした用語があります。
「知的発達症」
となっているのです。知的障害でも精神遅滞でもなく――。
そして、「自閉スペクトラム症」のカテゴリーの中では

官報号外2026年1月19日より
「自閉スペクトラム症、知的発達症を伴う、かつ機能的言語がみられない」などという分類があり、「知的発達症」が繰り返されています。
「障害」と「症」はどう違うか
では「障害」と「症」はどう違うのか。この3月に出たばかりの「発達障害を正しく知る」(松浦有佑著、幻冬舎新書)に英語を含めての解説があります。
「Disability」(障害)は「能力(Ability)が欠如(Dis)している状態」を意味します。視覚障害や聴覚障害のように、特定の身体的・精神的な機能が制限されることで生活に困難さが生じる状態を指します。そのため、「視覚症」や「聴覚症」とは言いません。
一方、「Disorder」(症)は「秩序(Order)が保てず崩れた(Dis)状態」を意味します。状態が一般的な基準から逸脱している場合に使われることが多く、たとえばうつ病はDepressive Disorder、躁(そう)病は Manic Disorderと呼ばれます。これは正常の精神状態から逸脱していることを示します。「症」が使われる診断名はこうした状態を反映しています。
知的発達の場合、能力の欠如というよりは一般的な基準から外れているということでしょうか。その判断は微妙で、専門家の間でも見解が分かれることもあるそうです。
それとは違う判断として、「障がい」の表記を使うなど「害」の字を嫌う向きには「知的発達症」は歓迎されるかもしれません。今すぐ新聞の用語を変えるべしという声はまだ聞かれませんが、「知恵遅れ」などと同様「知的障害」も将来的には「知的発達症」へと変更される可能性はあります。
しかし、いくら言葉を言い換えても、社会に隠然と差別意識が潜む限り、当事者を傷つける表現は時として出てきます。
例えば、何かの事件で出てくる「通院歴」。逮捕された人が「自閉症の通院歴があった」などと報道すると「自閉症は怖い」という誤った差別意識を広めることになります。通院歴が事実だとしても、それが事件の原因とは直ちにいえないはずです。
毎日新聞の内規では「発達障害や知的障害、精神障害に関する容疑者の障害名や病名、入院・通院歴は、それを報じることで障害への誤った認識を広め、偏見を助長する恐れがあるため、書かないことを基本とする」などとあります。社会に与える影響を考えると、表に出すことは控えなければなりません。
漫画「はみだしっ子」の自閉症
さて、以下では私が個人的に好きな漫画「はみだしっ子」(三原順、白泉社)から、自閉症と思われる(作品中ではその語は出ませんが)女の子の登場するエピソード「カッコーの鳴く森」を紹介しようと思います。ネタバレを含みます。

愛蔵版 はみだしっ子[全集](白泉社)。「カッコーの鳴く森」は第3巻収録
女の子の名はマーシア。言葉を発せず、笑うこともなく、食事も自分の手ではできず、座って手を前に出し指をくるくる動かす動作を繰り返します。ICD-11の診断では「自閉スペクトラム症、知的発達症を伴う、かつ機能的言語がみられない」と分類されると思われます。
作者も後の本で告白していますが、これはベッテルハイム著「自閉症 うつろな砦」(みすず書房)に書かれた症例の一つを下敷きにしています。その自閉症の女の子の名前もマーシアで、指をくるくる回す動作も同じ。漫画では主人公の一人の男の子サーニンが、献身的に寄り添い、美しい物語が展開されてついにマーシアが笑顔になるまでになったところで二人は引き離されます。そこまでが「カッコーの鳴く森」の話で、後のエピソードでマーシアは死んでしまいます。それを伝えた人の電話が怖い。
「そりゃあ…可哀相だったけどさ…マーシア…あんなに小さいのに死んでしまって可哀相だったけどさ…でも…ボクは案外…この方が良かったのかも知れないと思ってる…マーシアにとってもサ…だって生きていてどうなるっていうんだ!? 自分の始末さえ何一つできもせず…他人の負担になるばかりだぞ!」
これは、言った当人にしてみれば電話を受けたサーニンのショックを思った善意の慰めのつもりだったのかもしれません。しかし連想されるのは、相模原市の障害者施設で10年前、無抵抗の障害者を多数殺傷した犯人が言ったという「生きている意味がない」という言葉です。ナチスなどの優生思想にも通じます。いや、本当に怖いのはそこではなく、自分の奥底にもそんな気持ちが潜んではいないかという恐れです。
サーニンは電話で泣きながら怒鳴ります。「じゃボクも…死んじまえば良かったのか!?」。サーニンはかつて父親と親戚に幽閉され、言葉も話さなくなった過去があったのです。同様に親に捨てられた少年に救われ、共に旅をするのが「はみだしっ子」の後半までのストーリーでした。
「浮浪児だったし! たいてい…誰も喜んでくれなかったし! いっぱい迷惑かけて…ボクは…ボクも死ねば良かったのか!?」「誰が誰に言うんだ!? 言わせてるんだ!? それが幸せだなんて! 健康で幸せな奴らがじゃないか! ボクはいやだ!!」
能天気に自分を「自閉症みたい」と言った「健康で幸せ」の側の私も、この涙の抗議を受けているような、自分の首根っこを揺さぶられるような気持ちになりました。
原因は親の態度ではない
ちなみに、マーシアの元ネタ本の著者であるドイツ出身の心理学者、ベッテルハイムはナチスによって強制収容所に入れられた経験から、自閉症児と収容者の共通点を述べています。そして、ここが問題なのですが、自閉症の原因を親が心理的に見捨てたことに求めています。その影響か、「はみだしっ子」でも、マーシアの両親が大げんかしたり母親が忙しくてかまってやれなかったりしたことが語られます。
しかし実は、ベッテルハイムが自閉症の原因を親の愛情不足としたことは、現在では基本的に否定されています。ある本では「トンデモ理論」「黒歴史」とさえ書かれています。さらに問題なことに、ブルーバックスの「自閉症の世界」(スティーブ・シルバーマン著)などによると、彼による児童への虐待も明らかになったそうです。
ではその人の本を基にした漫画自体も不適切だったのでしょうか。このエピソードの巻が発売されたのは1979年。ベッテルハイムの説が否定されたのは80年代以降とされるので、作者が知らなかったのは無理がないのですが、今この物語を読む読者には誤解を与えかねないのでは、と心配になります。
しかし、こんなせりふも出てきます。「親に満足にかまってもらえなかった子供は他にもたくさんいるでしょう でも その子供達は言葉を話すでしょう 他の人々と知り合っていくでしょう 育っていくでしょう でもマーシアは…どうしてマーシアは…」。答えは示されていませんが、その執筆時点で流布していた説に全面的に依拠しなかったのは作者・三原順の賢さでしょう。
自閉症の原因については現在もまだ研究の途上で、遺伝や、親の高齢化が要因として挙げられることもあります。いずれにせよ、親は自閉症児を育てる苦労の中で「自分が悪かったのでは」と苦悩することもあるでしょう。育て方の問題ではないということもきちんと伝えなければなりません。
それは校閲の役割ではないかもしれません。しかし単に不適切とされる用語を指摘するだけなら多分、人工知能(AI)もできるでしょう。読者としての自分の感覚に加え、少数でも確実に存在する症状を持つ人の立場になって、偏見や誤解につながるような文脈を改善することも、校閲に求められることだろうと思います。
長文失礼しました。まだまだ不勉強な部分が多く、専門家や当事者の方々にはご不満な点もあるかと思います。ご指摘くだされば幸いです。
【岩佐義樹】


