けが人の有無を報じる場合に「なかった」「いなかった」のどちらで書くのがなじむか伺いました。
目次
「いなかった」派が3分の2占める
事故が発生したが、けが人は「なかった/いなかった」――どう感じますか? |
「なかった」がよい 11.6% |
どちらでもよいが、「なかった」の方がなじむ 21.1% |
どちらでもよいが、「いなかった」の方がなじむ 36.1% |
「いなかった」がよい 31.3% |
事故報道などでの書き方として、けが人は「なかった/いなかった」のどちらがなじむかを伺ったところ、「いなかった」の方がよりなじむとした人が全体の3分の2を占めました。こと存在の有無に関しては人についても「ない」を使うのは普通のことで、新聞でも「なかった」をよく使いますが、現在はより話し言葉的な「いない・いなかった」のほうがなじむと考えられているようです。
人にも「ある/ない」は使用するが
校閲センターのX(ツイッター)には、物は「なかった」、人は「いなかった」ではないか、という趣旨のコメントも寄せられました。肯定文としては、物は「ある」、人は「いる」ということになります。
もちろんその通りなのですが、これはさほど強い決まりごとではありません。例えば以下のように、日本語話者でない人に教える場合には有効なルールとされますが、例外がよくあるということも同時に示されます。
日本語の存在動詞には有生物、無生物によって二つの表現のしかたがあります。無生物主語は「あります」、有生物主語は「います」を原則として用います。なお、客観的に描写するような場合(会議で自分の意見をいう人もあれば、黙っている人もいる)、語り・叙想的な表現(昔あるところにお爺さんとお婆さんがありました)については除外します。〔下線は原著者〕
田中寛「はじめての人のための――日本語の教え方ハンドブック」(国際語学社)
ここではルールがそれほどはっきりしたものでないことを確認できれば十分ですが、どんな場合に「なかった」「いなかった」の選択が生じるのかはもう少し見ていきたいと思います。
人に「ない」は古くなった?
明鏡国語辞典の「ない」の項目は以下のように記します。
[A]人やものが存在しない
①(人・動物以外の)ものが存在しない。〔中略〕[使い方]人・動物の場合は「いる」の打ち消し形「いない」を使う。
②(存在の有無を問題にして)特徴付けられた人・動物が存在しない。いない。|「彼にかなう者はない」「賛同者は全くなかった」▶「いない」よりもやや文章語的。
個々の人・動物に対しては「いない」を使うが、何かしらの特徴を持った存在の有無に関して記す場合には「ない」も使うということです。「けが人」の有無というのも、特徴付けられた存在について話題にしているケースなので、「けが人はなかった」という書き方が導かれます。
ただし、時代による変化も見て取ることができるかもしれません。中村明「日本語語感の辞典」(岩波書店)には以下のようにあります。
小津安二郎監督の映画『宗方姉妹』に満里子(高峰秀子)が宏(上原謙)に「奥さんは? お留守?」と尋ねるシーンがある。宏が「いないよ、奥さんなんか」と独身を主張するところまでは現代と同じだが、満里子はそれに「いないの」と応じたあと、「そう、ないの」と換言し、宏も「ないよ」と繰り返す。特定の妻という個人を意識するか、妻という存在を意識するかによって「いない」と「ない」を使い分けているように思われ、ともに「いない」と言う現代から見れば、ここの「ない」の用法は古い感じに見える。
大佛次郎の原作がどうなっているか未確認ですが、「古い感じ」というのはありうるかもしれません。日本語学の研究などには、小説の中の「人がいない/人がない」の割合は、時代を追うほどに「人がいない」が優勢になることを示すものもあります(金水 敏「近代日本小説における「(人が)いる/ある」の意味変化」)。
「いる(ゐる)」は文語としては「じっとしている」のような意味合いで、存在を示す語としては主に「あり」が使われていました。不在の表現は「あらず」や「なし」でしたが、口語では「いない」に置き換わり、その動きは今なお進みつつあるのかもしれません。
「なかった」にも役割はありそう
けが人は「いなかった」の方がなじむとした人が多数を占めたことは、出題者にとっては少し意外でした。しかし、この結果を見たうえで改めて考えると、「いなかった」の方がやわらかな印象を受けるようにも感じますし、普段口にする話し言葉にも近いと言えそうです。
ただし、「けが人はなかった」という書き方がよくないというわけではなく、伝統的であり今なお認められた書き方です。また、こちらの方が文章語らしいものとして、改まった印象や描写としての客観性を帯びる可能性はあるとも考えます。つまるところ、場合によって使い分けるというのが穏当なのではないでしょうか。
(2025年06月10日)
「放送で気になる言葉2025」(新聞用語懇談会放送分科会編)の中で、注意して使いたい表現として「ある・いる/けが人はありませんでした」が取り上げられていました。いわく「『けが人はありませんでした』も、『けが人の有無』という観点から捉えれば誤った表現とは言えないが、個々の『けがをした人の存在』に注目すれば、『いる』がふさわしい」とのことで、「いませんでした」の方を推奨しています。
出題者の率直な感想は「厳しいなあ」というもの。文章を音声として発信する放送の場合は、文字による発信の場合よりも、受け手が感じる生の感触のようなものを大事にする必要がある、という事情があるのかもしれません。
毎日新聞の場合、同様の表現「けが人はなかった/いなかった」を比べてみると、「なかった」の方が多数派です。「なかった」が単に有無を伝えるのに対し、「いなかった」だと「その場にいたかどうか」というニュアンスが生まれるせいもあるのではないかと考えます。放送とは違った考え方になりますが、それに対する印象はどうなのか、この場で伺ってみることにしました。いかがでしょうか。
(2025年05月26日)