2010年の常用漢字表の改定で、196字の漢字が追加された。毎日新聞も原則としてこの新しい常用漢字表(2136字)を基準に表記することになったが、そのまま問題なく運用するというわけにいかなかった。
例えば新たに「腎」の漢字が入り、肝心・肝腎両方の表記が可能になった。「とりわけ大事なこと」の意であるこの語は、一般に古くから両方の表記が用いられているが、新聞では、腎が常用漢字になかったため、肝腎ではなく肝心を使ってきた。今回、腎が常用漢字に加わっても、同じ意味の語をどちらで書くかということだから、一方に決めてしまえば済む。毎日新聞では従来通り、肝心を使うこととした。
困ったのは、意味が非常に似通っていて使い分けの難しい同音語の扱いである。「苛」もカの音読みで新しく加わった字種で、苛烈、苛政などに使われるが、「苛酷」をどうするか……。多くの国語辞典は過酷と苛酷を、別々に項をたてて説明する。「きびしくてむごい」ことは両者とも同じだが(岩波国語辞典)、過酷では「度を越して」、苛酷は「無慈悲であるさま」の意味が押し出される(明鏡国語辞典)。それまで毎日新聞では、苛が常用漢字でないことから、苛酷を過酷に書き換えて表記してきた。本来は別の語なので、一方の表記のみを使うというのは無理があるのだが、可能な限り常用漢字で書き表すという方針を重んじた措置だった。
苛酷と過酷は別語であるといっても、実際には使い分けるのは難しい。たとえば「カコクな自然条件のもとで……」はどちらだろう。ある辞典は用例に「苛酷な要求・条件」「過酷な取り扱い」などを挙げるが、別の辞典では苛酷を「扱い方、状況、決まりなど」に使うとし、過酷の項では「過酷な要求・条件」の用例を載せている。ある基準を大きく超えた状態は、事実として明示しやすいだけ「過酷」のほうがいくぶん客観的といえなくもないが、そういうケースばかりではない。多くは無慈悲であり、度を越している、という両者入り交じった、つまり苛酷であり過酷でもあるといったもののほうが実態に近い。結局は原稿の中身、文全体から判断するしかない。
(苛酷)→過酷
(注)特にむごさ、無慈悲なさまを強調したい意では「苛酷」も
毎日新聞の用語集では、過酷を主たる表記とし、例外的に「特にむごさ、無慈悲なさまを強調したい意では『苛酷』も」と曖昧なかたちにしている。他の新聞では、過酷だけを使うとしたり、使い分けの条件を付けずカコクの項に過酷・苛酷の表記を掲げたりしているところもある。校閲記者には悩みの種が一つ増えた。
【軽部能彦】