国スポ(国民スポーツ大会)という名称について伺いました。
目次
「国体」が圧勝
国体(国民体育大会)が国スポ(国民スポーツ大会)に――新名称、いかがですか? |
「国スポ」がよい 8.6% |
「国体」のほうがよかった 74% |
どちらでもよい 17.4% |
「国スポ」(国民スポーツ大会)という名称に関してどう感じるかは、旧称の「国体」(国民体育大会)のほうがよかったとした人が4分の3を占め圧勝でした。「国スポ」がよい、とした人は1割に届かず。「国スポ」にはいずれ皆さん慣れることでしょうけれども、当面は据わりのよくない名称として扱われることになりそうです。
「体育」→「スポーツ」の動き
「体育」という言葉を「スポーツ」に置き換える動きがあります。祝日の「体育の日」が「スポーツの日」に変更された祝日法改正は2018年のこと(20年施行)。それに先立つ17年には「日本体育協会」の名称を「日本スポーツ協会」とすることが決定されています(実施は18年4月)。日本体育協会の名称変更についての説明を見てみましょう。「名称変更の概要」とする文書にある「変更理由」です。
1911 年、本会初代会長の嘉納治五郎は、国民体育の振興とオリンピック競技大会参加に向けた体制整備のため、大日本体育協会(当時)を創立しました。
その当時、「体育」は身体の教育という大きな営みを指し、スポーツを含む広義の意味で捉えられていましたが、1964 年の東京オリンピック以降、スポーツが広く人々や社会に浸透し、発展してきたことによって、現在では「スポーツ」は体育や身体活動の概念を含むものと認識されるようになりました。
また、本会はこれまで、「体育」の意義や教育的価値の重要性を尊重しつつ、「スポーツ」を振興し、その価値を高める役割を担ってきました。
社会のスポーツへの関心や期待がますます高まっていく中で、本会がわが国、スポーツの統一組織として、多くの人々のスポーツ参画を促し、スポーツという文化を後世に継承していくには、本会の名称を「日本スポーツ協会」に変更することがよりふさわしいと考えました。
「スポーツが広く人々や社会に浸透し」というのが言葉のことなのかスポーツの営みなのか判然としませんが、「スポーツ」の方が「体育」より多くを包摂する概念だと言いたいように見えます。
日本語としてはどうなのか
しかしどうなのでしょう。こうした構えた文書よりは日常の言語使用の近くにいるはずの、国語辞典の説明を参照します(それぞれ第1義として挙げているもの)。
新明解国語辞典8版
スポーツ 日常の仕事を離れて楽しむ、諸種の運動・球技や登山など。
体育 「体位」の向上を目的とする教育→徳育・知育。
(「体位」の説明は 体格・健康・運動能力などの水準から判断した、総合的な体の強さ)岩波国語辞典8版
スポーツ 諸種の運動競技や登山などの総称。
体育 体を成長・発達させるための教育。それに関する技術・知識を習得させる教科。▷知育・徳育と並ぶ。三省堂国語辞典8版
スポーツ 運動(競技)。
体育 からだの成長・発達のための教育。「秋の体育祭」(↔知育・徳育)明鏡国語辞典3版
スポーツ 運動競技。
体育 知育・徳育に対し、スポーツ・体操などの運動を通して身体の健全な発達を促し、運動能力や健康な生活を営む能力を養うことを目的とする教育。
意味の違いは歴然としています。「体育」がもっぱら「教育」を指すのに対し「スポーツ」に目立つのはその競技性です。日本体育協会が日本スポーツ協会になるというのは、競技性という点で団体や大会の強化や振興をおろそかにすることができないためと考えれば違和感はありません。また「国民体育大会(国体)」が「国民スポーツ大会(国スポ)」になったことについても、大会自体が熱心に競技に取り組む人たちの競い合う場であることを考えれば、さもありなんと思えます。
日本スポーツ協会は、日本体育協会だった時代には「日本体協」という略称を使っていましたが、改称後は「JSPO」になりました。世界に向けた日本スポーツの顔として、アルファベットの略称を使うのが適切だということかもしれませんが、よそよそしさは拭えません。全体的に「誰のほうを向いているの?」という変更が目立つようです。
「スポーツは、自発的な運動の楽しみを基調とする人類共通の文化である」と、協会の「スポーツ宣言日本」にはありますが、広くそのように受け止められていると言えそうにはありません。今後なお啓発するための「スポーツの日」であり「国民スポーツ大会」である、ということかもしれませんが、道は遠そうです。
「国スポ」は結局何が変なのか
「体育の日のままでいいやん」。2019年の10月14日、最後の「体育の日」にツイッターへの投稿でこう歌う人がありました――と書けばだいたい誰のことか見当がつくだろうと思いますが、下のリンク先からご覧いただければと思います。
体育の日のままでいいやん pic.twitter.com/zTYhpovr0e
— 岡崎体育 (@okazaki_taiiku) October 14, 2019
国体のままでいいやん――というわけではありません。体育の名称は戦時教育の名残をとどめているとか、いわゆる体育会の理不尽な上下関係などあしき慣習が「体育」の言葉と結びついているというのも事実でしょう。
とはいえ、「国体」が「国スポ」になって、何かが良くなったと感じる人もあまりないのではないでしょうか。国の体育大会が国のスポーツ大会になったところで大差ない。変えた意味があるの?ということで「国体の方がよかった」を選んだ人が多数になったのだろうと出題者は考えます。そもそも「国スポ」という略し方がスポーツ新聞の略称のようで、だからダメというのも変な話ですが、そういうことを考えなかったのかというのは気にかかります。
一方、「sport」という英語はもともと「Pleasant pastime; entertainment or amusement; recreation, diversion」(オックスフォード英語辞典第2版)を指したもので、日本語にすれば「楽しい気晴らし、娯楽や楽しみ、レクリエーション、気分転換」となるでしょう。しかしスポーツとして楽しさを前面に出そうとするなら「国の名において気晴らしを」ということがなじまないように、「国スポ」という名称には落ち着かないところがあります。むしろ国体の方がマシに感じる、ということもありえます。
繰り返しになりますが、いずれ皆さん「国スポ」にも慣れることでしょう。ただ、この一時期の違和感も理由のないことではなかろうと思うのです。ちょっと記憶に残しておきたいようなアンケートの結果だったと思います。
(2024年10月28日)
2024年から、以前の「国民体育大会(国体)」の名称が「国民スポーツ大会」に変わりました。略称は「国スポ」。思えば「体育の日」も「スポーツの日」に変わりましたし、いずれ国スポが定着することになるのでしょう。
祝日法の「体育の日」の説明には「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」とあったものが、「スポーツの日」の説明では「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」とされました。何かを楽しむかどうかは個人の問題で余計なお世話――という気もしますが、これは出題者がスポーツとおよそ縁のない生活を送っているせいかもしれません。
国スポはいずれ定着することになる、とは書きましたが、なんだか「東スポ(東京スポーツ新聞)」みたいだな、とも感じます。定着してしまったら聞くこともできないでしょうから、現時点で皆さんに名称の好き嫌いをうかがってみたいと思います。「国スポ」、いかがでしょうか。
(2024年10月14日)