「在住する」という言葉について伺いました。
目次
「違和感あり」が9割に迫る
「将来は海外に在住する予定だ」――どう感じますか? |
「将来は海外に住む予定だ」と受け取り、違和感はない 11.5% |
「在住=現在住んでいること」なので、未来について言うのは違和感がある 88.5% |
未来について「在住する予定」と言うことには「違和感がある」とする回答が9割に上り、「違和感はない」を大きく上回りました。
状態をあらわす「在住」
辞書で「在住」の意味を調べると、「その土地に住んでいること」(岩波国語辞典8版)などと説明するものが大半です。品詞は名詞、またはサ変動詞(自動詞)とされています。後ろに「する」を付けてサ行変格活用の動詞として使えるということですが、ここでちょっとした違和感が発生します。
動詞でありながら「動作」ではなく、「住んでいる」という「状態」を表しているという点です。新選漢和辞典によると、「在」の字は「才」と「土」の組み合わせから成っており、「土の上に芽が出ている状態から、『そこにある』『存在する』の意味を表す」「土で流れをせきとめることから、そこに止まっていることを表す」などとされます。動きというより、その場所にとどまっているイメージです。
形としては過去も未来もあり得るが…
「住む」と「住んでいる」は異なります。動詞「住む」であれば、そのままの形で「住む」という動作を表すか、補助動詞「(し)ている」につなげて「住んでいる」とし、状態を表すかを使い分けることができます。ところが、「在住」はそれ自体が「住んでいる」の「ている」の部分まで含んだ概念であるため、「する」を付けて動詞的に使う場合でも、「住んでいるという状態」を指していることが前提となります。
「在住する」は動詞である以上、過去形や未来形も作ることができ、文法的には誤りではないということになりますが、「状態を表す名詞(在住)+動作を表す動詞(する)」という成り立ちは、感覚的にちぐはぐな印象を与えるのでしょう。アンケートで圧倒的に多くの人が「未来について言うのは違和感あり」と回答した結果からも、その傾向がうかがえます。過去の紙面での掲載例を見ても「在住する」は専ら、現在のことに限定して使われています。
「在住となる予定」ならOK
一方で「する」を使わずに、「在住となる」と表現すると、上述の違和感が少し和らぎます。「在住」を名詞のまま生かすことで、「する」がまとっていた動作の印象が薄れ、「住んでいる状態」を表すことができます。
質問文の例も「将来は海外在住となる予定だ」とすれば、「その頃には住んでいる(状態になっている)予定だ」との意味で自然に受け取れるのではないでしょうか。「動作というより状態っぽい言葉」には、「する」より「なる」がおすすめかもしれません。
(2021年10月08日)
「結婚後は米国に在住する見通しだ」と書かれた原稿を目にし、「在住」の使い方が気になりました。辞書には「その土地に住んでいること。『現地在住の邦人』『パリに在住する日本人』」(日本国語大辞典)などとあります。この言葉一つで「住んでいる」という現在の状態を表していると捉えられますが、現在のことに限らず、未来や過去の時制でも使えるのでしょうか。過去の紙面でも、数は多くありませんが、未来形で使われた例や「○○に在住した経験」などの形で過去について用いられた例もあるようでした。
「(住む)動作」というより「(住んでいる)状態」を表す言葉なので、動詞よりも形容動詞のような性質が強いように感じ、出題者としては「~に在住する見通し」ではなく「~在住となる見通し」であればしっくりくる気がしています。また、未来や過去について言うなら、あえて「在住」と言わなくても「居住」や「住む」などと表現すれば十分ではないかとも思ってしまいます。気にしすぎでしょうか。皆さんはどう考えますか?
(2021年09月20日)