「憎み合う」が6割、「憎しみ合う」も4割が可
どちらの言い回しを使いますか? |
お互い恨み憎み合う 60.6% |
お互い恨み憎しみ合う 30.9% |
いずれも使う 8.5% |
「憎み合う」が6割と多数を占めましたが、「憎しみ合う」派も3割。「どちらでも構わない」とした方を含めれば約4割が「憎しみ合う」でOKと捉えていることになります。
毎日新聞(東京本社版)で2000年以降の記事を検索してみると、「憎しみ合う」もしくは名詞形の「憎しみ合い」は52件の記事で使われていました。対して「憎み合う」「憎み合い」は36件。
回答時の解説では、中型以上の辞書には動詞「憎しむ」が採録されているものの、「憎しみ合う」は誤用とする新聞社もあり、文法的に見ても「憎み合う」の方が理屈に合うと書きました。しかし、何と本紙の用例数としては「憎しみ合う」の方が多かったのです。記者の中にも違和感を持たない人がかなりいるということでしょう。
16年には安倍晋三首相がハワイの真珠湾を慰霊に訪れた際、アンブローズ・ビアスを引用して「戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする」と演説していました。
榊原昭二著「娯用誤用事典」では、「憎しむ」は誤用だという立場に立った上で、「おそらく、『憎しみ』という名詞があるところから『憎しむ』という動詞を想定したのだろうが、いかがなものか」と述べています。
確かに「悲しみ-悲しむ」「喜び-喜ぶ」「怒り-怒る」のような名詞と動詞の関係に引っ張られて「憎しみ-憎しむ」という構図を描くのはありそうなことです。ただし「人を憎しまない」とか「私の憎しむ敵」のような言い方はほとんど見ませんから、特に名詞形と同じ「憎しみ」の形になる連用形に限り当てはまるようです。
また逆に「憎む」という動詞を踏まえて「憎み」という名詞形を使う人は少なく、「憎しみ」を見ることが圧倒的に多く感じます。辞書でも「憎み」は載せていないものもあります。「憎む・憎しむ」と「憎み・憎しみ」。これらの関係は一筋縄ではいかないようです。
結局「憎しむ」という動詞がある以上「憎しみ合う」が完全に間違いだと言い切るのは難しいでしょう。それでも今回のアンケート結果を踏まえて、校閲としては「『憎しみ合う』だと違和感を持つ人も多いですよ」と提案ぐらいしてみるべきかもしれません。
(2018年10月19日)
文法的に分解してみましょう。「助け合う」「話し合う」などのように「動詞の連用形+合う」の形と考えれば、「憎み合う」は「憎む」という動詞の連用形+合う、「憎しみ合う」は「憎しむ」という動詞の連用形+合う、という構造になります。普通使うのは「憎む」でしょうから、「憎み合う」がよいのではないかと思えます。新聞や通信社の用語集では「憎しみ合う」を誤用だとしているものもあります。
しかし中型以上の辞書を見ると、広辞苑7版、大辞泉2版、大辞林3版、日本国語大辞典2版はいずれも「憎む」と同じ意味で「憎しむ」という語を載せています。ただ、活用の種類は文語形である四段活用としており、用例も江戸時代の浄瑠璃「心中天の網島」の「一家一門其方(そなた)を恨み憎しみ」が引かれるなど、口語的な言い方ではなさそうです。
三省堂国語辞典7版では「憎しむ」は載っていませんが、名詞の「憎しみ」の項に「憎しみ合う」という動詞を掲げ、「おたがいににくいと思う気持ちを持つ」という語釈をつけています。このように、普段「憎しむ」という動詞を使わない人でも「憎しみ合う」と言ってしまうことはあるのではないでしょうか。
(2018年10月01日)