昨年の東京本社校閲グループ引き継ぎ日誌から今年も繰り返しそうな間違いを拾ってみます。今年も繰り返しそうなミスは来年も繰り返しそうなミスでもあります。反復性のあるミスのほとんどは「小学生でも分かる」レベルのものです。小学校なんかもうとっくの昔に卒業したという方も、古い学びやをのぞいてみるくらいの気持ちで目を通していただければ幸いです。
年明け早々の欄にはこうありました。「福島第1原発周辺の累積線量結果」の注釈で「昨年3月23日」は「11年」の誤り。年替わりによく起きるミスです。1月9日にも「昨年11月」は「一昨年11月」の誤り、というミスが発生しています。
この手の誤りは年があらたまるときだけ注意しておけばいいというものではありません。5月14日にも「12年3月期の連結売上高は……」は「13年3月期」の話、という誤りが記されています。
そして昨年最後の12月31日組み、1月1日付紙面についてはこのミスが記されました。「今年限りでNHK紅白歌合戦を引退する北島三郎さん」
年度もうっかりしていると錯覚にとらわれがちです。2月20日のことです。見出し「来年度」→「14年度」。1月から3月のあいだは年と年度の数字がずれます。頭では理解していても手がついてこない事例の一つかもしれません。こういうこともありました。東日本大震災のあった11年度→東日本大震災直後の11年度。説明は不要でしょう。
誤字の例も挙げます。「不正を誘引した」が「誘因」に、「海外の最前線で活躍する企業・邦人の安全」とあるべきところ「邦人」が「法人」に、という誤りが発生しています。
そのほか、「橋下龍太郎首相」の見逃し、列車事故の「中間の数量」は「数両」。変換ミスは今年も必ず私たちのもとを訪れます。玄関先で追い返すことができるといいのですが。
以下のような事例はどうでしょう。スノーボードの「ハープパイプ」→「ハーフパイプ」。マラソンで「ガッツポース」ずっと行ってしまう。目には「ガッツポース」と映っていても、現実を自分の見たいようにしか見ない人間の脳が「ガッツポーズ」に修正してしまうのでしょうか。富士山入山の記事では「山梨側」が「山側梨」になっていました。脳は私たちが直しを入れる前に直しを入れるのが好きなようです。
形の上では似ていても意味は全く違う文字に足をすくわれたことはありませんか。本の「東北発の震災論」で、ちくま新著となっていたのをちくま新書と直す。運動面大相撲のカット下「2日目」とあるべきところ「2日日」になる、というミスも発生しました。度の合っていない眼鏡で世界を眺めているようです。
度が合っていてもレンズが汚れていては次のような間違いを見逃してしまうかもしれません。「満蒙」のルビが「まんもつ」になっていると指摘され、間に合わなかった版で訂正が出ました。食事中、新聞紙にご飯粒を落としたことがある方はルビがいかに小さいものであるかをご存じだと思います。ご飯粒を半分に割ったそれよりも小さな文字一つに、満蒙開拓史の全重量がかかっていると考えるのはオーバーかもしれません。しかし、校閲の未来がかかっていると考えることに関しては大方の賛同を得られるのではないでしょうか。