清少納言の「枕草子」はご存じですね。冒頭「やうやう白くなりゆく山ぎは少しあかりて」を区切るとするとどこでしょう。清少納言の時代には句読点はなかったので正解はありませんが、訳文にも関係するのでおろそかにできません。
句読点の「。」が付くメッセージが若者への「マルハラ」になるらしいと最近話題になっていますが、今回は「、」の話。つまり、文章をどこで区切るか。マルハラと違ってけっこう古典的な問題です。古典といえば――
目次
「せい・しょうなごん」と読む
紫式部が主人公の大河ドラマ「光る君へ」に2月から清少納言が出ています。演じるはファーストサマーウイカさん。まさか安倍晴明を演じるユースケ・サンタマリアさんの向こうを張ったわけではないでしょうが、もっと字数の多い11字(・は文字ではなく記号なのでカウントせず)。調べると初夏(ういか)という下の本名から来ているとか。だから「サマーウイカ」なんて略し方はしない方がよいらしいです。
「光る君へ」の初登場は2月11日放送の第6回「二人の才女」。このサブタイトルだけで清少納言登場!ということが明らかでわくわくします。はたして漢詩の解釈をめぐり「わたくしはそうは思いません」といきなり紫式部に宣戦布告(?)。後に「紫式部日記」で
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。
などと嫌われる端緒を描いているようです(紫式部は根に持つタイプ?)。実際に二人が会っていたかどうかは怪しそうですが、ドラマですからこんなおいしい素材を放っておくはずはありません。今後の二人のバチバチが楽しみです。
さて、この回のナレーションで清少納言が「せい・しょうなごん」と区切って読まれたことがインターネットでちょっと話題になっていました。そう、「せいしょう・なごん」ではないのです。「清」は父親、清原元輔の清から来ているのですからここで切るのがよいとされます。まあ「せーしょーなごん」と平板に読んでも間違いとは思いませんが。
枕草子冒頭の「、」の位置は
どこで区切るかという問題は、「枕草子」の有名な第1段にもあります。
春は、曙。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明りて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる
この引用文を載せた記事の初校者が「やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明りて」の「、」の位置をずらし「白くなりゆく山ぎは、」と赤字を入れていました。
再校時、おや、どうしてこんな直しをするの?と思いました。たまたま持っていた岩波文庫の「枕草子」では
春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
と「、」は原稿の位置と同じです。初校者に聞くと「最近は『なりゆく山ぎは』となっているのが多いみたいです」とのことでした。
私はなんとなく、ここは「空がだんだん白んでくる」の「空が」が略されたもので、いったん区切って読むと解釈していました。そこで、初校者を疑うわけではないのですが、自分でも調べてみました。
講談社学術文庫…白く成行、山ぎは
角川ソフィア文庫…白くなりゆく、山ぎは
岩波書店・日本古典文学大系【注1】…しろくなり行く、山ぎは
とあり、いずれも「、」は岩波文庫と一緒です。しかも日本古典文学大系の注釈では
「…なり行く山ぎは」の読みかたもあるが、「なり行く」の連体形の用法に陰翳(いんえい)をもたせ、「…なり行くに」または「…なり行くその」などの含みがある。【注2】
とあります。ただし、いずれも20世紀に出版された本です。では最近の本もみてみましょう。
「日本の古典をよむ 枕草子」(小学館、2007年)…しろくなりゆく山ぎは、
「枕草子 いとめでたし!」(朝日学生新聞社、19年)…しろくなりゆく山ぎは、
「伝え合う言葉 中学国語2」(教育出版、20年)…白くなりゆく山ぎは、
などとなっています。サンプル数が少ないので一般的な傾向と呼べるほどではありませんが、確かに「なりゆく」でいったん切らずに続けています。
訳し方から逆に原文の「、」の位置を決める
現代語の訳し方にも影響しているようです。講談社学術文庫では「だんだん白んでゆくうち、山ぎわの空が」と、「うち、」に余韻をふくませています。これに対し教育出版の教科書では「白くなっていく山ぎわが」と続けています。
どちらがいいのでしょう。もともと平安時代には句読点はなく連綿と文章が続いていくだけ。そちらの「正解」はなく、解釈の問題なので、現代語訳がどうなっているかから逆に、古文の表記を決めた方がよいと思いました。
原稿では橋本治さんの「桃尻語訳 枕草子」の訳が添えられていました。
春って曙よ!
だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!
「桃尻娘」シリーズの小説家が当時の女子の言葉で訳したとして1987年の発売当時、話題になりました。この本に原文はないのですが、桃尻語訳だと「白くなってく山の上の空」と続くので、対応する古文は「なりゆく山ぎは、すこし」の方がよさそうだと納得しました。
「、」の位置で意味が転じることも
以上は、細かいニュアンスの違いであり「、」の位置で決定的に意味が変わるわけではありません。しかし、どこで区切るかで意味が変わってくる例もあります。よく取り上げられるのは
「ここではきものを脱いでください」
ですが、これは「、」を入れなくても「着物」「履物」と漢字にすることで誤解の余地はなくなります。ところが、
「今はやっていない」
となると「今、はやっていない」なのか「今は、やっていない」なのか不明で、「、」が必要です。実は「流行る」という漢字が常用漢字の読みとして認められないため新聞では平仮名になります。でも、下手をすると文意が正確に伝わりません。校閲は機械的に「流行→はや」と直すだけでなく、直した結果、誤解を生まないように「、」を補う工夫が必要でしょう。
「、」は読点といいます。日本語の歴史で文章を「読」みやすくするために編み出された「点」なので、「読」者の目で「点」検し適切に打ちたいものです。
【岩佐義樹】
【注1】これは1958年発行の旧版。1991年の「新日本古典文学大系25」では「しろくなり行、やまぎは」。
【注2】同上。「新」の注釈では「『しろし』は『著(いちじる)しい』の意。だんだんはっきり見えていく、その『山ぎは』が少し明るくなって。ただし『やうやうしろくなりゆく』で切る読み方が可能で、検討に値する」。