島根県の市名は「大田」?「太田」? 森鷗外の小説は「山椒大夫」?「山椒太夫」? 「たろう」の漢字は「太郎」ではないかも?――テンが一つ違うだけで間違いになってしまう「大」「太」の違い。三つの話題でお届けします。
2勝2敗で盛り上がる藤井聡太王将VS羽生善治九段の王将戦。第5戦の舞台の地名にちなんで、「大」と「太」の漢字についての話題です。では、会場の「国民宿舎さんべ荘」のある島根県の市名は「大田市」「太田市」のどちらか、ご存じでしょうか。
目次
大田市? 太田市? そして読み方は?
答えは「大田市」。世界遺産の石見銀山があることでも有名です。同じ「大田」の地名は「東京都大田区」。これに対し群馬県には「太田市」があります。
島根県のオオタは「大」と覚えておきましょう――と言いたいところですが、実はその覚え方では別の間違いをしてしまいます。
実際にあった原稿の間違いです。「大田」の読み仮名「おおた」は「おおだ」の誤りです。
ちなみに今書いているパソコンで「おおだし」と打って変換すると「太田市」は出ません。正確な読み方は正確な表記に直結し、逆もまた真なりです。「大田市」とある字にパソコンのルビ機能で読みを表示すると正しく「おおだし」が出てきます。
広辞苑で調べれば間違える?「山椒だゆう」
さて、「大」と「太」でよく間違えられるのは「大宰府」と「太宰府」ですが、今回は「大夫」「太夫」について紹介しましょう。最近直した他の「大」「太」の取り違いに、安寿と厨子王が出てくる森鷗外の小説があります。「山椒大夫」「山椒太夫」どちらでしょう?
広辞苑で「さんしょうだゆう」を引くと【山椒太夫】とあります。一部引用します。
(由良長者の話を語り歩いた太夫の称に由来するかという)丹後国加佐郡由良に住んで、強欲非道の富者として伝えられる人。……中世以降、小説・演劇の題材となり、森鷗外にも作品がある。山荘太夫・三庄太夫とも書く。
――となると、答えは「山椒太夫」の方ですね!と、早合点してはいけません。「山椒大夫」が正解です。これは広辞苑の書き方が不正確と思います。いや広辞苑だけではなく、大辞林も【山椒太夫・山椒大夫】と併記するのはいいのですが、森鷗外の小説がどちらの表記なのか分かりません。
表記がいろいろあることからも想像されるように、「さんしょうだゆう」は元は口から口へ伝わる伝説の一つだったようです。だから辞書の漢字表記がいろいろあるのはやむを得ませんが、鷗外の小説の表記は一つだけのはず。「森鷗外にも小説『山椒大夫』がある」などとした方がよいと思います。
もっとも、いま辞書を引くよりネット検索して画像を含めたサイトで確かめられるので、悪影響は少なくなっているかもしれませんが……などと書くと、固有名詞を載せる辞書の存在価値は?という身も蓋(ふた)もない話になってしまいますので、広辞苑さん大辞林さん、次の版での修正を期待していますよ。
「たろう」は「大朗」が今風の名前?
「太」と「大」の話題をもう一つ。最近、若い男性や男の子の名前で、例えば「幸大朗」「凜大郎」などというように「大」を「た」と読ませる名前が増えていると思いませんか。
明治安田生命では名前の人気ランキングを毎年発表しているのですが、その一部に「人気の漢字」というランキングがあります。2020年、男の名前でそれまで10年以上トップだった「太」が2位に落ちたそうです。22年には「太」は6位まで下がりました。逆に「大」は20年の4位から3位に上がっています。
そういえば英国の作家ロアルド・ダール(故人)の作品中、出版社の判断で「太った」が「大きな」に変更されたという記事がありました(有料)。日本人の名前の傾向とは関係ない話ですが、もしかしたら最近は「太」は「太る」というイメージで避ける傾向が出ているのでしょうか。漢字の「太」には「太平」「太陽」など平和、根源のニュアンスがある素晴らしい字のはずだったのですが――。
理由はともかく、校閲としては「たろう」が「太郎」とは限らない、「大郎」「大朗」かもしれない……と全ての可能性を視野にチェックしなければなりません。そうそう、藤井聡太さんにあやかりつつ少し変えた「聡大(そうた)」なんて名前の人も既にいるかもしれませんね。
【岩佐義樹】
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