三省堂現代新国語辞典はコロナ禍を経ての今回の改訂。コロナ禍で注目を浴びた言葉の採否の裏話を聞かせていただきました。「あの項目」に新たに加えられた、小野正弘先生渾身(こんしん)の語釈にも注目です。
「三省堂現代新国語辞典」は新型コロナウイルス感染拡大前だった前版から、今回は感染症法上の位置づけが5類に移行した後の第7版刊行となりました。全4回のインタビュー最終回はコロナ関連の言葉についてもうかがいました。
コロナで注目 「手指」「黙食」
――前回の改訂はコロナ禍前、今回は感染症法上の位置づけが5類に移行して落ち着いてきた時期での改訂です。コロナ関係の言葉についてはどのような扱いになりましたか。
小野正弘先生 人流は字を見ればわかるような言葉ですからね。
――――「人流」は、「物流」に対しての「人流」として昔からあったといえばあったようですが。ソーシャルディスタンス、言わなくなりましたね。
木村晃治さん そういう意味では(採録しなかったのは)賢明だったかもしれません。
小野先生 「てゆび(手指)」っていうのは、ちょっと意味がずれていっていますよね。「手指」っていえば、もともと「手に付いている指」なのであって(6版の説明は「しゅし-手の指」)。そういう意味だったのに、「しゅし」ないし「てゆび」は「手と指」という意味になっちゃいましたよね。「手指を消毒」と言われて、指の先だけ洗って消毒したというのではまずいですもんね。
他には、「黙食」は載せなかったんですよ。これはちょっと、わけのわからない言葉ですよね。つまり反対語は何かというと、「話食」……? やっぱり何か変な感じです。あとこういう「黙食」(を強いられるような状況)が早くなくなりますように、というのもあってね。
私は東北の岩手県の田舎の出身なんですけれども、田舎では食べるときはものを言わないんですよ。ご飯食べているときにしゃべると父親から叱られたものなんですよ。だから今でも私はものを食べるときはしゃべんないんですよ。しゃべりながらものを食べるという方が私には違和感がある。みんなで食事に行ったら黙っているというのも変ですししゃべりますけれども。そういう個人的な経験から「黙食」を載せなかったというわけではないですけどね(笑い)。
――山本康一さんと柏野和佳子さん(岩波国語辞典の編者)との対談イベントでは、「黙○」を造語成分として辞書に入れてもよいかもと話題になりましたね。
小野先生 「黙読」というのがありますよね。それがあるので学校の中では「黙食」って言いやすかったのかもしれないですし、受け入れられやすかったのかもしれません。
辞書ファン驚き 「右」の新語釈
――特にうまく書けたな、気に入っているなというような語釈があれば教えてください。
小野先生 今回実は「右」の説明を変えました。例えば「この辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う」という書き方をしたりもするんですけど、そこを今回は「視線の方向」「基準線」という二つの軸を設けて、視線の方向に、ある基準線を設けて、そのこっち側とあっち側で決まるんだという説明の仕方をしました。その「基準線」が大事なんだと。説明に「松」という字を使ったんですけれど、「木」と「公」の間に基準線が引いてあると、公の方が右、木の方が左というわけです。多分これは結構新しい説明の仕方だと思いますね。
――よくある「北を向いたときの東側」のような説明の仕方ではなく。
小野先生 「舞台右手」とか言いますけど、それは観客から舞台をみたときの右であって、舞台に立っている人にとって「右」は逆の方向になりますよね。それはやっぱり視線方向と境界線、その二つで決まっていくというのを論理的に書いたのは初めてじゃないでしょうか。今まで客観的に、例えば「この辞典の偶数ページ」としたとしても、それには実際に見ている方向と、基準線、辞典であれば折り込みのノドの部分があるわけですよね。方角で示すにしても、何が視点になっているのかというのが抜けています。
ただ、三省堂国語辞典は「一」(漢数字)を書いたときに後ろ側にある方、と確か書いていますよね(三省堂国語辞典第8版:「一」の字では書き終わりのほう)。あれはなかなか頑張った書き方だなと思っています(笑い)。実はそのときに、「一」じゃなくて、漢字のへんとつくりに分けて境界線を引けば説明できるだろうとふと思って。例えば「松」の公の真ん中あたりに境界線を引いてしまうと、その半分側が右で、「木」ともう半分が左になる。どこに基準線を引くかが大事なんですよね。たぶん人がその「右」っていうのを教わるのは親などから触られるんですよ。右側を触って「こっちが右だよ」と。そういう概念を改めて辞典で説明するのは大変なんですよ。あれ、これと、こう指さして教えるようなものですが、辞典に「あれ」と書くわけにはいかないのでね(笑い)。そこにどういう論理が働いているのかっていうのを考えるのは難しいです。
あと、同一部分の中の右と、そこから外れた右とある。肝臓が体の右にあるというのと、君の右にあるそれ、みたいなのも区別しないといけない。上と下もやろうかと思ったんですけど、今回はこれで力尽きてしまいました(笑い)。これは今度できたらいいですね。
学習指導要領の改定や大学入試改革など国語教育を取り巻く環境がめまぐるしく変わる中で、1988年の初版発売以来30年以上にわたって高校生たちの学習に寄り添ってきた三省堂現代新国語辞典。教科書に登場するのに他辞書ではなかなか見つからない言葉が載っている、若者が使っているような言葉を認め取り上げてくれている――。高校生たちにとって使えば使うほどに「自分たちの方を見てくれている」と感じられ、親しみやすく心強い存在でしょう。一方、本来と違う用法の言葉を「誤り」「俗用」と断じるのではなく、なぜ意味の変化が起きたり本来と違う使われ方をするようになったりしたのかを丁寧に説明するなど、ともすれば時間に追われて問答無用で赤を入れてしまうこともある校閲記者を優しく立ち止まらせるような記述も。編集主幹の小野先生は「辞典で楽しんでもらいたい」といい、「楽しい、とか、面白い、と思ってもらえることが、一番の励みで、ご褒美だ」とも。国語辞典は校閲記者の傍らにいつも置いている「仕事の相棒」ですが、それだけでなく、読んでめくってじっくり味わいたい魅力が詰まっていました。
【久野映】