ドラマ化もされた漫画「重版出来!」が完結。校閲がテーマになったエピソードもありますが、それを読んで思い起こしたのはあの「神校閲」でした。
松田奈緒子さんの漫画「重版出来!」(小学館)が2023年6月に完結し、8月にコミックス最終巻となる第20集が発売されました。主人公は漫画雑誌の編集者ですが、校閲をテーマにした回もあります。
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漫画を史実の通りに直すのか
収録されているのは単行本第6集。「忠臣蔵」を題材にした漫画で校閲を通すというエピソードが描かれます。校閲担当者は討ち入りのシーンについて資料を参照しながら確認し、雪が降っている情景に疑問を持ちます。調査したところ史実では討ち入りの日に雪は降っておらず、月齢14前後の月が出ていたとのこと。
漫画だし、史実に合わせる必要はないのだろうか。でももし作者が雪だったと思い込んでいるだけであれば指摘した方がよいかもしれない――。校閲者は悩みますが、「念のため」ということでメモをつけて指摘を出します。
その結果どうなるかは漫画で読んでいただくとして、私がここで思い起こしたのは2013年に拡散した石井光太さんのツイッター(現在のX)の投稿でした。
小説の舞台となった日付の実際の月齢を調べ、矛盾がないかを確認している。校閲者はここまでやるんだ、ということで「新潮社の神校閲」と呼ばれ、大きな反響を呼んだのです。
ちなみに毎日新聞では連載小説の担当校閲は決まっており、チェックの経験がある校閲記者は多くないのですが、普通の記事に出てきた天候などはもちろん確認しています。次のように「その日は新月ではなかったのでは?」といった指摘を出すこともあります。
つまり天候などのチェックは校閲ならば普通にこなす仕事なのですが、ここで言いたいのは「天気や月齢を調べることなんて校閲なら誰でもやってるよ、『神校閲』なんて大したことない」ということではありません。石井さんが載せていた写真を見ただけでもこの校閲作業がすごいものであることが分かります(ゲラの写真はこちら)。
「神校閲」がなぜすごいのか
まず普通の人であれば、「まぶしいほどの月光」という小説内の表現から、「月齢を確認しておこう」と思い至らないのではないでしょうか。「雨が降っていた」「真夏日だった」などとあれば即座に確認するでしょうが、そこまで直接的ではない文章を読んで「ここは調べるところだ」と気づける繊細さに感嘆させられるのです。
それだけではありません。月齢のメモ以外にも多くの書き込みがあります。私が特にすごいと感じるのは、「初めて……ということを知った」という文章に対して「初めてではないのでは?」と疑問を提示しているところ。これはしっかり読み込んでいないと出せない指摘でしょう。
単に月齢をチェックしているというだけではなく、作品内容の矛盾などの指摘も含め、この小説の(おそらく)全体にわたって厳密にチェックしているのがすごいのです。このゲラは「小説新潮」に連載された「蛍の森」のものだそうで、毎月毎月これと同じ熱量で校閲作業をしていたと想像すると、「神校閲」も大げさではないと思えてきます。
校閲部長の金言
フィクションですが「重版出来!」の校閲者も同じです。どこまで指摘すべきか「作品との距離の取り方がよく分からない」と悩みながらも、漫画の背景を何となく見過ごさずに史実と突き合わせる繊細さ、慎重さ。そして「この仕事はとにかく根気がいります」「一文字ずつ一文字ずつ追ってゆく」「ひたすら地道な作業が続く」「調べて調べて確認して」と独白する仕事ぶり。ここにも「神校閲」があると思います。
漫画の中で校閲部長は言います。「校閲というのは難しい仕事ですね。でしゃばってもいけないし、下がりすぎてもいけない。作品に寄り添いつつも読者には気付かれてはいけない。本そのものに潜るような仕事です」。書かれた(描かれた)ものを尊重しながら、その正確さを担保し、読者にきちんと伝わるようにする。「作品」「本」を「原稿」「記事」などと考えれば、新聞校閲にもそのまま当てはまる金言でしょう。
【林弦】