by Klaus D. Peter |
ある日、先輩に聞かれました。もちろん知っていますとも。「『機嫌が悪くなり、むっとする』くらいの意味ですよね」なんて、意気揚々と答えました。すると、「やっぱり知ってるんだー、それ新潟の方言らしいよ」と言われました。はじめは言われていることがよく分からず、「まっさかー」と思って辞書をひくと、確かに載っていない。私が普通に使ってきた言葉が方言だったなんて……。かなりショックを受けました。先輩はテレビでそのことを知り、新潟生まれの私にそう聞いてきたのです。
数日後、また別の先輩から同じ質問をされました。同じテレビ番組を見たのかと思い、そう聞くと、違いました。ある紙面の校閲をしているときに出てきて、辞書にもなく、意味が分からずインターネットを調べると新潟の方言と書いてあったということです。もしその校閲を私がしていたら、おそらく何の違和感も持たなかったと思います。
会話文の中で使われているのであれば、そのままの表現でも構わないでしょう。また、方言で書くことに何らかの意味を持たせているのであれば、それが必要かどうかを吟味して判断しなくてはいけないかもしれません。しかし、そうではない場面で方言が出てきたら、やはり標準語に直すべきだと思います。ただ、語尾やイントネーションが違えば方言と分かるものの、今回のようにまったく気づかない方言もあるのです。
たとえば、「(先生に)かけられる」。私が大学進学に伴い東京に出てきてから、県外出身の友人に指摘されたものです。「明日授業で、かけられるかな」と言うと、友人はぽかんとした顔をして、言いたいことが伝わりませんでした。これは、標準語の「さされる」「あてられる」などにあたる表現だということは、今では分かりますが、当時の私はそれが方言だと知らず、ただただ赤面していました。
また、以前方言について書かれた記事にあった「大洋紙(たいようし)」という言葉。学校でよく発表などの際に用いられる大きい紙のことです。これも新潟固有の言い方だそうで、「模造紙」というのが普通とのこと。学校の先生も確かに大洋紙と言っていたし、私の中では、今さら模造紙と言われたところで、ぴんときません。この模造紙、地方によってさまざまな呼ばれ方をしていて、熊本や佐賀では「広洋紙(ひろようし)」、香川、愛媛で「鳥の子洋紙(とりのこようし)」、愛知、岐阜は「B紙」などなど。一つのものをさすのに、ここまでいろいろな言い方をするというのはとても興味深いです。
今回は新潟の方言を見ましたが、土地によって独特な表現はどこにでもあります。代々その土地で使われてきた言葉として、これからも残っていってほしいし、残っていくべきだと思います。しかし一方で、新聞という多くの人に読まれるものを作っている限り、皆が分かる言葉を使うのは当然のことだとも思います。今回あげたもの以外にも、まだまだ標準語と思い込んでいる言葉はきっとたくさんあるはず。そんな表現が出てきて「それ方言だよ」と指摘されたときは、「新潟の人には通じるもん」なんて「鼻を曲げず」に謙虚に聞き入れ、粛々と赤字を入れたいと思います。
【薄奈緖美】