「『お客』って使わない方がいいんですよね」と出稿部の記者から尋ねられたことがある。紙面では原則として敬語は使わない。新聞はシンプルにわかりやすく事実を伝えなければならないからだ。
「客」と書いて十分伝わるものに「お」をつける必要があるのか。もちろん、だれかが話した言葉として「 」の中に入るなら紙面でも使うが、その場合も「お客」ではなんだか足りなくて「お客さん」「お客様」と言いそうな気がする。
質問は「 」の中でなく地の文についてだったが、「基本的にはそうですが、『お客』と書いても構わない場面もあるかもしれません」と答えた。社会面などで取り上げた人物の心情を地の文で書くこともあるからだ。
例えば、飲食店を開いた主人公の気持ちをたどるように書いていった場合、「遠方からの客も増えた」だと、読み手も主人公の気持ちになっているので少しぞんざいな感じがするかもしれない。
特に「客」という言葉は物を買ってくれるとか、訪ねてきてくれるというような相手だから「お」をつけたくなるということはあるだろう。一般の記事では「年配の客を対象に」「運転手が客に暴行」などとして「お」はつけないが、「客」でなく「顧客」「乗客」などと書くことも多い。
「お」「ご」をつけるかどうかで迷うようなことはほかにもあるのではないか。そんなことを考えていたところ、毎年開かれるNHK放送文化研究所主催の「文研フォーラム2018」に、「放送の中の美化語を考える」という調査報告があったので行ってみた。
「美化語」は敬語の一分類で「上品に言い表そうとするときの言い方」(大辞泉)。「お客」も美化語だ。菊地康人氏著「敬語」(講談社学術文庫)には辻村敏樹氏が「お菓子・ご飯」などを丁寧語と区別して「美化語」と呼び、「以来、美化語という用語は学界で広く行われている」と書かれている。
辻村氏は故人だが大学時代の恩師。出来の悪い学生だったわたくしも「美化語」という分類くらいは覚えているが、今改めて同氏著「現代の敬語」(共文社、1967年)を見ると「素材敬語」「対者敬語」に分けたうちの「素材敬語」に入り、「表現素材を美化する言い方」……と難しい。とはいえ、丁寧語にあたるという説明は記憶通りだ。
NHK放送文化研究所の滝島雅子さんによる調査報告では、ある番組から拾った美化語を分類して考察しており、興味深かった。
②ないと別の意味になるもの=お決まり、おしゃれなど
③ついてもつかなくてもほぼ同じ意味として使われるもの=お茶、お年寄りなど
このように分類し、③については、「お菓子」「お茶」などを「通常語として定着しているもの」、「お年寄り」「お酒」などを「場面差、個人差などがあると思われるもの」に分けている。「お客」は③の後者にあたるだろうか。新聞は通常③は使わないということになるだろうが、①と②は「お」「ご」なしには使えないわけだ。
新聞は敬語を使わない→美化語は敬語だから美化語は使わない……と単純には言うことができないということに、今更ながら気がついた。
そういえば、辞書を引くときに「お」から引くか「お」がつかない言葉で引くか迷うこともある。手元の小型辞書3冊(いずれも7版)を比べただけでも、項目名がある○、なし×で
お手盛り | 手盛り | お手並み | 手並み | |
---|---|---|---|---|
新明解国語辞典 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ |
三省堂国語辞典 | ◯ | ☓ | ☓ | ◯ |
岩波国語辞典 | ◯ | ◯ | ☓ | ◯ |
——と微妙に違っていた。
「お手並み」はまず単独で使うことはなく、「お手並み拝見」の形で使うから「お手並み」で項目は立てないという判断もあるだろう。中型の「大辞泉」「広辞苑」は「お手並み」でなく「お手並み拝見」として項目を立てていた。また、3冊のうち「お手並み」「手並み」両方ある辞書は同じ意味として載せているが、「手盛り」を載せた辞書は「自分で食物を盛る」という「お手盛り」とは別の語釈も書いてある。
すべて新明解国語辞典第7版
また、「毎日新聞用語集」には、常用漢字表にない読みを含む「おてまえ=お点前」を慣用読みとして明記しており、紙面では「お点前」をルビなしで表記できることにしている。しかし「お」のつかない「点前」だけではどうか。
「『お点前』なら多くの人が読めるだろうが、『点前』だけでは読みにくいかもしれない」と考えるならば、「点前」を使う場合はルビを振らなければならない。「『お点前』が読めて『点前』が読めないことはないだろう」と考えるなら、「てまえ=点前」を慣用読みとしてルビなしで表記するように用語集に載せるべきだろう。そうすれば「お点前」「点前」いずれもルビなしでよいということがはっきりする。次の改訂では検討したいものだ。
さて、調査報告終了後、滝島さんに話しかけた。「新聞では敬語は使わないからあまり関心のない話だったのでは……」と言われたが「お客」の話をすると、すかさず「お客だと足りない感じですね。お客さんとかお客様とか……」と返ってきた。さすが話し言葉のプロ。もっと伺いたいこともあったが、その場は他の来場者に譲った。
滝島さんは今後、美化語の場面ごとの使用傾向やジェンダーの視点から、また、名詞以外の美化語——と研究を続けていくそうだ。今回の分類などを参考に、わたくしも新聞の中の美化語について考えていきたいと思う。
【平山泉】