毎日新聞を長く取ってくださっている読者なら、1981年から86年にかけ朝刊1面の題字(かつては縦一列の「毎日新聞」でした)の下に「けさひらく言葉」というミニコラムがあったのをご記憶かもしれません。歌人、塚本邦雄さん(2005年死去)が和歌はもちろん詩、小説、評論、仏典などから一節を選び、短文を添えていました。
時を経て、体裁もコンセプトも格調も全く違いますが、「ことば」を冠したコーナーが朝刊1面に誕生しました。
目次
解説は新聞を開いて探す
7月から毎日連載している新聞版の「毎日ことば」です。毎日新聞校閲センターの数人が執筆しています。
1面に何らかの単語や文章を示し、その新聞のどこかに解説を載せるというスタイル。「ことば」という言葉だけではなく新聞を「ひらく」という行為で「けさひらく言葉」の後継といえるかも……。まあそれはこじつけですが、おかげさまで「豆知識が身につく」「切り抜いています」などの読者の声をいただいています。内容は今のところ3パターンに分かれています。
1. このウェブサイト「毎日ことば」のアンケートで取り上げた言葉
2. 「読み方は…」という文言とともに記す難読語など
3. 「どこを直す?」という文言とともに間違いや注意すべき言葉を仕込んだ文章
掲載時にちなむ漢字を
「読み方は…」では、ニュースや季語など、なるべく掲載時期にちなむ漢字を選んでいます。今年は7月22日だった「海の日」には、五輪と引っかけ「海内無双」を選びました。「四字熟語ときあかし辞典」(円満字二郎著)で見つけた語です。
7月20日掲載の「細波」は、もともと新型コロナウイルスの感染状況を「日本はこの程度の『さざ波』」とツイートしたことなどに触発されたものでした。その発信者である内閣官房参与の辞職にも触れていましたが、原稿を出した後に澤田瞳子さんの直木賞受賞が決まり、急きょ書き換えました。
澤田さんが6月まで毎日新聞夕刊に連載していた、額田王を主人公とする「恋ふらむ鳥は」で、ラスト近くになってこの漢字が2度出てきます。
葛城の苦悩も漢(あや)の屈託も大海人(おおあま)の惰弱も、そして額田自身の葛藤も――この細波(さざなみ)打ち寄せる近江に確かに存在していたのだ。
自分はきっと、歌うだろう。住む人の失(う)せた近江の街区で、細波(さざなみ)砕ける浜辺で、この地を愛した葛城(かつらぎ)の歌を――
古代の言霊を呼び起こす「細波」
ここで一般的には多い「さざ波」という表記ではなく「細波」という漢字を作者が選んだのは、単に格調を高めるためだけではない理由があると想像されます。辞書によると、「細波の」は地名にかかる枕ことばのような使い方があったのです。「古典基礎語辞典」(大野晋)には「『万葉集』では、『ささなみの志賀』『ささなみの大津』などのように、近江の地名に冠して用いる例が多い」とあります。「寄る」などにもかかるそうです。
ちなみに「さざ」は「君が代」で歌われる「細(さざれ)石」の「さざ」でもあります。
「恋ふらむ鳥は」のクライマックスは、葛城つまり天智天皇の都だった近江京が大海人皇子の軍勢によって滅ぼされる壬申の乱です。平仮名がまだできていなかった時代にあった「近江」と「波」のつながり。その言霊を呼び起こすには「さざ波」ではなく「細波」という表記が必要とされたのではないでしょうか。
新聞にも考えさせる要素を
実は新聞記事の表記としては「細波」は「さざ波」に直すことになっています。この例に限りませんが、いくら解説があるといっても新聞の1面でおきて破りの漢字を掲げることには葛藤がついて回ります。
しかし、塚本邦雄さんは新聞連載の文章について「分かりやすい、くみしやすいものばかりが幅をきかすのは悪い風潮。新聞にも、読者が考え込んでしまうものは要る」と言っていたそうです。
使用実態のあまりにも少ない難読字は避けているつもりです。ただ、読者が「これはどう読むんだろう」などと考えながら新聞を開き「こういう言葉や書き方があるんだね」と、日本語の多様性に触れ知識を増やしてくだされば、きっと意義があることだと信じ、その時にふさわしい言葉を探す毎日です。楽しみにしていただければ幸いです。