「起きる」と「起こる」の混用に関連して質問しました。
目次
「起きる」か「起こる」にそろえたい人が各3割超
現在の混乱は「起こるべくして起きた」ものだ――カギの中、どう感じますか? |
問題ない 19.9% |
「起きるべくして起きた」としたい 31% |
「起こるべくして起こった」としたい 37.2% |
質問文および上二つの形のいずれでもよい 11.9% |
「物事が新たに発生する」という意味でいずれも使われる「起きる」と「起こる」。「起こるべくして起きた」という「起こる」と「起きる」が交ざった表現も、意味の上から問題があるわけではありません。しかしこのように用語がバラつくことに関しては、「起きる」ないし「起こる」にそろえたい、とした人がそれぞれ3割を超えました。
出題者としては、用語はそろえたいという感覚にうなずく一方で、交ざったものが自然に見えるという場合もありそうだとも感じています。
伝統的には「起こる」、現在の慣用は「起きる」
NHK放送文化研究所が出している「放送研究と調査」は新聞校閲にとっても興味深い内容を扱っています。今年2月号掲載の放送用語委員会のリポートには「語形について」として四つのテーマについての検討内容が記載されており、その中に「(事件などが)起きる・起こる」という項目も含まれていました。
議論の内容は、NHKの「ことばのハンドブック」2版の内容について、今後も「現行の記述を踏襲することとしたい」というもの。その記述とは以下の通り。
起きる・起こる
伝統的な語法としては「起こる」、現代口語では「(津波が)発生する」という意味では「起きる」と表現する慣用が強い。
これを変更しないということですが、「何が問題なのか」「変えるとしたら何を変えるのか」、ぴんとこない人もあるかもしれません。
無理に統一する必要なし、ということ
こういう項目が必要なのは「起きる」「起こる」のどちらを使うべきか迷うことがあるからのはず。しかし、ここには「何をどうしろ」という方針が書かれておらず、校閲記者としてはそこを面白く感じます。伝統的には「起こる」だが、今は「起きる」がよく使われる、と言っているだけですから。
それでもあえて書いてあるのは、どちらを使うか迷った場合に「どちらも根拠のある用語である」ということを示すためでしょう。こうした説明がある方が、単に「どちらを使ってもよい」と言われるよりも、書き手や話し手は安心して言葉を選ぶことができます。
検討のきっかけは、「起きる」と「起こる」のいずれかに用語を統一すべきか、というものだったと思われます。しかし、国語辞典を見ると、「起きる」の項目中に「物事が新たに発生する」という意味に添えて「本来は『起こす』に対応する『起こる』が一般的だったが、近年『起きる』の方が多用される」(明鏡国語辞典3版)とあります。NHKハンドブックの説明と大差なく、「起きる」「起こる」の一方を優先すべき事情があるとも感じられません。検討の結果として、ハンドブックの説明が現状維持になったのも理解できます。
「起こるべくして起きた」になる事情
ただし、だからといって「起こるべくして起きた」のような言い回しを見て疑問が湧かなくなるわけではありません。この形について毎日新聞の記事データベース(1987年~、東京本社版)で見つかった記事の件数は以下の通りです。(活用形を考慮して動詞の一部は途中まで)
「起こるべくして起き(た)」 85件
「起こるべくして起こ(った)」 72件
「起きるべくして起き(た)」 26件
「起きるべくして起こ(った)」 0件
今回は選択肢に挙げなかった「起きるべくして起こった」のような形がゼロというのも興味深いです。一方で、辞書の用例にもあった「起こるべくして起きた」のような形が最多だということに軽い驚きを感じます。「起こる」「起きる」が交ざっていてダメなわけではなく、むしろ交ざっている方が自然に感じられるということでしょうか。
前半部、「起こるべく~」が「起きるべく~」よりも好まれる理由としては、助動詞「べし」が元々は文語の助動詞であることが関係していると考えます。日本国語大辞典2版の「起きる」の項目を見ると「穏やかな状態のところに、それを騒がせるような物事が生じる」という意味での最初の用例は1921年のもの。「起きるべし」という形には、文語時代の用法の積み重ねがないのではないかと考えられます。
一方、「起こる」の方は、同様の意味の用例は古事記のものから載っています。「起こるべし」という形も11世紀の栄花物語で「今年は裳瘡(もがさ)といふもの起るべしとて……」という例を見ました(小学館日本古典文学全集32「栄花物語」巻第十六)。用法の蓄積の差は明らかで、「起きるべく」より「起こるべく」の方がなじむ、という感覚はあって当然だと思います。
その一方で、後半部の「起きた」「起こった」という形に関しては「起きた」の方が使われるという現在の傾向が影響しており、「起きた」を使うことに抵抗がないのではないでしょうか。
目立たない用語も吟味されている
正直に言うと、出題者もNHKのリポートを読むまで、「物事が発生する」という意味での「起きる」と「起こる」の差について、意識したことがありませんでした。改めて使われ方を観察してみると、これはこれで何も根拠がなく入り交じっているわけでないのだとも感じます。
実践的には、今回のアンケートのような用法で「起きる」と「起こる」に差を付けて使う必要はないと考えます。出題者としては、回答の一番少なかった「いずれでもよい」という立場に近いです。一方で今回取り上げたケースのように、報道で使われる用語はあまり目に付かない部分でも吟味されている、ということに興味を持っていただけるならば幸いです。
(2021年06月08日)
NHK放送文化研究所の月報「放送研究と調査」の今年2月号には「語形について」という局内での用語に関する意見交換の様子が載っていました。そこで取り上げられた題材の一つが「(事件などが)起きる・起こる」というものです。
NHK「ことばのハンドブック2版」には「伝統的な語法としては『起こる』、現代口語では『(津波が)発生する』という意味では『起きる』と表現する慣用が強い」という記述があります。「物事(特に非日常的な事態)が新たに発生する。生じる」(明鏡国語辞典3版)という意味では元々「起こる」が使われていたものが、現在では「起きる」が主流になっているということです。
検討の結果、ハンドブックの記述は変更無しとなったとのことですが、出題者は上記のことをよく認識していなかったので感心し、手近な辞書で「起きる」の項目を引いてみました。載っていた用例は「起こるべくして起きた事件」(現代国語例解辞典5版)。ん?
「起きる」の用例なのに「起こる」で始まっているのは何か訳がありそうですが……どうも釈然としません。「起きる」が「起こる」の意味で使われるようになってきたが、やはりそこは「起こる」でなければならないのか。こういう場合は皆さんの感覚に伺った方が早いかもしれないと思い、アンケートとして質問することにしてみました。いかがでしょうか。
(2021年05月20日)