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「しょくへん」が「飠」ではダメなのか
トヨエツこと豊川悦司さんがNHK「チコちゃんに叱られる!」に出た回。チコちゃんが出演者に正解されて「ボーッと生きてんじゃねーよ!」という決めぜりふを言えない悔しさを紛らすために「ギョーザ」を漢字で書く問題を出しました。
豊川さんがボードに書いたのは、おちゃめなことに「飠」の右にギョーザの絵。その下に書かれていたのは「飠」に「交」の「子」でした。
これをチコちゃんは不正解としました。正解は「餃子」で、「しょくへん」の下は「二」みたいな横線でなければいけないということです。
それはないよ。チコちゃん、トヨエツにダメ出ししてんじゃねーよ!――と叱りたくなりました。
確かに、普通の辞書では「餃子」の漢字しか掲げられていません。パソコンやスマホで調べても、今は「餃子」しか出ないでしょう。しかし「」の字体は決して間違いではありません。
それがダメなら、例えばギョーザの某チェーン店の看板や箸袋の文字がすべて誤字ということになってしまいます。
手書きと印刷の字は別
これは「令和」の「令」の字を、手書きで「」と書くとバツにするようなものです。現実にその「被害」にあった人もいるようです。阿辻哲次さんの「日本人のための漢字入門」(講談社現代新書)によると、今は首相になった官房長官が手書きの「令和」の字を掲げた時、「あの字は間違っている」と阿辻さんにメールが来たそうです。短い横線であるべき第3画が点になっていると。
活字の字形が絶対に正しくて、その通りに書かなくてはならないと思い込んでいる日本人のなんと多いことか。
しかし、漢字に詳しい人ほど知っています。「手書き字形と印刷字形が別のもの」であり「中国でも日本でも、昔から今まで、漢字の歴史を通じて、印刷される通りに漢字を書く、などということは一度もなかった」(同書)ということを。
要するに「令」と「」、「餃」と「」はそれぞれ同じ字なのだから、どちらで書いてもよいのです。これは、手書きだけではなく、印刷された字についてもいえます。
事実、毎日新聞ではギョーザは基本的に片仮名ですが、固有名詞として使う場合は「子」を標準として使っています。例えば紙面のこんな見出し。
読売新聞でも同じ字体が使われています。
餃子の字だけではありません。毎日新聞紙面では、飢饉(ききん)の饉も、飴(あめ)も、常用漢字である「飢」「飯」「飾」と同様、「へん」が「飠」の字体を用いています。
「3部首許容」でどちらの字体もOK
ただし、こういう見解もありそうです。令は常用漢字だからいいとして、餃は常用漢字ではない。常用漢字ではない字は昔の字体を使うのが原則では――と。
確かに、常用漢字ではない字(表外字)は、2000年に国が定めた「表外漢字字体表」で、例えば「むしばむ」の字を「蝕」、「まんじゅう」のマンの字を「饅」など、旧字的な字を掲げました。これは戦後の当用漢字から続いた「飼」などの字体と食い違うものです。餃は表外漢字字体表にはありませんが、常用漢字表にもないので、表外漢字字体表の考え方を援用して、「餃」とすべきではないか、というのも一つの立場です。事実、今ではパソコンなどの情報機器で表示される字は、特別なフォントを入れていない限り「餃」でほぼ統一されていると思います。
それでもなお毎日新聞が「」の字体を続けているのはなぜでしょう。
これは、常用漢字かそれ以外かという、一般的にはあまり知られていない区別によって、重要な構成要素である「へん」が変わる(「飢饉」のように)のは望ましくないという理由によります。ほかの部首では、「しんにょう」の点は「1点」としているので「辻」も「逡巡」も毎日新聞では基本的に「1点しんにょう」で載ります。祇園の「祇」などで使われる「しめすへん」は「ネ」を基本にしています。
一見、国の定めた表外漢字字体表に逆らっているようですが、よく見るとこの漢字表の「しょくへん」の漢字には「備考欄」として「3部首」と記されています。そして「字体表の見方」を見ると――
3部首(しんにゅう/しめすへん/しょくへん)については,印刷標準字体として「辶/⺬/」の字形を示してあるが,現に印刷文字として「辶/礻/飠」の字形を用いている場合においては,これを印刷標準字体の字形に変更することを求めるものではない。これを3部首許容と呼ぶ。
備考欄の「3部首」は,上記の3部首許容に該当するものを示すが,「謎」や「榊」など3部首許容に準じるものについても,同様に「3部首」とした。また,この字体表に掲げられていない表外漢字についても,現に印刷文字として「辶/礻/飠」の字形を用いているものについては,3部首許容を適用してよい。
ということで、毎日新聞としては「子」の字を問題ないとみなして使用し続けています。なお、毎日新聞が用いる明朝文字はこのたび発売された電子書籍「毎日新聞用語集2020年版」に主なものを掲載しています。
「似ているが別の字」こそダメ出しを
ついでにいうと、単にそれまで使っていた字体を変更するのが技術的に困難だったわけではありません。2010年の常用漢字改定で「𠮟」の字が採用されたので、毎日新聞のフォントはそれまで使っていた「叱」から「𠮟」に変更しました。
ちなみに「チコちゃんに叱られる」のタイトルロゴは「叱」のように見えます。だからといって不適切ではありません。本来は別字だそうですが、使用実態から見て「同字」と国も判断しているからです。ただし毎日新聞ではもし「叱」が出てくると校閲段階で「𠮟」に直しています。だから、やろうと思えば「しょくへん」の字体変更も可能だったのです。しかし、前述のように常用漢字の「へん」の統一性を考え、変えませんでした。
このように、字体の問題は複雑な経過をたどり説明が難しいのですが、NHKのスタッフはチコちゃんにぜひ「同じ字でもいろいろな形がある」ということを、5歳児にも分かるように伝えてほしいと思います。
そういえば小学1年生で習う字「人」「入」だって、普通の明朝活字やスマホの表示と手書き文字は随分違いますよね。だから、漢字の○×を付けるなら、「形は違っても同じ字」ではなく、「人」と「入」のような「似ているけれど別の字」の間違いにこそダメ出ししてほしい、と切に願っています。
【岩佐義樹】