優柔不断でなかなか決めきれない私に対して、「先生」は判断が早い……なぜだろう? そんな疑問から、判断の仕方にまだまだ不安がある3年目記者と、入社時に指導してもらった「先生」で昨年からデスクを務める先輩記者が、「どこまで直すか」といった点や、「専門用語はそのまま使うか」など新聞校閲の仕事について語り合いました。
【まとめ・加藤史織】
加藤史織(かとう・しおり) 2018年校閲記者として入社。中学生の頃、職業を紹介する本で校閲という仕事を知り、「間違い探しみたいで楽しそう」と興味を持つ。大学時代にフリーペーパーのサークルで実際に校閲を経験し、より多くの人にとってわかりやすく親切な記事を届けたい、という思いを強くし校閲の仕事を志望した。スポーツ観戦が好きで、特にプロ野球によく足を運んでいる。最近は専ら男子バレーにハマっており、SNSで選手の練習風景を見て癒やされる毎日。
目次
直したいけどどうしたら、という時
加藤 初校をしていると、時間が迫っているのに自分の中で納得できるところまでいかないとなかなか手放せない時があって、もう少し割り切れたらな、と思っています。沢村さんは判断が早いという印象なのですが、割り切りをつけられるようになったきっかけなどがあれば教えてください。
沢村 主任やデスクになって見る原稿の量が多くなってからです。いいのか悪いのかはさておき、少ない時間をどう使うか意識しています。ほかには「前にもこの件で悩んだな」という経験の記憶があって、それを判断の材料にすることもあります。加藤さんがなかなか割り切れないというのは用語ですか、それとも調査ですか?
加藤 用語ですね。ちょっと引っかかるなっていう表現の時に、直したいんだけれど、どう直したら伝わりやすくなるか、というのがなかなか思いつかない。出稿部(政治部、社会部などの総称)に聞きに行って一緒に考えてもいいんだけど、自分で考えた上でこうするのはどうでしょうか、って言いに行った方がスムーズだしな……とか考えてるうちにうわーってなりますね。
沢村 確かに、いくつか事例や提案を持って問い合わせに行けたらいいですよね。出稿部も納得してくれたり、あるいはよりよい案を出してくれたり。結果的に、指摘したところを考え直してくれて、読者に誤解なく伝わる表現になれば私たちとしては大成功なのでは。提案ができればいいけど「この箇所は誤解を招きませんか」という問題提起で十分いいと思いますけどね。
加藤 なるほど。記者の方が書いたものをこっちはおこがましくも直しにいく側なので、なんか変だなって思っても、でもわからなくはないし間違いじゃないしな、でもな……って悩んでしまって。「なんか変」っていう感覚も言語化できない。やっぱり気になると思って、わかりにくいと思うんですけどどうでしょうか、と出稿部に聞きにいくと、じゃあどうしたらいいですか、って言われてしまったことも(笑い)。そのとき私は案を持っていかなかったのでそうですね……って黙ってしまって、ちょっと雰囲気が悪くなった気がしました。
沢村 本当ならそこは出稿部で練っていただきたい(笑い)。言葉については、校閲の仕事はいくつか選択肢というか可能性を示す仕事だなと思っていて。こういう誤解が出る可能性はありませんかとか、この表現を誤用とする指摘もありますとか、チェック項目をいくつか示して、あり得るかもしれない不備をつぶしていく。出稿部の視点にはなかったチェック項目を示してそこを吟味できれば、まずはチェック機能がうまく働いたことになるんじゃないかな。
自分の中の日本語感覚も疑って
沢村 校閲にもさまざまな考え方があると思いますが、私はこのごろ「直さない校閲」を心がけています。自分は文章へのこだわりというか引っかかるポイントが多いと気づいたんです。でも別の校閲者に聞くと全然おかしくないよっていう場合もある。だから自分の中の日本語感覚を疑っていて。
加藤 えー!
沢村 疑ってるんですよ(笑い)。いや、譲れないところももちろんあります。文法上の問題、活用とか。でも、例えば助詞の使い方で引っ掛かっても、もしかしたら自分の感覚とは違うだけで問題ではないかもしれないという例も多いです。で、考えた末にそのままにしておくと、やはりおかしいと思ったのか出稿部が自ら直してくることもある。もう自分の感覚と判断が信じられなくなってきますよ(笑い)。
加藤 それでいうと、意味は通るな、読者にとっても誤解されないなって思うと、書き手を尊重しようかなって傾く時もあります。
沢村 校閲と添削の線引きは難しいですよね。こうしたらベターなのにという例はいっぱいあるけど、このラインを越えるとおせっかいになるということもありますよね。最近経験した例でいうと、コラムの中で「(アニメの最終回を)刻みつけとばかりに見ていた」というのを直しました。命令形の「刻みつけろ」「刻みつけよ」にするか助動詞を付けて「刻みつけよう」の方がいいかも、と気になって。たぶん「刻みつけ」でもなんとなく意味はつかめるし、実際の会話ではそこまで文法なんて気にしないですよね。でも、新聞は書き言葉だから。おせっかいかなと思いつつも指摘する。このコラムでは「刻みつけよう」と修正されてきました。筆者も指摘に納得してくれたんでしょうね。
加藤 意味が通らないわけじゃないけど、日本語的にはちょっと、っていうところはやっぱり直したいですか?
沢村 直したくなりますね。と同時に慎重に!っていう声も自分のなかで聞こえる。以前「女の気持ち」の親睦会で投稿の常連さんたちとお話ししたときに、紙面で気になる言葉について次から次へ質問があって、読者は本当によく見ているなあって実感したことがあるんです。言葉についての読者の関心は相当高い。正解も結論も出ないことが多々ありますけど、校閲は議論のプロセスを省かないで、経緯の説明をできるようにしておいた方がいいかなと思います。
加藤 四角四面にルールを決められたら楽なのにな、と思うことがないわけではない半面、それぞれの原稿に即してこれはこうだと思う、って議論してる時間も面白いというか。
沢村 面白いと思えているならよかった!
加藤 ちょっとずつ思えるようになりました。いろんな人の話を聞くと考え方とかも違うし、この人はこういうふうに考えるんだ、とか感じられるのもこの仕事は楽しいなと思うところですね。
専門用語「言葉としては正解」でも
沢村 読者にわかりやすくという視点も持ちつつ、取材者を尊重したいという気持ちもあります。専門性の高い内容の原稿について、こちらが素人として疑問に思っても専門的には正解ということもありますよね。この間、恐竜の化石についての原稿で恐竜の「腕の骨」って出てきた。二足歩行の恐竜らしいんですけど。校閲としては「腕の骨」? 「脚」じゃないのかと思うわけです。検索しても確たる説を得られなかった。
加藤 あーなるほど。
沢村 それはもう聞くしかないですよね。動物では「前脚」などとしますけど、恐竜では腕というものなのでしょうか、って。その原稿では結局腕でよかったんですけど。
加藤 書いてる方がどれくらい一般の読者を意識して書いてるかわからないですもんね。
沢村 そうそう。言葉としては正解だけど専門的すぎて読者には伝わらないという場合もあるだろうし。だから、疑問に思ったら事実を確認して、その上で、専門用語をそのまま使うのか、かみ砕いてわかりやすい言葉にするのか協議するというプロセスが要ると思う。
加藤 最近のコロナウイルスの報道でも、一報で「ウイルスが再燃した」っていう言葉が出てきて。一応調べてみるとウイルス関係では専門用語のようで、B型肝炎とかでも使われていました。でも全然聞き慣れない。こちらもすぐにはうまい言い換えが思いつかず、とりあえずそのままいってしまいました。わかりづらい、と出稿部に投げてはいたので、最終的には「完全には消えていなかったウイルスが増殖した」となりました。
沢村 よかったですね、増殖の方が断然わかりやすい。
加藤 書いた人と読む人の両方の気持ちをくんだ文章にするのはやっぱり難しいなと思いますね。問いかけることは大事ですよね。
新聞校閲は主体的に言葉遣いを考える
加藤 私が新聞校閲をやりたかったのは、言葉を自分で考えたいなと思ってたからで。出版校閲、特に小説校閲は基本的に書き手の書き方が第一なのかなっていうイメージでした。もちろん新聞も記者とかライターの書き方も尊重するんだけど、基本同じ会社の社員が書いているわけだし、より一緒に考えられるんじゃないかなと。言葉を時代の流れとか読者に寄り添って考えていけるような仕事がしたいと思っていたので、やってみてもどかしく思うことはもちろんありますけど、同じ校閲の職場の皆さんや出稿部の皆さんと言葉を考えていけるのは楽しくて面白いなってずっと思えてますね。
沢村 加藤さんは中学生の頃に読んだ本で校閲という仕事を知ったということでしたが、読者にもかかわりながら言葉のことを考える、みたいなことはいつから考えてたんですか?
加藤 中学生の時に職業本で校閲という仕事を知って、その時は間違い探しみたいで楽しそうだな、くらいに思っていました。言葉をわかりやすく届けていく仕事がしたいなとはっきり思ったのは、大学のサークルでフリーペーパーを作っていた時。自分の記事を載せるにあたって自分で取材も編集もデザインもして、で他の部員にチェックしてもらう、っていう感じでやってたんですけど。その時自分が何気なく書いた言葉に対して他の部員から伝えたい意味とは違うマイナスの意味にとられませんか、って言われたことがあって。それはごはん屋さんの記事で、年配の女性が一人でやられてておばんざいとかを置いてるお店だったんですけど、そこで「素朴な味」って書いたんです。そこで、その「素朴」っていうのはいい意味だとは思うんですけど、味気ないみたいな悪い意味にもとられませんか、って言われて。ああそういうふうには考えたことなかったなと。人によって言葉の意味の取り方が全然違うことがあるっていうのをそこで実感して、だったらその言葉のギャップみたいなものができるだけない方が多くの読者にとって読みやすくてわかりやすい文章になるだろうし、そういうことを考えていくような仕事がしたいな、と思いました。それが大学3年生の時。そこでやっぱり私は校閲という仕事がしたいなと改めて思いましたね。
沢村 その経験があって出版校閲と新聞校閲との違いにも気づいていたわけですね。
加藤 出版校閲も就活で受けたは受けたんですけど、どっちがやりたいかなって考えたときに、主体的に言葉を考えられる方がいいなと思って新聞校閲がしたいと思いましたね。
沢村 自分が何か間違いを見つけたとか、指摘したとかじゃなくて、人から言われて言葉の受け取り方の違いに気づいたっていうのが面白いですね。
新しい言葉の出現と変化に関わる仕事
沢村 新聞は時事を扱うから言葉が生ですよね。新聞校閲に携わっていると、新しい言葉の出現と変化に関わっているという感じがすごくします。以前、「心が折れる」という言葉が気になって。なんとなく新しい感覚の言葉だなと。単純に「心が折れ」で毎日新聞の過去記事を検索してみたら、昔からまったくないわけじゃないけど、1995年の阪神大震災以来格段に使用頻度が増えている。長引く避難生活の中で「心が折れる」というような使われ方で増えていました。それからスポーツ関連の記事で、高校球児やアスリートがインタビューに答えて「心が折れそうになったけどがんばった」というような言い方をしている例もここ二十数年で多く見られるようになっていて、ああ「心が折れる」が定着したのは最近なんだなあ、と面白く思いました。
加藤 今では一般化した言葉のきっかけをたどれるってすごい。歴史に携わっている感じがありますね。用例は統一した方が後々困らないな、とは漠然と思ってたんですけど、確かにそういうふうに未来に向けてどんどん残っていくというのは実はあんまり意識したことがなかったかもしれないですね。
沢村 辞書編集者は新聞からも多く用例を拾うと聞きました。一般的には辞書に正解があると思われがちだけど、逆に辞書が新聞の言葉を採取しているわけで。
加藤 急にすごい仕事をしている感じがしてきました……(笑い)。
沢村 ドキドキしますよね。だから言葉で迷ったら、一つ一つの原稿で、小さなことでも疑問の声を上げて議論していく。
加藤 迷ったけど結局そのまま、となるにしても悩んだという経緯は大事にしたいですよね。考えることは忘れずにいたいです。
自分でも「よく調べたな」と思うのは
沢村 よくやった!と手ごたえを感じた直し・指摘はありますか?
加藤 自分がよく調べたな、と思ったのは、史跡公園に関する記事で公園の歴史が書いてあったのですが、普通に調べても全然出てこなくて。記事の中に「園内の掲示板」とあり、公園史が掲示板に載ってるんじゃないかと思って公園名で画像検索をかけて掲示板を探したんですね。そうしたらその掲示板が出てきて歴史も書いてあり、年の間違いを見つけることができました。
沢村 おお! 執念のたまものですね! 画像検索がもう当たり前になってるのかな。私が入社したころは、インターネットは使っていたけど、そこまで画像検索はしてなかったと思います。進化を感じるなあ。今は、インターネット上で確度の高い情報にいかに早く行き着くか、そういう技術がかなり役に立つのかも。
加藤 今はなんでもインターネット上で調べられてしまうと思うんですけど、しらみつぶしに調べるのが果たしていいことなのかなと思わないでもないというか。
沢村 どこまで調べるか、自分の中で線引きはありますか?
加藤 私は調べなくて間違ってたら嫌、っていうチキンなタイプなので基本的には全部調べたいなと思ってしまいますね。わからなかったらそれっぽい資料を全部当たってみるとか。あとやっぱり固有名詞と数字は気になりますかね。数字って結構調べるの難しいなと思うんですけど、そこが間違ってることも結構多いから……難しいとは思いながらも調べるようにはしちゃいますかね。
沢村 時間との闘いもありますね。原稿で統計資料からデータの引用とみられる箇所があった場合、校閲は元の資料を探しますよね。すると同じ機関が同じテーマで何種類も資料を出していて、データの数字が資料によって異なる、なんてことも。原稿に書かれている数字がある資料とは一致しないけど、別の資料とは合っている、となるともう、どれを信じればよいのか。そこは校閲としては突っ込むべきなのかな。出稿部が採用している資料の良しあしまで校閲が口を出すのもなんだかなあ。
加藤 そこは難しいところですよね。あと一般の人でも調べたら出てくる時ってありますよね。例えば選抜高校野球だと、アルプススタンドで応援してる吹奏楽部の部長さんの名前とかって、調べてみたら部活のホームページに載ってたりして案外出てくる。そういうのがあると思うと怖くなっちゃいますね。間違ってるものは届けたくないな、と思うと何でも調べてしまいます。
沢村 加藤さんは両方じゃないですか、調べることと言葉と。両方とも楽しそう。
加藤 結論すごい楽しいです! どちらかというと読みやすいものを作りたいなっていう気持ちが強くなって校閲を志望したわけですが、実際やってみると調べるのも楽しいなって。いろんな記事が出てくるから自分の全然知らない分野とかもあって、読んで、プラス調べることによって自分の中に知識が加わっていくのもまた楽しいなって思いますね。
校閲記者は原稿をどうやって読むか
沢村 一般の方向けの校閲講座で、参加者から「校閲記者は原稿をどうやって読むんですか」という質問がありました。例えば取材者と、出稿部のデスクと、編集者と、校閲者では、読み方が全然違う。それから、同じ校閲者でも人によって違います。1回目で誤字脱字や用語集のルール的なものを全部つぶしてから、2回目に気になったところを調べながら読むという人もいる。その時の質問には、私は「ローラー作戦です」って答えました。つまずいたところは、調べ物にしてもルールにしてもその都度、その場でつぶしていくっていう読み方。ちょっと引っ掛かったところって後になると忘れてることもあるんですよ。違和感が新鮮なうちにつぶしておくのが自分には合っているように思います。加藤さんはどうですか?
加藤 私も同じで、気になったところに出合ったらすぐ調べたり赤本(毎日新聞の用語集)を引いたりするようにしています。最初は赤本に慣れた方がいいのかなと、1回目にルール関連をつぶして、そのあと調べて、ってやっていました。でもやっぱり調べたかったところって、なんで調べたかったか、とかって忘れるんですよね。調べることが多すぎて文章としてわからなくなったときはもう1回読み直すようにしています。
沢村 1回目はローラー作戦で近視眼的に読んで、時間があれば2回目は俯瞰(ふかん)的に読むというか。
加藤 そうですね。長い原稿だと、調べつくしてふう、ってした後に1回ペンを置きます。そうして目で追って読むようにしたら、文章的にちょっと、って思うところが見えてくることもあるので、それはやるようにしてますね。昔の話とかで調べることがたくさんあると、調べながら自分が疲れちゃう時もあって。そうなると1回ペン置こう、って頭を切り替えてリセットすることはあります。あと原稿を読んでいると、読んでるだけなんだけどやること多いな、って思っちゃいますね。読みやすいかもそうだし、うちのルール的にどうかっていうのもあるし、情報として間違ってないかっていうのもあるし……。1回に読むのですごいいろんなところを見なきゃいけないっていうのが結構大変だな、ちょっと頭パンクするな、って思う時もあります。
沢村 校閲の読み方は普通じゃないですね。いろんな角度から、自分の中でモードを切り替えては何回も読む。はたから見たらじっとしてるだけかもしれないけど、やってることは忙しいし、目と手と頭を使う肉体労働だと思う。
いっぱい寝るのも仕事のうち?
沢村 仕事からちょっと離れますけど、毎日の疲れをどうやってとっていますか?
加藤 ドラマを見ますかね。それかスポーツを見るか。頭を酷使してるからか帰ってもすぐ寝られないので、録画したドラマとかを見てリラックスしてますね。あとやるのは得意じゃないんですけど、スポーツを見るのがすごい好きで。今男子バレーにすごくハマっていて、ワールドカップが昨年の10月にあったんですけど、テレビ中継していたものを録画してあるので、最近それをひたすら見るっていうことをしてます(笑い)。
沢村 リアルタイムの中継じゃないのに(笑い)。癒やされる?
加藤 ここのプレーがすごい! かっこいい!とか、いつ見ても楽しいんです。沢村さんのリラックス法はなんですか?
沢村 寝ること、食べること。あ、ドラマも見ます。でもドラマはかなり真剣に見てしまう。考えるし、良ければリピートするので寝る時間がなくなる(笑い)。仕事で失敗するとものすごく落ち込むんですけど、一晩寝たらよし今日も行こうって思えるので、私にとっては睡眠が大事です。
加藤 私もすごい寝るようにしてますね。かなり頭を使うので、常に頭が働く状態にしておこうと思っていて。たぶん他の社会人の人よりめちゃくちゃ寝てると思いますね。寝すぎて悩んでるくらい(笑い)。
沢村 寝不足がものすごく影響する仕事ですからね。
加藤 集中力がないと引っ掛からずに流してしまいそうですよね。これからもいっぱい寝るようにします!
実体験生かし「身から出る校閲」を
沢村 いま興味を持っていることや、ここを伸ばしたいということはありますか?
加藤 スポーツですかね。見るのは全般的に好きなので、積極的に現地に足を運んでプレーの様子とかを見て、実際にルールや現状を肌で感じられたらいいなと思っています。実際行ったことがあるのは野球とサッカーとバレーと、ってメジャーなところばっかりなんですけど。
沢村 すごい! ジャンルを問わないんですね。
加藤 そうですね。フィギュアスケートもすごく好きでいつか見に行きたいと思っています。あとバスケが好きな友達がいるので、その子と日本のリーグ戦を見に行こうって話もしています。そういうふうにどんどん現地に足を運んで、なんというか、自分の身から出る校閲じゃないですけど……
沢村 あーその言葉いいですね。身から出る校閲!
加藤 いろんなものを扱うので不得意な分野も絶対あるとは思うんですけど、できるだけないようにしたいですし、実体験とか自分で見たものを仕事に生かしていけるような校閲になりたいかなと思いますね。記者の方が現地に足を運んでいる中で、今はネットとかだけの情報で校閲していることがほとんど。そういう仕事だとは思うんですけど、できるだけ自分ごととして体験して自分の中で落とし込んでから校閲できたら、専門まではいかないけれどもわかりやすい、というものを提供できるのかなと思うので、そういう校閲記者になりたいですね。沢村さんは今後の展望はありますか?
沢村 検索能力を上げたいです。あとは、校閲する際に自分の中で判断の軸みたいなものはあるんですけど、そこを信じつつ、でも疑いつつ、いつも新しい気持ちで原稿に向かいたいです。加藤さんは校閲記者になって2年たつわけですが、校閲という仕事を紹介するとしたらなんて説明しますか?
加藤 「校閲は新聞社の『門番』です。自分がOKを出さないと通れない、世には出て行かない。目立たないけれどすごく大事な仕事です。注意する、直すのが仕事ではありません。『最初の読者』として読者のことを一番に思い、よりわかりやすい記事を届けることが仕事の新聞記者です」。……難しい(笑い)。でも校閲といえば「直す」というイメージが先行すると思うのですが、「読者に寄り添ってよりよい表現を考える」仕事なんだ、ということが伝わればいいかな、と思いますね。
(おわり)