前回に続き、7月6日に行われた記者報告会「校閲記者の仕事」の内容をまとめました。
主な直しのパターンにはどんなものがあるのでしょうか? 前編①はこちら。
目次
見間違い・打ち間違い
昔と違い、手書きの原稿を目にする機会はほとんどありません。ほぼすべてがパソコンで書かれたものになっています。しかし手書きの原稿がほとんどないとはいえ、時間のない新聞制作の現場では、手書きの直しが日常的に校閲へやってきます。
たとえば「余い石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と書かれた文があって、これは何だ?と思ったことがありました。ゲラに付いてきた直しを確認すると、手書きで「余ハ」と書いてありました。カタカナの「ハ」を平仮名の「い」と見間違えてしまったのです。
こうしたミスは落ち着いて読み直せばすぐに気づけると思います。しかし新聞制作の現場では時間がないので、このようなミスがなくなりません。ですから、手直しがきちんと反映されているかといったことを確認する引き合わせの重要性は、今も変わりません。
慣用句は保守的に
官庁の人事の原稿で「次官の芽は無くなった」という文を「目は無くなった」と直しました。
可能性が無くなったという意味なので、「勝ち目がない」と同じように「目」を使うのですが、似たような意味で使われる「芽を摘む」「芽が出ない」といった慣用句との混同から、このような表記をしたのでしょう。このような間違いを防ぐには手間を惜しまず辞書を開くのが一番です。
また、「公算が高い」「公算が強い」などと書かれてくることがあるのですが、基本的に「公算が大きい」と直しています。もちろん「高い」「強い」を使うのが間違いとは言えないのですが、ほとんどの辞書は用例に「大きい」を採用しているため、このようにしています。
新聞に載っている言葉や慣用句を読者が辞書で調べた時、それが載っていないというのは、やはり不親切です。そのため新聞での言葉遣いや慣用句の使い方は、話し言葉で使われるからといって、それをすぐに取り入れてはいません。
何冊か辞書に採用されるなど、ある程度、世の中で定着したと考えられる時点で、その言葉や慣用句の新しい使い方を認めるようにするなど、やや保守的な運用がされている面があります。
事実関係
香港の返還20周年に関する原稿に「1人当たり国内総生産(GDP)」とあったものを「域内総生産」と直しました。香港は中国の一部であり、それを「国」とするのは適切ではないからです。
略語ではGDPなのですが、それを日本語にする際に単純に「国内総生産」とすると、このように正しくない表記になってしまいます。日本が国家として承認していない台湾や、欧州連合なども同じように「国内」ではなく「域内」を使うようにしています。
40行を3分で
ある日の夕刊作業で、一つの原稿をどのように処理にしたか、記録してみました。
11:20 担当者が初校を終えたゲラを受け取り再校開始
11:23 追加の赤字直しを入れ担当者にゲラを戻す
11:25 担当者が原稿を校了
11:28 整理記者が見出しを付けてゲラを出力
これは、40行程度の原稿の校閲作業のプロセスです。それほど長い原稿ではないのですが、夕刊作業は慌ただしいということもあり、私が原稿を読んで直しを入れるまでに使えた時間は3分ほどでした。
この原稿の中に「習近平国家主席がトランプ米大統領、メルケル独首相と顔合わせする」とあったものを「顔を合わせる」と直しました。
「顔合わせ」という言葉は「初めて会う」という意味ですが、トランプ大統領はサミットに参加しているし、習主席ともすでに首脳会談しています。また、メルケル首相も習主席も就任してから何年もたっており、何度も会談しています。
ですから、彼らが「初めて会う」というのは事実関係として誤っています。そこで「会う」という意味で、なおかつ直しが少なくて済む「顔を合わせる」という表現にしました。
過去に読んでいたニュースが頭の片隅にあったこと、「顔合わせ」という日本語の意味を分かっていることで、短い時間で校閲作業ができました。
ニュースに関する蓄積があることで、事実関係を確認するための作業も短時間で終わらせることができます。タイトな時間で作業をする新聞校閲では、日ごろから新聞を読んで情報を蓄積しておくことは非常に大切です。
「直さない」ことも必要
校閲をしていて、あえて直さないこともあります。毎日新聞では通常、サッカーの原稿でペナルティーエリアなどに入り込むことに「進入」という表記を使います。ですが、コラムで「自陣まで侵入され」とあったものを、出稿部と相談の上そのままにしました。
それは、このコラムが一つのチームの立場で書かれたもので、意識的に「自陣に侵入」と書かれていたからです。この例のように筆者の意図をくみ取りながら校閲することも必要だと考えています。
校閲記者が目指すもの
校閲記者として私が目指しているのは、①正確な情報②分かりやすい文章③書き手の意図を損なわないこと④読み手の視点を持ち続けること――の四つがあげられます。
正確な情報、分かりやすい文章を読者に届けるということは当然ですが、非常に大切なことです。それと同時に、正確にしよう、文章を分かりやすくしようとするあまり、手を入れすぎて書き手の意図を損なってしまっては元も子もありません。そういったことがないように気をつけなければといつも思っています。
校閲記者はよく「最後の編集者、最初の読者」と言われますが、その読者としての視点を常に意識しながら、よりよいものを読者のところへ届けられたらと考えています。
【新野信】
(前編①はこちら)