芥川賞受賞の記者会見で市川沙央さんが言った「我にテンユウあり」は「天佑」か「天祐」かということを前回のコラムで書いたところ、ご本人からツイッターで出典が示されました。別の話ですが、相撲の口上の「きはくいっせん」を新聞はどう表記したでしょう。
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「天佑あり」の出典は阿川弘之「雲の墓標」
芥川賞を受賞した市川沙央さんが記者会見で語った「我にテンユウあり」。この字が「天佑」と「天祐」とで分かれたことを前回のコラムで書いたところ、思いがけないことにご本人からツイッターで反応がありました。ありがとうございます。
若い頃に阿川弘之さんの『雲の墓標』で覚えた言葉です。特攻隊員が最期に送ってくる無電。当該箇所をKindleで確認したところ「ワレニ天佑アリ」人偏ですね。 https://t.co/opLlXIvOVC
— 市川沙央 ICHIKAWA Saou (@herma_ishikawa) July 26, 2023
私も確認しました。思ってもいない出典でした。ただ市川さんは発言を振り返り「あの時は私もどちらの字という意識はなく、今も別段どちらの字でもいいと思います」とも書いていて、「雲の墓標」の「佑」にこだわっているわけではないとのことでした。「天の配剤」という言葉も見えるので、「天」の方に重点があったようです。そして単に運にめぐまれたということではなく、作家としての覚悟を述べたのが「我に天ユウあり」だったと理解しました。
「気迫一閃」とは書かなかったが…
さて、「天佑」と「天祐」のような関係とは違いますが、「同音で、ほぼ同義語」という点では共通する語を最近も耳にしました。それが豊昇龍関が大関昇進の伝達式で述べた
気魄一閃
です。「きはくいっせん」と読みます。四字熟語辞典や大きめの辞書を数種引きましたが、この言葉は見つかりません。ただインターネットでは剣道などスポーツの旗に「気魄一閃」の4文字が見つかります。「気魄」と「一閃」を組み合わせた、狭い範囲でのみ使われる語と思われます。
ここで気になるのは「気魄」の漢字です。「気魄」は「気迫」と辞書で併記され、「同音ほぼ同義語」といってもいいでしょう。毎日新聞を含む日本新聞協会では、魄の字は常用漢字ではないので「気迫」に書き換えるよう取り決めています。
気魄一閃という語が、気迫と異なる四字熟語として定着しているならともかく、そうではないなら「気迫一閃」と書いてもいいのではないかと思いました。でも、毎日新聞はじめ大手紙はいずれも「気魄一閃」。
気魄→気迫は新聞独自の書き換え
では、本人か相撲部屋関係者から「気魄」の字の指定があったのでしょうか。運動部の記者に聞きましたが、それはなかったそうです。だからでしょうか、新聞以外の一部報道機関では「気迫一閃」が見られました。
実は広辞苑に「気迫」が載ったのは割と最近のことで、1983年の第3版から【気迫・気魄】となりました。それまで【気魄】のみだったのです。
使用例では、高村光太郎の有名な詩「道程」(1914年)に
常に父の気魄を僕に充(み)たせよ
という一節があります。このように、以前は一般に「気魄」が使われていました。
今でも漢和辞典では「気魄」しか載せないものが見受けられ「気迫」は本来の文字ではないことがうかがえます。新潮日本語漢字辞典にはこう注釈があります。
「気迫」は「気魄」の新聞用語
そう、「気迫」は新聞で独自に使うようにした文字遣いだったのです。
職場に残る日本新聞協会の「新聞用語集」を見ると、1960年版に「気魄→気迫」が載っていました。それとほぼ同時期の59年の毎日新聞の投書欄に既に「気迫」の見出しが出ています。ちなみにそれ以前の見出しは戦時中に戦意を鼓舞するために「気魄」の文字が多用されています。
実は新聞独自の書き換え例はけっこうあり、「確乎→確固」「恰好→格好」「義捐金→義援金」「均斉→均整」「眩惑→幻惑」「波瀾→波乱」などは一般にも定着しているのではないでしょうか。
「貫禄→貫録」「毀損→棄損」「臆病→憶病」など、違和感が強いとされ本来の表記に戻した語もあります。しかし「気迫」については新聞に限らず広く使われ、辞書が採用したことでもわかるように定着した部類に入ると思います。
新聞が勝手に昔からある熟語を改変していいのか、それは誤字を社会に広げることではないか――という批判は受け止めなければなりません。しかし「椀飯振る舞い」が「大盤振る舞い」にいつの間にか変化したように、漢字も長い歴史の中で変遷を経ています。新聞が多くの人に分かりやすい漢字を使うのも、いかめしい漢字が戦意高揚に利用された戦時の反省という側面があります。「気迫」はその流れで「気魄」から変化したと私は捉えています。
読み仮名もなく「気魄」とあると、少なからぬ人が「なんと読むのだろう。きこん?」などとつっかえるかもしれません。漢和辞典が手元にない人も多いはずで、「きこん」で検索しても出てこずそこでお手上げ――と、させないために「気迫」の書き換えは有効です。
「魄」は「たましい」の意味で、「迫」は「せまる」。形だけでなく意味も異なります。しかし「気魄」の意味は「気力」と似ていて、「迫力」にも通じると考えると「気迫」の文字遣いもまさに真に迫るものがあるように思います。
「気魄」は人間離れした力?
ところで、かなり以前ですが高校野球の応援風景の記事で、横断幕に「気魂」という文字が掲げてあるという原稿を見たことがあります。これは「気魄」ではないかと思いましたが、大きめの辞書には「気魂」という言葉も載っていて「魂。精神。気魄」と意味が同じです。ということは間違いではないのかなと思ってそのままにしました。
今回の「気魄一閃」という字を目にして、やはりあれは「気魄」だったのではないかという思いを今さらながら新たにしました。画像検索すると、太い筆で書かれた「気魄」の書が多く見られます。
そういえば週刊少年ジャンプの漫画「BLEACH」で「魂魄(こんぱく)」という言葉が使われました。「魄」は「鬼」の字があるように霊的なイメージがあり、「気魄」も人間離れした力を注入してくれる気がするのかもしれません。
また、四字熟語となると、たとえ2文字熟語の組み合わせであろうと2文字のときとは別の語という意識が働くのかもしれません。さきほど新聞独自の例として挙げた「波乱」も、四字熟語の場合だけ「波瀾(はらん)万丈」と読み仮名付きの本来の字で書くようにしています。漢字は必ずしも簡単な方にのみ流れるわけではないのです。
それにしても「気魄一閃」という言葉を使い始めたのは誰でしょう。分かりませんが、もし将来、四字熟語辞典に載るとすると、豊昇龍関がきっかけだったということだけは間違いなくいえます。
【岩佐義樹=習字も】