「校閲記者」という言語に直結している職業ですので、特定の愛用の辞書があると思われがちかもしれません。しかし私の場合、むしろそういう職業だからこそ、特定の愛用の辞書ができなかったという気がします。
先日ある面を読んでいると「時代の移り変わりとともに変節するものを作ってもレガシー(遺産)にならない。<中略>時代が変わっても人の気持ちは変わらない。いつ、誰が見ても感動できるものがレガシーだと思う」という文章が出てきました。この「変節」の使い方にやや違和感を覚えます。私の理解では「変節」は「節を曲げること」で、前言を気にせずに主義主張を放棄する、という意味合いです。「時代の移り変わりとともに節を曲げてしまうもの」を「作る」というのはどういうことでしょう。文脈にそぐわない感じが拭えません。私にとって辞書の出番はここからです。
まず私は何が知りたいのでしょうか。「変節」に私の理解以外の意味があるかどうかです。こういう場合、意味が網羅されている辞書がありがたいです。他にもあるかも、と思いながらいくつもの辞書を引かずに済みますからね。なのでまず引くのは「日本国語大辞典」(小学館、以下、日国と略す)です。「変節」の項を引用します。
へんせつ【変節】〔名〕①季節の移り変わること。時節の変化すること。*粱簡文帝-梅花賦「寒圭変節、冬灰徙筩」②節義を変えること。従来の自分の主義・主張を変えること。*経国美談(1883-84)〈矢野龍渓〉前・一四「其変節を責めて之を途上に要撃せんと論ずる者あり」*牛肉と馬鈴薯(1901)〈国木田独歩〉「最初、馬鈴薯党で後に牛肉党に変節したのだ」*一年有半(1901)〈中江兆民〉附録・国民党生ぜざる可からず「提携、買収、変節、都て是れ不学無術の祟」*淮南子-主術訓「今夫権衡規矩、一定而不易、不為秦楚変節、不為胡越改容」[発音]〈標ア〉[0]〈京ア〉[0](漢文の返り点省略)
私は①の意を知りませんでした。①の意味で上記の文章をうまく理解できるか考えてみますと……やはり、今ひとつうまく解釈できませんね。この「変節」は別の言葉にしたほうがよいという考えが強くなってきました。 そこで比較のために、他の辞書も引いてみます。
◆岩波国語辞典
へんせつ【変節】〔名・ス自〕節義を変えること。自分の信念を時流などにこびて変えること。また、従来の自分の主張を変えること。「――漢」(節義・節操を変える男)▽多く非難や軽蔑をこめて言う。
◆明鏡国語辞典
へんせつ【変節】〔名・自サ変〕節義を変えること。自分の信念・主義・主張などを変えること。「体制に迎合して――する」「――漢」
◆三省堂国語辞典
へんせつ【変節】(名・自サ)〔文〕これまでの自分の態度や主義を変えること。
◆新明解国語辞典
へんせつ(0)【変節】―する(自サ)堅く守って来た従来の態度や主義を変えること。〔軽い侮蔑を含意して用いられることがある〕「――漢(4)」
◆広辞苑
へんせつ【変節】節義を変えること。また、従来の主張をかえること。「成行きによって――する」
ほぼ1種類の意味の記述しか見つかりません。やはり別の言葉のほうがよいと自信を持てたので、交渉の結果、「変転」とすることになりました。
さて、この場面は意味の種類の多さを求めて辞書を引き始めましたが、よくあるのは語の用法を知りたいときです。たとえば「変節する」とサ変動詞にしていいか、「変節をする」とあくまで名詞で使ったほうがいいのか、ということを判断したいときには、岩波、明鏡、三省堂、新明解の「名・自サ変」などの記述が必要で、日国、広辞苑は今ひとつです。また日国の用例は出典がはっきりしている分、やや古く、最近の使用例には少し弱いという部分もあります。結局、何を知りたいかによって違う辞書を引いていますので、特定の辞書を愛用するということがないまま現在に至ってしまいました。幸か不幸かまだ分かりませんが、ちょっと寂しい気もしています。
【松居秀記】