直接会わない場合にも「会談」を使うことについて伺いました。
目次
「いずれもおかしくない」が6割占める
「電話会談」「オンライン会談」という言い方はおかしいと感じますか? |
いずれもおかしくない 60.6% |
「電話会談」はおかしいが「オンライン会談」はおかしくない 17.8% |
「オンライン会談」はおかしいが「電話会談」はおかしくない 7.1% |
いずれもおかしい 14.4% |
いずれもおかしくないと考える人が6割超と最多でした。個別に見ても、「電話会談」がおかしいと考えた人は3割、「オンライン会談」がおかしいと考えた人は2割。どちらも多くの人に違和感を与える表現ではないようです。
また、「電話」と「オンライン」で意識が大きく変わるということもありませんでした。ウェブ会議のように相手の顔が見えれば「会談」でもいいか、という出題者の発想は少数派であるようです。
会っていなくとも「会談」?
今回の質問に際して紹介した「電話会談」を「電話協議」に直すという話、実は毎日新聞用語集で明文化されているわけではありません。取材記者が気にして直していたそうで、あくまで周知されている了解事項といった位置づけです。
回答時の解説で書いたように、この考え方は辞書の説明に即したものです。広辞苑7版を引くと、会談とは「(責任のある人が公に)面会して話し合うこと」であり、面会とは「人と直接に会うこと」。直接会っていないのに「会談」はおかしい、という理屈はその通りでしょう。
「協議」では“重み”が足りないか
ただし、「会談」を「協議」に直すのが常にベストとは言い切れません。上の広辞苑の「(責任のある人が公に)」のように、辞書では「会談」とは重い地位にある人がオフィシャルに行うものだと説明されています。対して「協議」は「寄り合って相談すること」(岩波国語辞典8版)。つまり「会談」を「協議」に直せば、「公的で重要な話し合いである」という意味が抜け落ちてしまうのです。新聞社などの用語懇談会では、こうした理由で「会談」を「協議」に言い換えることはできないとする意見も出ました。
さらに三省堂現代新国語辞典6版の「会談」の項目には「電話会談」の用例が見つかります。アンケートの結果を見ても十分に受け入れられていることが分かりますし、電話会談を「誤り」と断じることはできないでしょう。
コロナ禍で増した「直接会う」ことの意味
それでも相手の雰囲気など、実際に同じ場にいることでしか感じ取れないものもあります。4月に菅義偉首相が訪米しバイデン大統領と会談したことは、「バイデン氏にとって対面で行う初の外国首脳との会談」(4月15日毎日新聞)と大きく報じられ、「対面では初」が日米関係の深さのアピールになるなどと指摘されました。政治的意味を抜きにしても、対面で誰かと会うことの意味をコロナ禍で再認識したという方も多いのではないでしょうか。
こうした観点では、電話などによる話し合いを「会談」と表現しないことによって、直接会う「会談」の特別性が際立つことになるとも言えます。「電話会談」とは表現しない、直接会ってこそ重要な「会談」だ--という考え方には、辞書の字句に従うという以上の意味があるような気もします。
いずれは「VR会談」か…
ところで今や単なる画面越しのウェブ会議どころか、バーチャルリアリティー(VR)技術を使ってメンバーが同じ場所にいるかのような形で会議を行っている企業もあるのだとか。これが首脳間でもスタンダードになれば、「電話会談? 電話協議?」なんて議論は存在しなくなるかもしれません。
(2021年06月04日)
毎日新聞では「電話会談」という表現は使わず「電話協議」と書くようにしています。「会談」とは「面会して話しあうこと。その話しあい」(岩波国語辞典8版)であり、面会とは「直接その人に会うこと」(同)だから、電話では会談にならないと考えるためです。
しかし昨年からのコロナ禍でよく見かけるようになったのが「オンライン会談」。こちらは校閲で直すとは決めておらず、ちょくちょく紙面に登場します。直接会っているわけではないのですが、電話と異なり画面に相手の姿が映るため「会談」とみなしてもいいのでは――と考える人もいるかもしれません。
ただそもそも「電話会談」という言い回しも、問題ありとする毎日新聞の姿勢は少数派のようで、他の新聞・通信社の記事ではよく見かけます。一般的には違和感を持たれる表現ではないのかもしれません。そのあたりもアンケートで探ることができればと思います。
(2021年05月17日)