国の「絵姿」という表現についてどう思うか、うかがいました。
目次
「違和感あり」が4分の3
国の将来の「絵姿」を具体的に示す――この使い方、どうですか? |
問題ない 8% |
少し気になるが、許容範囲 15.9% |
違和感がある。「将来像」などの方がよい 76.1% |
4分の3が「違和感がある」と回答しました。政治やビジネスの場などで広まりつつある使い方であり、違和感を持たない人もそこそこいるのではないかと予想していましたが、多くの人にとって引っかかる表現であるようです。
国語辞典にはない「将来像」との意味
広辞苑7版によると「絵姿」は「人の姿を絵に描いたもの。肖像画。画像」。他の国語辞典をめくってみても「絵にかいた人の姿。肖像。画像。絵像」(明鏡国語辞典3版)、「人の姿を、絵に描いたもの。肖像」(大辞林4版)といった具合で、同じような記述を掲載しています。「絵に描いた姿。画像」(大辞泉2版)のように「人の姿」に限定しないものもありましたが、「将来の姿、ビジョンを描いたもの」という質問のような用法を紹介したものはありません。
「青写真」に代わる用法か
毎日新聞の記事データベース(東京本社版)で「絵姿」の使用例を検索してみると、辞書的な意味としては歌舞伎や時代劇などの記事で用いられることが多く、主に文化面などに登場してきたようです。昔話の「絵姿女房」に触れたものもあります。一方で、質問のような用法が初めて登場したのが2003年。インタビューに応じた政治家が「国民に分かりやすく具体的絵姿をしっかり示すことだ」と語っています。以降、「復興の具体的な絵姿」「合併後の絵姿」といった用例が度々現れ、近年は増加傾向にあります。
「絵姿」の新しい用法に近いことばとしては「青写真」が挙げられるでしょう。ただ最近はあまり使われなくなってきており、その代わりとして「絵姿」が台頭してきたということが考えられます。さらに「絵姿」は単なる「将来像」を指すだけでなく、「思い描いた目標」「あるべき姿」といった意味で使われることもあります。使用者は「姿」だけでは表現できない「未来に描く理想像」といったニュアンスを絵姿に込めたいのかもしれません。
旧来の用法に従うのが無難
絵に描いた肖像でもなければ、人の姿でもない。新しい用法は“本来”の意味からは大きく変化しています。とはいえ「絵」「姿」という漢字から「思い描いた姿」という意味が生まれるのは不思議ではなく、その点で受け入れられ始めているのでしょうか。
さらにこの用法が広がっていずれ辞書に載るようになるかもしれませんが、現時点では違和感を持つ人も多く、別の表現に言い換えた方が無難でしょう。スマートフォンで簡単に写真が撮れる現代においてその由来を意識するのが難しくなったとはいえ、まだまだ「青写真」ということばを現役で使ってほしいなとも思ったり……。
(2021年02月19日)
「皆さんにわが国の将来の絵姿を具体的に示しながら、スピード感を持って実現してまいります」――。先日行われた首相の施政方針演説から抜粋した一節ですが、このように「将来像」「ビジョン」といったニュアンスで「絵姿」が使われることが、政治やビジネスの場などで増えてきているように感じます。
「絵姿」とは「絵にかいた人の姿。肖像。画像。絵像」(明鏡国語辞典3版)。職場にある他の辞書をめくってみても、ほぼ同様の説明がなされています。「肖像」「絵像」とすればわかるように、本来は「人」を絵に描いたものを指すはずです。首相自身の絵姿であればまだ分かるのですが、「国」に絵姿を使うのには違和感があります。
とはいえ、施政方針演説は首相の「発言」であり、閣議決定もされる公式の「文書」。このときは「人に使うんだけどなあ」と思いつつそのままにしましたが、似たような使われ方の「絵姿」に出くわした際は指摘するようにしています。
「将来の姿」や「将来像」で十分では?とも思うのですが、「絵姿」が使われる背景には、単なる「姿」に“何か”を加えて伝えたいという心理がありそうです。
(2021年02月01日)