「こだわり」という言葉について伺いました。
目次
「肯定的」を選んだ人が7割占める
作り手の「こだわり」を感じる――と言う場合、どう受け止めていることになる? |
肯定的に評価している 70.8% |
否定的に受け止めている 8.7% |
肯定と否定が相半ばしている 20.5% |
作り手の「こだわり」というなら、肯定的な評価だと考える人が7割に達しました。「こだわり」は、かつては「拘泥」と同じように「ちょっとしたことにとらわれる」(岩波国語辞典8版)という否定的な意味で使われた言葉ですが、そうした捉え方以外の用法も、広く認められているようです。
辞書も肯定的な用法を記載
国語辞典で「こだわり」ないし動詞「こだわる」を引いてみると、大半は肯定的な用法についても触れています。明鏡国語辞典3版は「こだわる」の項目で、「つまらないことに心がとらわれて、そのことに必要以上に気をつかう」という意味には「マイナスに評価していう」とし、一方で「細かなことにまで気をつかって味覚などの価値を追求する」という意味には「プラスに評価していう」と明記しています。
明鏡は、肯定的な用法については〔新〕の符号をつけて「新しく生まれた語や意味」としています。他の辞書も同様に説明しているものが多いようです。毎日新聞の過去記事を検索すると、1982年に「『こだわりギフト』に人気」という見出しの記事が見られました。お中元の商品として「自然、健康、スポーツをテーマにした『こだわりギフト』」が注目されているという内容で、これは「個人の好みを特に狙ったギフト」というほどの意味でしょう。少なくとも否定的な意味合いではなく、40年ほど前には用法が広がっていたと言えそうです。
「こだわり」に他人の評価は関係ないとも
ただ一方で、こうした「こだわり」を、すっぱりプラスとマイナスに分けて考えることができるかは意見が分かれそうです。新明解国語辞典8版は「こだわる」の項目の第2義として「他人はどう評価しようが、その人にとっては意義のあることだと考え、その物事に深い思い入れをする」と説明します。
作り手の「こだわり」という場合も、そこに込められた「思い入れ」はあくまで「その人にとっては意義のあること」であり、他人の評価がプラスかマイナスかというのは、本質的な問題ではないのだと言っているようです。
個人の思い入れを尊重する傾向
この記事を書くに当たって毎日新聞の過去記事を検索していて興味深かったのは、1987年12月の、博報堂による翌年の「生活予報」について触れた記事でした。「欠乏の時代が終わり、モノが満たされると感覚的なこだわりの時代が来る」と言います。時あたかもバブル経済のさなかで、物質的な欠乏が遠のくとともに、それまでは顧みる余裕がなかった「その人にとっては意義のあること」がクローズアップされてきたというのでしょう。
そう考えると、今回のアンケートが示したように、作り手の「こだわり」を肯定的に評価できるというのは、個人の好みや思い入れというものを尊重する傾向が強まったということなのかもしれません。現時点において「こだわり」の意味を否定的な方向だけで捉える必要はなくなったと言えそうです。
(2020年12月22日)
以前この欄の原稿を書いていたときに、「使い分けにこだわりを感じる」と記して手が止まりました。肯定的な意味合いで書こうとした文だったのですが、「こだわり」というのは本来は良い意味ではなかったはずだなあ、と思い出したからです。
「こだわり」は「こだわる」の名詞形。「こだわる」を辞書で引くと「気にしなくてもいいようなことが心にかかる。気持がとらわれる。拘泥する」(日本国語大辞典2版)という説明が目につきます。一方、ここから転じた意味として「ある物事に強く執着して、そのことだけは譲れないという気持を持つ」(同)ともあります。
質問文のようなケースでは後者の意味を込めて使われることが多いかもしれません。もっとも、この語釈も単に肯定的とは言い切れず、「そこまでよくやるよ」というあきれ半分の嘆声を含んでいるようにも思えます。
出題者は結局、原稿から「こだわり」を削除して別の言い回しに変えたのですが、この言葉についての皆さんの受け止め方を伺ってみたいと感じました。あまり気にするのも出題者の「こだわり」に過ぎない、という結果になるでしょうか。
(2020年12月03日)