前回に続き、イベント「国語辞典ナイト」や動画配信などで辞書の魅力を伝える活動をしている校閲者にして自称“辞書マニア”の見坊行徳さんと稲川智樹さんのインタビューをお届けします。後編では、現在の辞書に感じていることや、デジタル化による可能性などについて聞きました。
【まとめ・西本龍太朗、屋良美香子】
見坊行徳(けんぼう・ゆきのり)
1985年生まれ、神奈川県出身。2015年、早大国際教養学部卒。校閲専門会社「鷗来堂」に勤務。三省堂国語辞典の初代編集主幹、見坊豪紀(ひでとし)の孫。稲川さんとイベント「国語辞典ナイト」のレギュラーメンバーを務める。
稲川智樹(いながわ・ともき)
1993年生まれ、愛知県出身。2015年、早大法学部卒。講談社編集総務局校閲第2部に勤務。フジテレビ系のクイズ番組「99人の壁」にジャンル「国語辞典」で出演、全問クリアにあと一歩まで迫った。
(敬称略)
目次
ネットで言葉を調べると“謎の解説”が
見坊 多くの人はしょっちゅう辞書を引かないのが現実のような気がします。そもそも辞書を好きになるタイミングがそんなにないんですよね。以前は文章を書こうと思ったら辞書に頼らないといけないことはあったと思うんですけど、今は大体ネットの情報やスマホなどの漢字変換で「分かる」ことが多いですから。
稲川 今、依頼されてネット辞書の語釈を書いているんです。競合しているブログとか他のメディアに対抗できる内容を書くんですけど、今までは言葉の疑問があれば辞書を引いたのでグーグルで検索をしてこなかったのが、その仕事を始めて〝ググる〟ようになりました。でも、例えばある言葉とある言葉の違いを調べようとして検索結果のトップに出てくるサイトを見てみると、その内容がちょっと考えられないんですよ。正直、既存辞書の語釈や実際の用例から帰納して書いてる語釈じゃないんです。とてもじゃないけど「辞書」としては使えないものが現状ではトップに表示されてしまうんです。
見坊 最近めちゃめちゃ多いですよね。
稲川 (検索する人が)そのことを知らなくて、信じてしまうとまずいな、と。かなりの人がそれをやっているわけです。言葉の意味や外来語の意味、言葉の違いを検索するとトップに出てくるのがとんちんかんで、ひたすら引っ張って、ただ文字数が多くて、普通は解説しないようなことを解説したりして……。内容もたぶん間違っているというのが多くて、これはちょっと怖いぞと思っています。
――校閲記者としても信頼して良いのか分からないウェブサイトに書かれていることをもとに「こう書いてあるからいいでしょ?」と言われて、どう対抗していいのか分からないときがあります。
稲川 かなりの人が辞書じゃなくてネットの記述を読んでいると思うと、日本語が崩壊とまでは言わないですけど、「本当にこれに頼っていいの?」っていう……。
見坊 日本語が滅びるときですか……。ここ2、3年ぐらいで謎の解説サイトが増えましたよね。
稲川 誰が作ってるんだっていう感じですけど。もっとも、ちゃんとしているように見せるようにはしているんですよね。
見坊 グーグル自体が賢くなってくれれば、ああいうサイトは歯牙にもかけないはずですけどね。
――それは実態として難しいですよね。何が検索結果の上位に表示されるのかは分からない。
見坊 ググったときにまともな辞書サイトが出てこないっていうのがそもそも問題だとは思います。ジャパンナレッジや三省堂ウェブディクショナリーとか(信頼できるソースが)あるわけで、それらを検索結果に食い込ませることもおそらくできるはずなんです。
既存辞書は欲しい情報が提供できていない
稲川 既存の辞書もだめだなって思うんですよね。それは何かというと、ユーザーが検索して、欲しがっている情報を辞書が提供できていないっていうことなんです。特に類義語とかがそうなんですけど。「『これ』と『これ』の違い」というふうに検索する人が多いのに、既存の辞書はそれに答えられていない。語釈同士を読み比べてもよく分からないことが多い。
見坊 そうそう。学術的になろうとするあまりに、これが正しい言い方だということをあまり言おうとしない辞書もある。そうすると分かるわけがないんです。エキスパートに判断できないことを素人に丸投げして分かるわけがない。エキスパートは分からないなりに、こうなんじゃないかと苦し紛れでもいいから出してほしい。その方が、素人がてんでんばらばらに考えるよりましなんです。厳密な人はいろいろ言ってくるかもしれないけど、そこまで厳密じゃなくていいんじゃないかな。実用的にベターなものを提供できればいいんじゃないかなという気がします。(国語辞典編さん者の)飯間浩明先生もおっしゃっていましたよね。数年前に盛んにツイッターに投稿していたんですが、変な日本語本やサイトがはびこっているのは結局、辞書がふがいないからだっていうことを……。
希望や期待には「沿う」か「添う」か。ネットで調べて混乱したという声を聞きました。それぞれ「こちらの字が正しい」とそれっぽく書いてある。〈一般には「添う」でまかなう〉とする辞書もあれば、文化庁資料では「沿(添)う」とある。――実はどっちもOK。それを国語辞典はきちんと言うべきです。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) October 17, 2016
稲川 仕事していて自分の語感ではそうなんだけど、辞書を引いてもどこにも書いていないなっていうことありますよね。
見坊 辞書をいっぱい引いていると、悪いところもどんどん目にします。辞書を愛するがゆえに辞書を嫌いになっていくんですよね。今ちょうどタイミングが悪くて、結構辞書が嫌いになっている状態で(笑い)。つい最近「ハイエナ」を辞書で引いたんです。国語辞書の「ハイエナ」の説明として書いていてほしいことは当然、「ハイエナのようにたかる」といったこと、ハイエナという語がどういうニュアンスで使われているのか、じゃないですか。そのことを書いていない辞書が平気であるんです。文化的なにおいが漂ってくるような語釈を読みたくて引いたら、普通に動物扱いなんだ、ということがあって。がっかりですよね。新語をまだ拾えていないなら仕方ないと思えるんですけど、ハイエナですよ。戦後70年、何やってきたのって……。
用例採集がしやすい電子書籍
――少し話がそれてしまうかもしれないんですけど、電子書籍って読みますか。
稲川 読みます、読みます。
見坊 僕は全然読まないです。
――やっぱり読む本は紙ですか。
見坊 そうなんですよね。なんか好きじゃないんですよね。チャレンジしたことが無いわけではないんですが、あまりしっくりこなくてやめちゃいました。
――電子書籍と辞書アプリとは違う感じですか。
見坊 そうですね。辞書は情報が細切れになっているので、それをちゃちゃっと短くブラウズするぶんにはスマホの小さい画面で困らないんです。でもじっくり腰を据えて読むってなると紙で持ってめくりながら読む方が良くて……。単純に慣れているからっていうだけの気もするんですけどね。
稲川 僕はすっかり電子書籍に慣れました。用例採集しながら読むので、簡単にマークできるのが良いです。片手間に用例採集できるのがすばらしい。紙の辞書だと、よれるページを開きながら用例をスマホに入力しなきゃいけない。(電子書籍だと)片手でピッピッとマーカーしていけるのでいいですね。
――見坊さんも用例採集はするのですか。
見坊 そんなにしないんですけど、大事な本を読むときとか、これはちゃんと理解したいなというときはメモを取りながらじゃないと本当にすぐ忘れるので、メモアプリに入力しながら読んでいます。
稲川 自分で用例採集をしていて(見坊豪紀が採集した)140万例っていうのは信じられないです。
見坊 あとはもうちょっとパソコン自体のインターフェースがスムーズになるといいですね。目で追ったところをそのままマーキングできるくらいになれば……。
稲川 グーグルで一瞬でOCR(光学式文字認識)をしてくれたらいいんですけどね。
――目線が全部辞書作り基準ですね(笑い)。
見坊 技術をどう応用するかしか見えていない(笑い)。でも、明鏡国語辞典をつくった先生が言っていたのは「ニンテンドーDSが発売された時に僕らはときめいたんです」って。何でだろう?と思ったら「画面が二つある!」って。つまり下の画面でメニューを表示して項目を選んで、上の画面で語釈を表示して、って(笑い)。
デジタル化した辞書に望むこと
――最近の辞書について何か感じることはありますか。
稲川 読者に対してもっと親切でもいい気がします。記号とか品詞表示とか、国語の知識が一定程度ないと理解できないことが多い。もうちょっと丁寧に書いてもいいのかな、と。
見坊 小学国語辞典は別冊で引き方マニュアルがついてるけれど、本体は一般の辞書とそれほど変わらない気がしますね。
語釈の「濃さ」 自分で選べたら
――ウェブの辞書サイトについて何か思うところはありますか。
稲川 例えば広辞苑が、薬の名前とか病名など病気関係の検索がモバイル版で多かったので今回増補したと聞いて、そういうのはいいことだなと思いました。それは一つの考え方としてありだなと。ウェブの辞書だと何を検索しているのかが(データ解析で)分かる。
見坊 何かのサービスのトラブルシューティングで「このページで解決しましたか。はい/いいえ」みたいなのがあるじゃないですか。ウェブ辞書でもあれをやったらいいですね。ひどい結果になりそうだけど。
稲川 「解決しましたか」で「いいえ」だったら、さらに続けて「どんなことを知りたいですか」って尋ねる機能があったらすごく良いですよね。あとは自分で〝濃度〟を選べるというか、欲しい情報が何なのかを自分で展開できるような……。
見坊 説明に「松・竹・梅」みたいに等級があって、ざっくり知りたいんだったら「梅」の説明で2行ぐらいで読めて、もっと詳しく知りたければ「竹」、めちゃめちゃ詳しく知りたければ「松」みたいな感じで、どんどん深く読んでいけるような。
類語をまとめて見たい
稲川 あとは類語関連をしっかりやった方がいいと思います。ある言葉についての説明は類語と何が違うのかということでしかできないと思うので。そうなると、今の辞書が50音順に言葉を配列しているのは意味がない。
見坊 あれは検索(の利便性)のためにやっているので。
稲川 本当は類語同士を近くに置いて、違いを説明した方がいい。そういうフレキシブルな形というのはデジタルメディアでしかできない見せ方ですから、これからはそういう見せ方の辞書があってもいいんじゃないですかね。
――広辞苑の改訂のときに「なでる」「こする」「さする」をセットで見直したっていうのを聞いて「なるほどな」と思いました。そのセットを考えるのも大変だったと思うんだけど。
稲川 類語をまとめるのは今の辞書でもできるはずなんですよ。でもそれをやると類語の説明ができていないことがばれてしまう。既存の国語辞書は類語の説明が全然できていないと思うんです。そういう意味もあって「現代国語例解辞典」とか小学館の「日本語新辞典」を推しているんですけど。あれぐらいしかちゃんと国語の辞書っていう形で類語の説明をしているのはないですね。
アクセスしやすくしてほしい
見坊 それと僕はやっぱり、どうやって言葉にアクセスするかっていうところを良くしてほしいですね。基本的にアプリになったとしてもあるいは電子書籍になったとしても、結局見出しから項目にあたっていくというのが基本になっているんですけど、そうではなく、例えば語釈が何文字以上の項目だけをまとめて見られるような機能が欲しいと思ったりします。要するに語釈が長い項目って大事な言葉なわけです。全文検索は今でもある程度実現できるんですけど、それも中途半端なんですよね。項目の中で記号扱いになってる言葉、ラベルになっている言葉などは検索できなかったりして、そこをむしろ集めてみたいんだけど……みたいな。50音配列じゃなくて何らかの基準でもって言葉をくくって、そのくくりで並べて見てみたい。そのくくりの中にどういう言葉が入るかを見てみたい、っていうような欲求はありますね。せめて今あるものを全部PDFで出してくれるだけでも全然違う景色になる気がするんですけどね。やる気のある辞書だけがデジタル化していて、他は依然として紙を引かなきゃいけない。それだと持ち運べないから「辞書部屋で」っていう話になっちゃうので。
稲川 アクセスできないのは惜しいですよね。アプリになっている辞書ばっかり引くようになっちゃっていますけど、紙でしか出していない辞書にもいいことはいっぱい書いてあるので。まずはアクセスしやすいようにしてほしいですね。
「辞書を引く側に技術を求めちゃダメ」
稲川 辞書を引く側に技術を求めちゃダメですよね。この言葉が載っていなかったらこの辞書を引けばいいやとか、この辞書なら載っているっていうのは(辞書マニアの)我々なら、なんとなくあたりがつくじゃないですか。でも、一般の人はそうもいかない。辞書を集め出した当初は「あの辞書にない情報がこっちの辞書にはある。また別の辞書にはこんなことも書いてある。じゃあ全部集めればいいじゃないか」って思ったんです。それで集めはじめて、最終的に今は「何でこんなに持っていなきゃいけないんだろう」って(笑い)。それでもまだ分からないことがある。それが当たり前なんでしょうけど、でも、せめてもうちょっとこれぐらいあれば間に合うよねっていう辞書があればいいなって思いますよね。
――それはもう辞書作るしかないじゃないですか(笑い)。
見坊 一から完全に編むのは大変ですけど、それこそ(稲川さんが)中学・高校時代にやっていた、載ってない言葉に絞った付録を出すとかはできるかもしれない。そういう言葉ならいっぱいたまっていますからね。
(おわり)