
印刷に使うのは「インク」か「インキ」か。出題者は回答結果にいささか驚きました。
目次
印刷用は「インキ」が「インク」上回る
| 菓子の包装で話題。印刷に使うものといえば? |
| インキ 37.1% |
| インク 32.7% |
| どちらも言う 30.2% |
まさか「インキ」が「インク」を上回るとは。出題者は「インク」が圧倒的になるだろうと思い込んでいたのです。
その理由としては、回答時に出てくる解説でも示したように、2023年度の文化庁「国語に関する世論調査」で「インク」が91.2%だったことがあります。「あなたはふだん、ここに挙げた外来語を書く場合、(ア)と(イ)のどちらで表記しますか」という聞き方でした。インキは4.2%で残りは「どちらも同じくらいの割合で書く」「無回答」。

令和5年度「国語に関する世論調査」の結果の概要より
これは用途を限定せず単にどちらで表記するかという質問でした。今回のアンケートは菓子のパッケージの印刷と限定したうえでの質問です。単純に比較できないとはいえ、ほとんどの人は「インク」を選ぶのでは?と予想していましたが、見事に外れました。
日本国語大辞典には「明治期は『インキ』が優勢、のち『インク』が普通になった」とあり、国語調査はそれを裏書きしていると思われました。ところが、どっこい「インキ」も生きていることが今回のアンケートでうかがえます。
「ステッキ」「ストライキ」の類いか
毎日新聞など新聞社としてはおおむね「インキ」は印刷関係、「インク」は筆記用具として使い分けています。現代国語例解辞典のインクの項にも「筆記に用いるものは『インク』、印刷では『インキ』が普通」とあります。
今回のアンケートの回答者は、無作為抽出の国の調査よりも印刷・新聞・出版関係の人が多いことは想定できます。でも、だとしても「どちらも言う」を合わせると「インキ」が約3分の2にもなるということは、業界関係者ではなくても「インキ」が色濃く意識に残っている人が多いといえるかもしれません。
国語調査は年代ごとの数字も挙げているのですが、「インキ」が比較的多かったのは70歳以上の男性で、それでも10%以下にとどまっています。一方、このサイトのアンケートは回答者の年齢は全くわかりませんが、高齢者が特に多いとは思えません。「昔の人はインキと言った」という単純な世代要因だけで「インク」「インキ」が分かれるわけではなさそうです。
原語が同じ外来語が用途によって違う表記になる例は他にもいくつかあります。
stickが「ステッキ」(つえ)と「スティック」(ホッケーなど)
strikeが「ストライキ」(労働争議)と「ストライク」(野球やボウリングなど)

inkについても、用途によって分かれたのか。日本国語大辞典2版の「語誌」欄は詳しく比較しています。
インキとインクの二つの語形については、インキ(ト)の原語をオランダ語のinktと考え、江戸中期に渡来して一旦定着した後に、英語を原語とするインクが広まったと考える説と、オランダ語の影響は実際には大きくなく、同じく英語を語源としながら最初はインキが、そして続いて音転形のインクが、ともに定着したと考える二つの説がある。
明治期の用例ではインキの方が遙かに早く出現しており、数も多い。その後も長らくインキが優勢な時期が続いたが、現在はインクの方が優勢。なお、現代ではインクが「ペン、万年筆を用いて筆記するための有色の液体」、インキが「印刷インク」の意で使われるとする見方もある。
約100年前からうかがえる使い分け
では文学作品の用例をみてみましょう。例えば宮沢賢治の詩集「春と修羅」の「序」(1924年)の一部。
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
「鉱質インク」とはいかにも鉱物好きな賢治ならではの表現ですね。また、石川啄木の「一握の砂」(1910年)にはこんな短歌もあります。
新しきインクのにほひ
栓抜けば
餓(う)ゑたる腹に沁(し)むが悲しも
これは筆記用のインクでしょう。遅くとも大正時代から「インク」は使われていました。一方、林芙美子が1928年に発表した「放浪記」では
本屋にはインキの新しい本が沢山店頭に並んでいる。
と使われます。
株式会社としては1907年設立の東洋インキ製造(現artience、事業会社は東洋インキ)など、印刷関係では社名に「インキ」が多く使われています。その固有名詞は今に至っても「インキ」のままであり、「インキ」から「インク」に変更した例は見いだせません。そして固有名詞だけではなく、その業界によって使われる普通名詞としての「印刷インキ」も元のまま残ったのでしょう。
つまり「インキ」から「インク」への交代があったというより、両方使われるようになってから、筆記具としては毛筆からペンへの交代に伴い「インク」が必然的に一般化した。その一方で、印刷の方は以前からの「インキ」が一般にも残った――のではないでしょうか。

一般には「インク」でも「インキ」も健在
もちろん、だからといって今回のカルビーの袋について一般の方が「インク不足」と書いても間違いとはいえません。いや、個人的に聞いた印刷業の人も「両方使うかな」と言っていましたし、ある印刷関係の本でも、一般読者を意識したのか「インク代」「インクの三原色」とありました。
ただ、一般的な表記としては「インク」が普通になっても、印刷関係で「インキ」と書くのは今の時代にそぐわないというわけでは決してないという一つのデータは得られたように思います。
ちなみに、校閲センターのX(ツイッター)には「筆記具のインクは液体で、印刷機に使うインキはハンドクリームみたいな半固体なんですよねえ。円筒形の缶に入ってるし」という反応もいただきました。ありがとうございました。
(2026年08月04日)
ホルムズ海峡封鎖による影響がはっきり目に見える形で表れたのが、カルビーのポテトチップスやかっぱえびせんなどのパッケージが白黒になったことでした。それを伝える毎日新聞記事で「インキ」と表記していたことにお気づきでしょうか。
インクもインキも同じものを指しますが、毎日新聞用語集では「インキ〔印刷業界〕」「インク〔筆記用具〕」という使い分けになっています。今回のケースはその規定通りでは「インキ」。ただしプリンターの「インクジェット」は印刷用ではありますが「インキ」とはしていません。
2023年度の文化庁「国語に関する世論調査」では、用途を限定せず単にどちらで表記するかという質問ですが「インク」が91.2%と圧倒的でした。一般的にはもはや「インキ」は社名や団体名などを例外として、ほとんど使われなくなっているようです。毎日新聞の記述は現状とずれているのでしょうか。皆様の選択も参考にして考えたいと思います。
(2026年07月21日)
