大阪・関西万博の閉幕が近づいてきました。「万博は時代を映す鏡」――。今年の万博の公式ガイドにはそう記されています。一方、1970年大阪万博の公式ガイドをめくってみると、今では見慣れない国名が。55年間の世界情勢の変化が読み取れました。
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大人も楽しい万博スタンプ集め
閉幕が近づく大阪・関西万博の会場には、各パビリオンの前にスタンプが置いてあります。会場内などで売っている「スタンプパスポート」に押していくのですが、このスタンプ集め、20年前の2005年愛・地球博(愛知万博)でもありました。当時小学生だった筆者は夢中で集めたのを覚えています。
スタンプ集めのよいところは、スタンプを押すためにいろいろなパビリオンを回るので、世界中の国の名前や場所、文化を知ることができることです。校閲の仕事をしていると、世界地図をチェックすることもあるので、そういえばそんな国があったなあと思い出しながら楽しむことができました。

上は大阪・関西万博のスタンプパスポート。複数の国が集まる「コモンズ館」は一度にたくさんのスタンプが押せるので、あっという間にページが埋まる。下は愛・地球博の時のもの
1970年大阪万博の公式ガイドをめくってみると
世界にはいろいろな国があると改めて思ったところで、55年前の1970年大阪万博ではどうだったのか気になりました。当時の公式ガイドを古本で入手したのでページをめくっていると、現在とは国名が異なるパビリオンがいくつもあることに気づきました。校閲でも国名の変遷は要注意です。以下で主だったものを見ていきましょう。

1970年大阪万博の公式ガイド
ソビエト連邦→現在のロシア、ウクライナ、ジョージア(グルジア)など15カ国
言うまでもなく、当時は冷戦の真っただ中。万博会場図を見ると、米国館と競うようにソ連館も大きな面積を占めています。公式ガイドには「レストランは、ロシア料理、グルジア料理、ウクライナ料理その他の民族料理を提供します」とありました。1991年にソ連は崩壊し、独立したグルジアは後に国名をロシア語読みから英語読みの「ジョージア」に変更。2022年にはロシアによるウクライナ侵攻が始まり、今年の万博にロシアは出展していません。このような未来になるとは、一体誰が想像できたでしょうか。

1970年大阪万博の会場図。ソ連館(上)と米国館(下)が大きな面積を占めている
中華民国(台湾)→1972年に国交断絶
当時の日本が国交を結んでいた「中国」は台湾でした。大陸の中華人民共和国は万博に参加せず、英国に統治されていた香港館があるのみです。2年後の1972年に日本は中華人民共和国と国交を結び(日中共同声明)、台湾とは断交しました。今年の万博には、台湾の民間企業がパビリオン「TECH WORLD(テックワールド)」を出展しています。

今年の万博に台湾は「国」としてパビリオンを出展していない
ベトナム共和国(南ベトナム)→ベトナム戦争を経て現在のベトナム社会主義共和国に
ベトナムの南北統一を巡るベトナム戦争のさなか、親米の南ベトナムが参加しています。公式ガイドによると「この質素な展示の中から、ベトナム人の、くみつくせない力をつかみとってほしい」という願いが込められた、戦時下のベトナム人の力強さを示す内容だったようです。泥沼化した戦争は1973年の米軍撤退を機に、75年に南ベトナムが敗北。76年にベトナム民主共和国(北ベトナム)によって南北が統一され、現在のベトナム社会主義共和国になりました。今年はベトナム戦争終結から50年の節目に当たります。

大阪・関西万博のベトナム館の展示
カンボジア王国→万博開幕直後にクーデター発生。現在は王制復活
現在の国名も「カンボジア王国」ですが、1970年大阪万博の開催中、同国では大変な出来事が起こりました。万博開幕から3日後の3月18日、隣国でのベトナム戦争に巻き込まれる形で親米派によるクーデターが発生し、国家元首シアヌークが追放されます。当時の毎日新聞の記事を見ると、3月24日には万博のカンボジア館に飾られていたシアヌークの写真が外され、8月17日に予定されていたナショナルデー行事も中止となったようです。その後のカンボジアは、内戦とポル・ポト政権下の大虐殺などの混乱を経て93年に王制が復活し、現在に至ります。

1970年6月11日付毎日新聞夕刊。クーデター後のカンボジアの内戦でアンコールワットが破壊の危機にさらされ、万博会場の観客も案じている。カンボジア館では同遺跡の100分の1模型が展示の目玉になっていた
アラブ連合→現在のエジプト
1958年、エジプトとシリアが合併して「アラブ連合」が結成されます。アラブの統一という大義を掲げましたが、61年にシリアが離脱し、わずか3年で崩壊しました。エジプトは1国のみとなった後も、万博翌年の71年までこの国名を使い続けています。公式ガイドを見ると、アラブ連合の展示館はピラミッド形。当時万博を訪れた人は「アラブ連合館」という名のエジプト館を見て、何を思ったのでしょうか……。

大阪・関西万博のアフリカ料理レストランで注文した世界最小のパスタ「クスクス」(右)。モロッコなど主に北アフリカで食べられているが、エジプトでは甘くしてデザートとして食べるのが一般的だとか
アブダビ→現在はアラブ首長国連邦(UAE)の構成国
1960年代に石油開発ブームが起こり、日本をはじめ各国の企業が進出して石油採掘を行っていたアブダビ。中東の小国ながら万博に単独館を出展したのも、日本とのこうした縁からでした。英国の保護下にあったアブダビやドバイなど6首長国は、71年に「アラブ首長国連邦(UAE)」として独立。翌年、さらに1首長国が加わり、現在の7首長国による構成となりました。首都はアブダビに置かれましたが、建国当初はアブダビと最大都市ドバイの中間に「カラーマ(アル・カラマ)」という新都を建設する予定だったようです。

1969年3月30日付毎日新聞朝刊。アブダビの70年大阪万博への参加を報じている。「アブダビ土侯(どこう)国」とあるが、土侯国は「首長国」の意味
象牙海岸→現在は「コートジボワール」に表記変更
西アフリカのコートジボワール(Côte d’Ivoire)はフランス語で「象牙の海岸」という意味で、かつて同国で盛んに象牙が搬出されていたことに由来します。「象牙海岸」はまさに直訳で、万博の展示館も象牙をイメージした建物でした。毎日新聞では1960年代には既に「コートジボアール」(後に「コートジボワール」)表記を使っていましたが、同国政府からの要請で外務省が正式に国名表記を変更したのは2003年になってからでした。

今年の万博には国内史上最多の158カ国・地域が参加している。一番手前がコートジボワールの国旗
万博は時代を映す鏡
まだまだ紹介しきれませんが、この他にも、1972年に国名を「スリランカ」に変更したセイロン、89年に「ミャンマー」に改称したビルマ、93年に「チェコ」と「スロバキア」に分離したチェコスロバキア、さらに現在とは政治形態が異なるアフガニスタン王国やイラン帝国のような国もあります。また、ドイツは西ドイツ、欧州連合(EU)も前身の欧州共同体(EC)でした。わずか55年の間に、これだけ世界情勢が変化していることが分かります。
大阪・関西万博の公式ガイドには「万博は時代を映す鏡」とあります。今年の万博には、ウクライナ、イスラエル、パレスチナなど、現代の紛争国・地域も出展しています。パレスチナ館では、イスラエルとの紛争の影響で多くの展示物が開幕までに届きませんでした。入り口付近に警備員が立っているパビリオンもあります。
今後の世界情勢はどうなっていくでしょうか。願わくは50年後の万博は、争いのない世界で行われていたらと思います。

大阪・関西万博会場の夜景
【森憧太郎、写真も】