「垣間見える」という言葉について伺いました。
目次
7割は「垣間見える」もOK
うかがい知ることを「垣間見る」と言いますが、「垣間見える」も使ってよい? |
使ってもよい 22% |
慣用は「垣間見る」だが許容範囲 47.5% |
使えない。「うかがえる」などとする 30.5% |
「使えない」は3割で、許容派が7割を占めました。そのうちの7割ほどが慣用を承知しながらも「許容範囲」としており、「垣間見える」についてはあまり厳格にならなくともよいと考えている人が多いようです。
「見える」は意識せずとも目に入ること
「物のすき間から、こっそりとのぞき見る」(大辞林3版)というのが「垣間見る」。「見える」は「見る」の可能動詞という場合もありますが、「垣間見える」に含まれている「見える」は「物が視界の中にある。目にうつる。目にはいる」(同)といった意味です。見ようと意識しなくても、すき間から目に入ってしまうのが「垣間見える」ということになるでしょう。
校閲記者にとっては「グレーゾーン」の言葉だと、回答から見られる解説では書きましたが、「垣間見え」で検索した毎日新聞記事データベースでの使用例(東京版、地域面除く)は既に1200件を超えており、すっかり市民権を得た感があります。用例を見ると「国民一人一人の資産を掌握したいという魂胆が垣間見えます」「演説ではトランプ氏の『本音』も垣間見えた」「手軽な業績作りを図る研究者の心理が垣間見える」――など。要するに、大っぴらにされてはいないけれども、見る人が見れば見えてしまうような事柄に使われているようです。
「垣間見せる」と同列には扱えず
国語辞典ではまだ、「垣間見える」で項目を立てている辞書は見つけられませんでした。新明解国語辞典(7版)は「かいま見る」の項目に自動詞形として「かいま見える」を載せています。三省堂国語辞典は、確認できた範囲では4版(1994年)の時点で既に、「垣間見る」の項目で自動詞形「かいま見える」と他動詞形「かい間見せる」も載せていますが、これは多数派ではないようです。新聞・通信各社の用語集では1社だけが「かいまみる」の項目に「垣間見える」も併記して、使用できることを示していました。
一方、講談社校閲局の「日本語の正しい表記と用法の辞典」(3版、2013年)では「『垣間見せる』『垣間見える』という言い方が一般化しつつあり、『垣間見る』の派生形として認めている辞書もあるが、これも本来の意味からすると適切な用法とはいいづらい」としています。しかし、「垣間見せる」と「垣間見える」を同列に扱うのは、もはや難しいのではないかと考えます。記事データベースで「垣間見せ」を検索すると、ヒットするのは61件で「垣間見え」の20分の1以下でした。こちらは不適切と認識されていることが分かります。
許容範囲と考えてよいのでは
ところで「垣間見える」という項目を立てている辞書はなかったと書きましたが、自動詞の「垣間見ゆ」が一部の辞書に載っています。意味は「物のすきまから見える。ちょっと見える。ちょっと姿が現われる」(日本国語大辞典2版)。「カキノヒマヨリcaimamiye(カイマミエ)タマイケリ」(日葡辞書、1603~4年)などという用例を見ると、現在の「垣間見える」と同じように使うことができるようです。こうした過去の例を見ても、使用実態から見ても、アンケートの結果から見ても、「垣間見える」という言い方は許容されてよいだろうと考えます。
(2019年02月19日)
「もののすき間からのぞいて見る。ちらりと見る」「(比喩的に)物事の一端を知る」(集英社国語辞典3版)という意味の「垣間見る」。文字通り、垣根の間からのぞき見るところを想像すればよいのですが、そうすると「垣間見せる」という表現はいかにも奇妙です。
以前この表現に「いやらしい」と言っていた先輩校閲記者がいましたが、確かに垣根の間から「見せる」という行為はちょっと変。毎日新聞用語集では「垣間見せる→のぞかせる、うかがわせる」と直すよう促していることを、校閲のツイッターでも以前ご紹介しました。
それでは「垣間見える」はOK?とは当該のツイートに付いた読売テレビの道浦俊彦さんからのコメント。正直に言うと、自動詞形の「垣間見える」は校閲記者にとってもグレーゾーンにある言葉だと思います。用語集で使用が止められているのは各社とも「垣間見せる」ないし「垣間聞く」で、「垣間見える」はありません。そのため直さないことが多く、紙面での使用例もかなりの数が見られます。
しかし「(垣間見るの)派生形として『垣間見せる』『垣間見える』を使う人もあるが、標準的な言い方ではない」(岩波国語辞典7新版)とする辞書もあり、「垣間見せる」の場合と同様、「うかがえる」などと言い換えるべきなのかもしれません。
皆さんの意見はいかがでしょうか。世間の大勢がはっきりしているようなら、校閲記者としても悩む必要がなくなると思うのですが……。
(2019年01月31日)