校閲記者といっても読めない漢字はある。少なくとも私はある。読めなければ辞書を引けばよい。そもそも、これだけインターネットが便利になって、たいがいのことは検索すれば分かる時代になって、教養とは、どれだけ知っているか、ではなく、どこで何を得られるか――つまり、情報への正しいアクセスの仕方を知っていることだと、普段はうそぶいていた。
たとえば「鳰の湖」。先場所は東9枚目の十両力士だが、これが読めない。それでも人前で読み上げる機会も幸いにしてないし、間違った漢字(「鳩の海」など)さえ入っていなければよいということで、「はいるとりのみずうみ」と心の中で勝手に読み下していた。ちなみに、私は「大飯原発」も、「大井」や「大居」にならないよう、「ビッグライスげんぱつ」とこれも自己流に読んでいる。
だが、あるとき、たまたま隣にいた先輩校閲記者に、なかば試すような、少し意地悪な気持ちで、「鳰の湖」の読み方を尋ねた。先輩は「におのうみ」と即答。おまけに「万葉集だったかな。たしか鳰を詠んだ歌があったよ」と付け加えた。しかも、こともなげな様子で。後日調べてみると、確かにある――にほ鳥の/潜(かづ)く池水/心あらば/君に我(あ)が恋ふる/心示さね(鳰鳥の潜る池の水よ、おまえにも心があるなら、君をお慕いする、私の心をお見せしておくれ)。
そういえば、どこかの偉い先生がいっていた。昔の学生は「君、アレは読んだかい?」と問われれば、読んでいなくとも「もちろん!」とすぐさま答え、家に帰ってからあわててその本を読み出したものだ、と。知らないことは恥ではない。けれど、知らないことを知らないといって開き直るのは恥ずかしいことかもしれない。力士の「鳰の湖」は滋賀県出身で琵琶湖の別名「鳰の海」にちなんでいるが、鳰はカイツブリの古名。カイツブリは水鳥で、優雅な見かけとは裏腹に、水面下では脚で必死に水をかいているらしい。この夏は、私もカイツブリを見習って、万葉集でも読んでみようかな。
【谷沢玲】