by FatMandy
新聞は意味を限定する「拘留」
「拘留」は刑法に定める「30日未満の自由刑(受刑者の自由を剥奪する刑)」のことで、小型の辞書では、この意味だけを載せているものが多い。一方、大きな辞書では「捕えて、とどめておくこと。とめおき。抑留。留置」(日本国語大辞典)を最初に挙げている。刑法上の用語の意味は後ろのほうに出てくる。漢和辞典も「捕えて留めておく」(角川漢和中辞典)との語釈を掲げている。これが元の意味にあって、刑罰の名称に採られたのだろうから、「なんらの説明もなしに身柄を拘留された」と書いても誤りではない。だが、毎日新聞を含め多くの新聞では刑罰に限定して使っている。法制度の違う外国での記事についても、単に「とらえて、とどめておく」意味には使わず、「拘束」などの語に書き換えるようにしている。あいまいな書き方をして、誤解を招かないためだ。
「拘留」は(特に新聞では)意識的に狭い用法に限っている語だが、一方、厳密に定義されながら、その意味がなおざりにされ、拡大解釈されてしまったものもある。
俗用が優勢な「確信犯」
たとえば「確信犯」。「道徳的・政治的・宗教的な確信をもって、正しいと信じておこなう犯罪。またその犯罪者。政治犯など」(新選国語辞典9版・2011年)が本来の意味。文化庁の02年度「国語に関する世論調査」ではこの意味で理解している人は16・4%に過ぎなかった。実際、「確信犯」が使われるのはたいていこんな例だ。「釣り禁止と大書された看板の下、平然と釣り糸を垂れているのは確信犯以外の何ものでもない」。毎日新聞のデータベースを見ても、この「俗用」のほうが多い。
手元にある小型の辞書を見ると、明鏡国語辞典第2版(10年)は、法律用語としての語釈を掲げたあと「〈俗〉悪いこととわかっていながら、わざと行う発言や行為。また、それを行う人」と載せ、本来の意味におけるのと同様に「その背後には最終的に自らが正しいという確信がある」と付記する。三省堂国語辞典も第6版(08年)にこの俗な使い方を示している。判型の大きいものでは、日本国語大辞典が第2版(01年)に「俗に、トラブルなどをひきおこす結果になるとわかっていて何事かを行なうこと。またその人」と記す。「正しいという確信」があるか否かについては触れていない。大辞林は第3版(06年)から、広辞苑も第6版(08年)から俗用的語釈を載せた。
「全くの誤用」とする辞書も
面白いのは岩波国語辞典で「1990年ごろから、悪いとは知りつつ(気軽く)ついしてしまう行為の意に使うのは、全くの誤用」(第7版・09年)と、手厳しい書き方をしている。俗用を認めない立場には、精緻な解釈と検討が必要であるはずの語「確信犯」が、希薄で軽々しいものにされてしまうことへのいらだちと危機感があるのかもしれない。
【軽部能彦】