「打ち上がる」という言葉について伺いました。
目次
「打ち上げられる」が7割超
花火がドーンと上がる様子。どちらの書き方がなじみますか? |
花火が打ち上がる 27.3% |
花火が打ち上げられる 72.7% |
「打ち上げられる」が7割超を占めました。「打ち上がる」という語の形には違和感を持つ人も多いようです。
小辞典では見かけない「打ち上がる」
仮に手元の国語辞典で「打ち上がる」を引いてみたならば、「あれ? 載ってない?」と思うことになるかもしれません。比較的最近出版された小型の辞典8点で、見出し語として「うちあがる」を取っているものは一つもありませんでした。三省堂国語辞典7版だけが「打ち上げる」の項目の中に、「[自動]打ち上がる」と「打ち上げる」の自動詞形として示していますが、普段使いの辞書にはほぼ載っていない言葉であることには留意が必要でしょう。
中辞典では、大辞泉2版と大辞林3版はともに見出し語として「うちあがる」を採録しており、広辞苑7版には載っていません。さらに大きい日本国語大辞典2版は採録しています。
「花火が打ち上がる」の説明は無理筋か
日国は「うちあがる」について、大きく二つに分けています。一つは「うち」を接頭語と見なす用法。語釈としては「低いところから高いところへ行く」「まわりより高まる」などとあります。もう一つは「うち」に実質的な意味を認める用法で、今回関係あるのはこちらの方。語釈・用例としては「打たれて高いところへ飛ばされる。また、上空めがけて発射される。『花火が打ち上がる』」とあるのですが、この説明が受け身ばかりであることに屈折を見て取ることができます。自動詞なのに、なぜこんな説明になってしまうのでしょうか。
回答から見られる解説では大辞林の語釈を挙げましたが、改めて引くと「打って高く上がる。『花火が―・る』」というものでした。こちらは一見シンプルなのですが、「打って」というのがどういうことか、非常に分かりづらい。「高く上がる」のが花火なら、「打つ」のも花火であるように見える説明です。これはおそらく、「うちあげ」の語釈「打って高く上げること。『ロケットの―』」をそのまま自動詞の形に直したため、自動詞・他動詞の要素がねじれてしまったのではないかと考えられます。
大辞泉は「低いところから高いところに上がる。『花火が―・る』」という語釈で、意味は通じるのですが、「打ち」がどういう要素なのかが分かりません。用例があるので載せないわけにいかなかったのかもしれませんが、語の説明が追いついていない印象を受けます。
分かりやすい「打ち上げる」
一方、「打ち上げる」はどの辞書も分かりやすく説明できています。大辞泉は「空高く上げる。『外野フライを―・る』『ロケットを―・る』」とあります。「外野フライ」という例は「打ち」に含まれる動作性を説明するのに持ってこいです。ロケットに関しては「打つ」よりも「撃つ」が近いかもしれませんが、「撃つ」に含まれる攻撃的な意味合いを考えると、「打つ」の方がふさわしいと言えるでしょう。
受け身にした「打ち上げられる」も、日国の「打ち上がる」の説明が受け身だらけだったことを考えれば、むしろ素直に読むことができるのではないでしょうか。「花火が打ち上げられる」では動作の主体がない、と気になる人もいるでしょうか。しかし、花火は打ち上げる誰かが必ず存在しているものであって、文の要素として明示されていなくとも誤解を招く心配はありません。
アンケートの回答では「花火が打ち上げられる」が多くの支持を集めましたが、こちらとしても「打ち上げられる」をお勧めします。受け身が気になるという場合は、単に「花火が上がる」とするのが良く、あえて「打ち上がる」を選ぶ必要はないと考えます。
(2018年01月22日)
大みそか夜のカウントダウンから、年が明けると同時に花火が上がる――そんな光景を見たことのある人もいるかもしれません。
こうした場面を取り上げて「カウントダウンの終了とともに、盛大に花火が打ち上がった」のように書く原稿を見かけます。自動詞「打ち上がる」は幾つかの辞書に掲載されているのですが、「打って高く上がる。『花火が―・る』」(大辞林)という説明には今ひとつ釈然としません。「打って」って、どういうことか。他動詞的な「打ち」が自動詞の「上がる」と合わさってどう働いているのかが気になります。
「打ち」は、「しおれる」に対する「打ちしおれる」のように、強めの表現とも理解できますが、その場合は「打って高く上がる」のような説明はおかしいことになります。むしろ他動詞としてすんなり読める「打ち上げる」から、「花火が打ち上げられる」と受け身にした方が分かりやすく使いやすいかもしれません。みなさんはどちらがしっくりするでしょう。
(2018年01月03日)