「知る」という動詞の可能形について伺いました。
「知ることができる」が大多数
「これを読めば真相を『知ることが可能』」……二重カギの中、どれがしっくり来ますか? |
「知れる」とする 4.7% |
「知られる」とする 3.2% |
「知りうる」とする 24.5% |
「知ることができる」とする 67.6% |
やはり「知ることができる」を選んだ人が3分の2超と大多数を占めました。「知れる」は5%弱。少ないですが、年齢層によってはもっと割合が高くなるかもしれません。「知りうる」との回答が4分の1程度あったのは、「知れる」を使いたくないけれど「知ることができる」は他の選択肢に比べ長々しい、と感じる人が一定程度いるためでしょう。
「書く」に対する「書ける」、「読む」に対する「読める」のようなものを可能動詞と言いますが、「知れる」は「知る」を可能動詞の形にしたもの。ですが、広く受け入れられているとは言い難く、国語辞典で「知れる」について、「知ることができる」と同様のものとして扱っていたのは三省堂国語辞典のみでした。最新版7版の、「知れる」の項目ではなく「知る」の解説中、
[可能]知ることができる。〔俗に「知れる」。「役立ちそうなことが知れてよかったです」〕
とあります。俗用と断りつつも、こうした使用実態があることを拾い上げるのはいかにも三国らしい。例文のやや稚拙な言い回しで、この用法が年少の世代のものであることを示唆してもいます。
NHK放送文化研究所のウェブサイトに、「事実を『○○』よかった」をどう埋めるか、という2012年のアンケートの結果が載っています(こちら)。それを見ると「『知れて』と言い、『知ることができて』とは言わない」という選択肢を、10代で13%。20代で6%が選んでいます(それより上の年代はほぼゼロ)。
可能の意味の「知れる」が目に入るようになってきたのは、「知れてよかった」のような言い回しを当たり前に感じる人もいる世代が、情報を発信する側に回ってきたためと考えられます。
辞書によっては「知れる」の項目に「知ることができる」という語釈を載せているものもありますが、今回の質問に挙げた「情報を得ることができる」という意味とはニュアンスが違うようです。
大辞泉2版の「知れる」の項目は②にまず「知ることができる」とありますが、続けて「自然にわかる。判明する」とあり、用例も「気心の―・れた人」「行方が―・れない」「あんなことをするなんて、気が―・れない」というもの。おのずと察せられる、見当が付くなどのように言い換えるべきもので、単に情報獲得が可能か否かを問題にしているわけではなさそうです。
「行方が知れない」のように、情報が得られないと言っているように見えるものも、肯定形で「行方を知れた」のようには使わないことから考え合わせても、今回のアンケートで伺ったような用法とは別ものと考えるべきでしょう。
「知られる」は「『知る』の未然形+可能などの助動詞『れる』」の形ですが、受け身や自発(おのずと知られる、のような形)などで使うことはあっても、可能の意味で使うケースを見たことがありません。
「知りうる」には一定の支持がありました。ただし、回答からの解説でも触れたように補助動詞的な「うる(得る)」は可能性について示すこともある表現です。おおかたの国語辞典には単に「できる」と書かれていますが、「有りうる〔=可能性が有る〕」(新明解国語辞典7版)のように、「有りえなくはない」という二重否定的な意味を帯びることもあります。「知りうる=知ることができる」とは言い切れないと考えた方がよさそうです。
三省堂国語辞典で「知る」の可能形に「知ることができる」とわざわざ入れているのはやはり意味のあることで、特に書き言葉では「知ることができる」を使うことをお勧めします。
ところで、今回のアンケートでは「真相が分かる」と書けばいいんじゃないの?という声を想像しつつも、あえて無視するような形で選択肢を作りました。きっかけになった、漫画の単行本を買わせようというコピーが「真実を知れるのは単行本を買った人だけ!」というもので、この「知れる」が持つ「情報にアクセスできる」という意味合いと、「分かる」に含まれる内容理解の深さとは、意味が一致しないと考えたからです。
それに正直なところ、「知る」と「分かる」の使い分けについて分かりやすく説明するのは、いち校閲記者の手に余ります。興味のある方には、国立国語研究所の論文「多義動詞としての『知る』と『分かる』の使い分け―コーパスを活用した類義語分析―」(PDFファイル)が参考になるのではないかと思います。ご参照ください。
(2018年11月02日)
漫画のあおり文句に「真実を知れるのは単行本を買った人だけ!」とあるのをネットで見かけ、「へー、これもありなのかなあ」と思いました。「知れる」は「お里が知れる」のように「人に自然と知られる」(大辞林3版)という意味か、「気が知れない」のように打ち消しの形で「分からない」という意味で使うくらいが一般的なはず。特に書き言葉では、「知ることができる」という意味で使われるのはほとんど見たことがありません。
しかし毎日新聞の過去記事を「~を知れる」で検索してみると、使用例はゼロではありませんでした。記者が書いた地の文に初めて現れたのは2009年。「質問なるほドリ」の欄で、不妊治療に関連しての「子どもは自分の『出自』を知れるの?」という問いかけでした。普通なら「知ることができるの?」と直すところかと思いますが……。あるいは、なるほドリは中学2年生という設定なので、それぐらいの少年なら「知れる」を使う方が自然だと考えたのでしょうか。
今回の質問でも「知ることができる」が一番よく意味を伝えると思うのですが、表現としてまだるっこしいという場合があるかもしれません。「知られる」は「知る+助動詞・れる」の形ですが、受け身などで使うことはあっても可能表現に使うことはあまりなさそうです。「知りうる」は可能性についての表現であり、意味が違うと感じられるかも。皆さんはどれを選んだでしょうか。
(2018年10月15日)